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国内現存最古と考えられる666年前の刀剣書が発見。12月26日より佐賀県立博物館にて刀剣書と刀剣の実物を展示。

PR TIMES / 2017年12月26日 11時1分

刀剣書「銘尽(龍造寺本)」と刀工「国行」「国光」「吉光(通称藤四郎)」の銘が刻まれた太刀等3点を2018年2月4日(日)迄展示。

この度、佐賀県立図書館が収集・保存する古文書などの貴重な歴史資料約13万点の中から、九州産業大学基礎教育センター吉原弘道准教授により、現存最古と考えられる南北朝時代の観応2年(西暦1351年)の刀剣書「銘尽(龍造寺本)」が発見されました。

県は、この発見を、広く県民の方に知っていただけるよう、2017年12月26日(火曜日)より約1か月間、「銘尽(龍造寺本)」の原本とこの資料に名前の出てくる刀工の銘がある太刀等3点の実物を佐賀県立博物館で展示します。この機会に、郷土に受け継がれてきた貴重な資料を是非御覧ください。




資料(原本)の展示公開について


(1) 場所:佐賀県立博物館 2号展示室(佐賀県佐賀市城内1-15-23)
(2) 期間:2017年12月26日(火曜日)から2018年2月4日(日曜日)まで
(3) 時間:9時30分から18時まで ※期間中の休館日(12月29日・30日・31日、2018年1月9日・15日・22日・29日)

[画像1: https://prtimes.jp/i/18574/77/resize/d18574-77-199924-0.jpg ]

[画像2: https://prtimes.jp/i/18574/77/resize/d18574-77-241467-1.jpg ]

[画像3: https://prtimes.jp/i/18574/77/resize/d18574-77-586271-2.jpg ]


刀剣書とは、刀工の名前や説明等を記したもの。今回発見された刀剣書「銘尽(龍造寺本)」は、龍造寺家文書277点のうち2点の「申状土代(訴状の下書き)」の裏に書かれたもので、古代から中世の刀工の名前等が墨書でびっしりと記されています。当時は紙が貴重であったため、不要となった文書の裏を利用することは珍しいことではありませんでした。

龍造寺家文書は佐賀県重要文化財に指定されていますが、これまでこの裏書については詳細な検討がなされておらず、刀剣書としては認知されていませんでした。今回の吉原氏の研究によって全容が紹介されるとともに、日本に現存する刀剣書の中で最古のものであると評価されました。吉原氏は今回の研究について、論文で公表される予定です。



論文について


(1) タイトル:「銘尽(龍造寺本)」から見える中世刀剣書の成立とその受容-申状土代の裏に書写された現存最古の刀剣書-
※申状は上申書、訴状のこと、土代は下書き、草案のこと

(2) 「銘尽(龍造寺本)」概要:
南北朝時代の観応2年(西暦1351年)12月頃、足利直冬※に恩賞として旧領回復を訴えるため、直冬の陣中に滞在していた龍造寺家政が、直冬かその関係者が持っていた秘本の刀剣書を借用し、家政本人か周辺の人物が書き写したものと推定されている。

収録された刀工の名前は総数約280を数え、その中にはこれまで現存最古の刀剣書とされていた重要文化財「銘尽(観智院本)」(応永30年(西暦1423年)写、国立国会図書館蔵)に収録されていない刀工の名も含まれている。

※足利直冬:室町幕府初代将軍足利尊氏の庶子。尊氏の弟直義の養子となる。対南朝の討伐軍の大将に起用されるが、直義と尊氏側近の高師直の対立から観応政変が起こると、直冬は尊氏から討伐される立場となった。直冬が下向した九州では、直冬の勢力と、尊氏配下の九州探題、後醍醐天皇の皇子懐良親王の勢力が三つ巴の争いを繰り広げた。

(3) 公表媒体:日本古文書学会編『古文書研究』84号、勉誠出版

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