このままでは小田原城や小倉城の二の舞になるだけ…メディアが報じない「名古屋城天守再建問題」の本質
プレジデントオンライン / 2024年12月29日 16時15分
※本稿は、香原斗志『お城の値打ち』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■歴代将軍が建てたくても建てられなかった江戸城天守
徳川家光が建てたモニュメンタルな天守は、江戸の町の6割を焼き尽くした明暦3年(1657)の大火で焼失してしまい、以後、江戸城に天守が建てられることはなかった。
加賀(石川県南部)藩主の前田綱紀に天守台の再建が命じられ、それは完成したのだが、当時の将軍であった4代家綱の叔父、初代会津藩主の保科正之が、天守について、軍用としては役に立たず、ただ遠くが見えるだけのもので、そんなものよりも町の復興に人力を割くべきだ、と提言。それが受け入れられて、再建が中止されたのである。
保科正之が反対したという史実を踏まえ、再建すべきでないとする声もある。370年近く前に「必要ない」と決めたものを建てるのは、そもそも幕府の意思に反するのではないか、というのである。
だが、それは違う。当時の徳川幕府は江戸城に天守が「必要ない」と判断したわけではない。復興の優先順位を決める際、天守が後回しにされたにすぎない。だから、以後も6代将軍家宣と7代将軍家継の正徳年間(1711~16)に再建案が浮上し、詳細な図面も作成されたが、財政難が理由で実現しなかった。幕府は天守の再建を積極的にやめたわけではなく、余裕さえあれば建てたいと考えていたのである。
■江戸城天守を正確に復元することは可能
幸いにも、明暦の大火で焼失した3代目天守は、「江府御天守図百分之一」「江戸城御本丸御天守閣建方之図」「江戸城御本丸御天守閣外面之図」(いずれも甲良家文書)などが残っているため、かなり正確に復元することができる。
かつての設計図にしたがって伝統工法で再建できるのであれば、「日本の伝統的木造建築技術の最高到達点」を、技術とともに後世に伝えるという意味で、価値ある事業になるだろう。
500億円を超えるともいわれる総事業費をどのように工面するのか、という問題はあるが、首都のど真ん中にそびえることになるので、インバウンドをふくめた経済効果は大きいと思われる。コロナ禍において、効果がまったく疑わしい施策に1000億、あるいは兆という単位の予算が次々と注ぎ込まれたのにくらべれば、はるかに大きな費用対効果が見込めるだろう。
かつて天守が建っていた本丸跡が属する東御苑は、一般に公開されているとはいえ皇居の一部であり、天守を復元するとなれば法改正等の手続は必要だ。また、皇居を睥睨する建築が皇居内にできることに、抵抗する声が上がるかもしれない。しかし、すでに皇居の周囲には多くの超高層ビルが建ち並んでおり、高さ60メートル未満の建物に対してそんな指摘がなされるのはナンセンスではないだろうか。
■復元に際して最大の難問
このように記すと、予算等の問題をのぞけば、復元への障壁はさほどないように感じられるかもしれない。だが、じつは、別種の問題がある。それは、今日まで残されている江戸城の天守台には天守が建ったことがない、という歴史的事実である。
天守の焼失後、幕府の命で前田綱紀が天守台を再建したという話は先に書いた。石垣の築石が火災の際に焼けただれたため、いったん天守台を撤去し、まったくあらたに石垣が積まれたのである。
焼失した天守とほぼ同規模で再建する計画だったので、あたらしい天守台の平面の面積は、撤去されたものとほとんど変わらなかった。しかし、高さは違った。家光の天守台は七間(14メートル弱)あったが、再建されていまに伝わる天守台は六間(約12メートル)しかない。約2メートル低いのである。
現存する天守台に、家光による3代目天守を復元する場合、木造部分は正確に再現できても、天守台をふくめた全体には、史実と異なる部分が生じてしまう。そうかといって、石垣を積み増して高さを確保すれば、歴史遺産を改変することになってしまう。
では、現存する天守台を前提に正徳年間に作成された天守の設計図にしたがって建てるのか。しかし、そうなると歴史遺産の復元ではなくなってしまう。
江戸城天守を復元するためには、この問題がクリアされなければならない。復元される意義はあると考えるが、復元されるべき場所には、それが建つべきではない石垣が残されており、いまのところ私は、この問題の解決策を見いだすことができない。
■江戸城と名古屋城の違い
しかし、名古屋城天守の復元にあたっては、江戸城天守が抱えるような問題は存在しない。江戸城天守も史料によって、木造部分をかなり正確に再現できると述べたが、昭和に徹底調査された実測図やガラス乾板写真が多数残っている名古屋城天守は、江戸城よりもはるかに精密な復元が可能である。
