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長崎県“日本遺産のしま”の魅力がつまった特設サイト「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」公開!

PR TIMES / 2016年4月26日 12時41分

壱岐・対馬・五島の見どころが一目瞭然「国境の島マップ」を公開! おすすめルートやPR動画、各島での周遊が更に楽しくなるコンテンツも順次公開!

長崎県、対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町の関係自治体等で構成する『日本遺産「国境の島」推進協議会』は、日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」の特設サイトを公開しました。
2015年4月、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」が、日本遺産第1号として認定されたことで話題となりましたが、この度は日本遺産のしま 壱岐・対馬・五島の魅力を広く発信するため、日本遺産認定から1年目にして、いよいよ公式サイトのオープンとなりました。

サイト内では、日本遺産に認定されたストーリーや構成文化財、各島の見どころを地図上で紹介する国境の島マップなどを公開しています。
また、日本遺産を楽しみながら巡るおすすめルートやPR動画、各島での周遊が更に楽しくなるコンテンツなども順次公開予定です。

■特設サイト:http://kokkyonoshima.com



[画像1: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-211078-5.jpg ]

[画像2: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-590450-4.jpg ]



[画像3: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-470590-2.jpg ]

■「日本遺産」とは?
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。ストーリーを語るうえで欠かせない魅力溢れる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外へ戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。
※文化庁ホームページ http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/


日本遺産「国境の島」とは?

■日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」とは?
(ストーリーの概要)
日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。
特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。
その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。
国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。
豊かな自然と、さまざまな文化が根付く「国境の島 壱岐・対馬・五島」の魅力をご紹介いたします。

■対馬
九州北方、韓国・釜山から約50kmに位置し、島の90%近くが山林で、島の中央部にリアス式海岸の浅茅湾を有します。古代から朝鮮半島との関わりが深く、晴れた日には韓国が肉眼で見えるほど近い「国境の島」の代表格です。

金石城跡(長崎県対馬市)
[画像4: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-670638-3.jpg ]

対馬藩主宗家の居城跡で、対馬市厳原町にある清水山の南麓に位置しています。1528年宗氏一族による内紛でもとの居城であった今屋敷の「池の館」が焼失し、その後、島主・宗将盛がこの地に館を移しました。1678年に桟原城が完成するまでは宗家の居城として使われ、その後は日本の玄関口として朝鮮通信使の迎賓館の役割も果たしました。現在では櫓門(左写真)が復元され、石垣の一部が遺されています。

長崎県立対馬歴史民俗資料館に所蔵されている江戸時代に描かれた絵図と合わせると、その規模の大きさがうかがえます。

■壱岐
九州と対馬の中間に位置し、丘陵性で平坦な壱岐島の周囲に、小離島が点在します。
海岸と丘陵部分の自然景観に恵まれ、「壱岐対馬国定公園」にも指定されています。

原の辻遺跡(長崎県壱岐市)
[画像5: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-744504-0.jpg ]

長崎県で2番目に広い平野である深江田原(ふかえたばる)にある原の辻遺跡は、弥生時代から古墳時代の初め(約2200年前から1650年前)に栄えた国内を代表する弥生時代の環濠集落跡で、国の特別史跡に指定されています。
中国の歴史書『三国志』の中の「魏志」倭人伝に壱岐島は「一支国」として登場し、弥生時代における最先端の交易拠点として重要な役割を果たしていました。

■五島
五島列島は、九州の最西端の長崎港から西に約100kmに位置し、福江島(五島市)、中通島(新上五島町)など大小140余りの島が連なり、ほぼ全域が西海国立公園に指定されています。

三井楽(みみらくのしま)(長崎県五島市)
[画像6: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-117326-1.jpg ]

五島市三井楽は『肥前国風土記』に「美禰良久之埼(みねらくのさき)」として登場し、遣唐使船最後の寄港地といわれています。
遣唐使はこの地を日本の見納めとし、決死の覚悟で旅立ちました。そのときの心境を記した空海の名文“日本最果ての地を去る”という意味の「辞本涯」の碑(左写真)が建立されています。
10世紀の『蜻蛉日記』では「亡き人に逢える島 ~みみらくのしま~」として紹介され、後代には異国との境界にある島、又は死者に逢える西方浄土の島として広く歌枕となりました。


特設サイト「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」  詳細
<サイト内コンテンツ>
■国境の島マップ
構成文化財、島のおすすめスポット、Wi-Fiスポットなどの情報を地図上に集約。
「文化財を写真から選ぶ」より文化財を選択すると、Googleマップが連動して位置が拡大されます。
その際、ふきだし内に表示される写真や説明文を閲覧することで、各文化財への理解を深めることができます。
また地図上には、その他の文化財や施設などの周辺情報も表示されるため、観光ルートを事前に検討することが可能で、スマートフォンでも閲覧できるため、現地へ訪問した際にも役立ちます。
[画像7: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-879030-7.jpg ]

■構成文化財紹介
壱岐市、対馬市、五島市、新上五島町の島ごとに、写真や説明文にて文化財を紹介。
「地図上で見る」をクリックすると、国境の島マップへ移動し、選択した文化財の位置情報が表示されます。
[画像8: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-121654-6.jpg ]

■国境の島ものがたり
日本遺産に認定された「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」のストーリーを紹介。
[画像9: http://prtimes.jp/i/19002/1/resize/d19002-1-127932-8.jpg ]


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