ただし、精密といっても、すべてが昔のとおりではない。たとえば、元来は天守建築の重量を天守台が支えていたが、熊本地震による熊本城の被災状況からもわかるように、大地震が起きたとき、その構造では安全性を担保しきれない。
このため名古屋城では、木造天守を天守台で支持しない構造が採用されるという。その点では史実どおりの復元にはならないが、見えないところに最新技術をもちいて安全性を確保するのは、むしろ推奨されることだと考える。
「焼失したものを復元したところで本物ではない(からあまり意味がない)」という意見もある。だが、名古屋城天守の場合、わからない部分は想像で補う復元ではない。失われたものとほぼ同じ形態を再現できるので、後世にいたるまで、歴史的空間を正しく理解するために寄与するはずである。
■原点を見失っている
その建築が、天下人の天守であり、江戸城天守にも劣らない伝統建築の最高峰である以上、歴史的空間が再現されることにはいっそうの価値がある。復元の工程は、失われつつある伝統工法を継承するためにも意義があり、完成したあかつきには、日本人の文化的誇りの醸成にもつながるだろう。
じつをいえば、バリアフリーをめぐる問題のほかにも懸案事項はある。名古屋城は国の特別史跡に指定されているため、現状を変更するためには文化庁の許可が要る。それがまだ得られていないのだ。
理由のひとつは、天守台の石垣をいかにして保存するか、という問題について、明確な回答が示されていないことである。また、文化庁は史実を重んじるように求めながら、その価値を広く知ってもらうために活用することと、そのための設備の付加を求めている。
だが、設備を付加することで、元来の構造が変更されるのは避けたい。そこで名古屋市はバリアフリーに加えて防災や避難のための設備を、柱や梁などの主構造を改変させることなく設置することを考えている。そして、それらを撤去すれば、復元天守は比較的容易に本来の姿に戻ることが前提にされている。
それでも、名古屋城天守の木造再建に関しては、バリアフリーに対応できていない、という問題がメディア等でクローズアップされ、世論がネガティブな方向に導かれているのが残念だ。しかし、バリアフリー化について検討する前に考察すべきなのは、なぜ名古屋城天守を木造で復元するのか、という原点についてである。
■決して名古屋だけの問題ではない
名古屋市の観光のシンボルをめぐる問題にすぎないなら、あまりうるさいことをいう必要もないだろう。しかし、繰り返すが、名古屋城天守は特別な建築だった。天下人が威信をかけて建てた、江戸城天守と同様の「日本の伝統的木造建築技術の最高到達点」だった。それほどの建築が、ほかの天守とは比較にならないほど正統的で、正確で、精密な復元が可能なのである。
だからこそ、500億円ともいわれる費用を投じる価値があるのであり、巨費を投じる以上は、可能なかぎり史実に忠実に復元し、オリジナルの姿を損なわずに後世に伝える必要がある。史実と異なる部分をもうければ、後世に伝えるべき価値は著しく損なわれてしまう。
『お城の値打ち』第三章で触れたように、復興された小田原城天守は、小田原市当局の要請に応えたばかりに、最上階にかつては存在しなかった高欄つきの廻縁がついてしまった。小倉城天守は破風が一切ないのが最大の特徴だったのに、復興に際して地元商工会の主張を受け入れ、いくつもの破風で派手に飾られてしまった。それらは取り返しがつかない結果を招いている。
■バリアフリー化への私見
名古屋市は「様々な工夫により、可能な限り上層階まで昇ることができるよう目指」しているという。その姿勢は失うべきではない。また、今後の技術の進歩により、バリアフリーを実現するうえで、あらたに可能なことも出てくるだろう。
だが、名古屋城天守を木造復元する意義が、この特別な建築をよみがえらせて後世に伝えることにある以上、オリジナルの構造を大きく損ねるようなバリアフリー化には、私は否定的にならざるをえない。
その結果、障害者が上層階に登れないのが問題であるなら、身体に障害がない人も登らなければよいとさえ思う。だが、現実には、入場料を徴収して内部に人を入れなければ、復元にかかった費用を回収できず、維持費も確保できない。
それなら、障害がない人も、昇降機等で車いすを運べる階までしか登れないようにするのも一案だろう。だが、いちばん大切なのは、ここに述べた木造復元の意義について、理解が行き渡ることではないだろうか。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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