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タグ・ホイヤーが2013年度「ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」表彰式を開催

PR TIMES / 2013年10月10日 19時32分

2013年10月9日(水) - タグ・ホイヤーは、2013年度「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME / ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム)」の表彰式を開催いたしました。2011年度に開設された「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME / ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム)」は、日本のモータースポーツをはじめ、自動車産業やの分野で多大なる貢献を果たしてきた功労者を表彰するもので、今年で3回目を迎えることとなりました。



「JAPAN MOTOR RACING HALL of FAME / ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」は、自動車およびモータースポーツに貢献した功労者に然るべきスポットライトが当たる場所をつくり、自動車業界の各分野で活躍を志す次世代の方々へ、歴代の偉人たちが築き上げてきた自動車文化を繋げたいという夢とともに発足したタグ・ホイヤーのプロジェクトです。

2011年度 第一回「ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」では、工業デザイナー・KEN OKUYAMA DESIGN 代表 奥山 清行氏、歌手・レーシングチームオーナー 兼 監督 近藤 真彦氏、「GQ Japan」編集長 鈴木 正文氏へ授与されました。2012年度第二回「ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」では、タレント 堺 正章氏、トヨタ チーム トムス監督 兼 フォーミュラ トヨタ レーシングスクール校長 関谷 正徳氏、日産自動車 常務執行役員 チーフクリエイティブオフィサー 中村 史郎氏、そして日本特殊陶業株式会社(NGKスパーククラブ)へ授与されました。またこの年より日本、そして世界のモータースポーツ界の未来を担う若きレーサーへ贈られる「ヤング・ホープ賞」が開設され、平川 亮選手へ授与されました。

2013年 タグ・ホイヤーの提案により、第一回と第二回の受賞者を迎えて「ジャパン・モーターレーシング・ホール・オブ・フェイム委員会」が発足されました。同3月に開催された第一回委員会へはMHD モエ ヘネシー ディアジオ株式会社 代表取締役社長 ジェイムズ・ペイトン氏を迎え、またタグ・ホイヤー ジャパン ジェネラルマネージャー アントワーヌ・パンも加わり、2013年度の受賞者選考会を開催いたしました。その選考委員会において委員会メンバーによる討議及び投票により選ばれた素晴らしい方々が、2013年度「ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」の受賞を快諾されたことを、タグ・ホイヤーは大変光栄に思います。2013年度の栄えある4名の受賞者は、唐沢 寿明氏(自動車文化人部門)、児玉 英雄氏(デザイナー部門)、高橋 国光氏(レーシング レジェンド部門)、そして中村 正三郎氏(モーターレーシング ワールド部門)です。また2013年度「ヤング・ホープ賞」には佐藤 公哉選手が選出されました。

授賞式には、2013年度受賞者のほか「ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」委員会メンバー、そしてルマン24時間耐久レースで優勝を果たしたドイツ人レーシング ドライバー アンドレ・ロッテラー氏がプレゼンターとして登場しました。また特別ゲストとして、F1ボーダーフォン・マクラーレンのドライバーであり、タグ・ホイヤーのアンバサダーであるジェンソン・バトン氏が会場に姿を現し、受賞者を祝いました。受賞者にはプレゼンターより、クリスタルの楯と秋冬の新作モデル〈カレラ 1887 クロノグラフ 富士スピードウェイ 日本限定モデル〉、そしてスワロフスキーの名前入りのモエ・エ・シャンドン(取り扱いMHDモエ ヘネシー ディアジオ株式会社)が贈られました。

1743年の創業以来、成功とエレガンスの象徴として愛され続けてきたモエ・エ・シャンドン。「シャンパンの魔法を世界中に」という願いのもと、この洗練されたワインを世界中に紹介し、人々を魅了してきました。その品質と豊かな泡立ち、美しく芳醇な味わいは、あらゆる時間を記念すべき瞬間へと導きます。モエ・エ・シャンドンは、モーター・レーシングにおいても、輝かしい成功を収めた人達が称えられる瞬間に立ち会い、賛辞を贈ってきました。そしてこれからも、喜びの瞬間、祝福の場面を演出する存在であり続けたいと願っています。モエ・エ・シャンドンは、270年の伝統を重んじながら技術革新を牽引し、未来へと続く持続可能なシャンパン造りを続けていきます。


タグ・ホイヤー本社 代表取締役 兼 CEO ステファン・ランダーは次のように語りました。
「今夜はとても特別な夜です。様々な会社がモータースポーツに関わる時計を作ろうと試みていますが、私達タグ・ホイヤーこそがモータースポーツに関わっていると宣言するにふさわしい会社であると信じています。ストップウォッチの機能を兼ね備えた時計は当時、我が社だけのオリジナル商品であり、それが認められオリンピックの公式ウォッチにも認定されました。モ―タースポーツの世界ではタイムを計るということがとても大切です。著名なドライバーも数多く我が社の時計を身につけてレースに参加してきました。昨年は時計のテクノロジーの賞としては最高峰の賞を受賞しました。これからもモーターレースと常にパートナーシップを組み、益々モータースポーツ界の発展に寄与していきたいと思っています。車を、そしてモーターレースを愛する多くの皆様がここにはいらっしゃると思います。 情熱を持った皆様と一晩過ごせることはとても光栄です」

タグ・ホイヤー ジャパン社長 アントワーヌ・パンは次のように語りました。
「皆ざま、今日はお越しくださいましてありがとうございました。この場所で皆さんにお会い出来ました事を大変光栄に思います。ご歓談しながら心ゆくまで楽しんでください。このイベントに携わって頂いた全ての皆様に感謝いたします」

ジェンソン・バトン氏は次のようにコメントを寄せました。
「私の目標は常に勝利を勝ち取ること、そして勝利のためにベストを尽くすことです。今年はなかなか難しいシーズンでしたが、その困難に打ち勝った我々のチームはより揺らぎない自信を手に入れたと思います。これからもパートナーシップをより強くして1番を目指していきたいと思います。僕の人生の一部となっているモータースポーツにおいて、想いを通じ合える皆さんと一緒にここで同じ時間を過ごせることはとても光栄です。今週末行われる鈴鹿サーキットでもベストを尽くしたいと思います。ありがとうございました」

タレントで「ジャパン・モーター・レーシング・ホール・オブ・フェイム」委員会メンバーの堺 正章氏は、授賞式の総評として次のように語りました。
「皆さま、本当におめでとうございました。唐沢さんのプレゼンターに間に合わなくて残念でした。
先ほど唐沢さんに、私ができなくてすみませんでしたとご挨拶したら、バトンさんの方が良かったと(笑)。ショックで来なければよかったと思いましたよ(笑)。唐沢さん、おめでとうございました。あなたがこういう場所に来てくれて、モータースポーツ界を開拓してくれて心から感謝しています。本当にこの方は車が好きなんです。車の話をしているときは目が輝いている。タグ・ホイヤーのように車に関する文化的なイベントを作ってくださっていることに感謝しなければいけないと毎年思っています。これ、一回受賞したらもう取れないのかな?例外はある?2回目を目指して頑張りたいと思います」


受賞者 プロフィール(50音順)

唐沢 寿明 氏 (自動車文化人部門)
'90年代より「愛という名のもとに(フジテレビ系列)」、「ホームワーク(TBS系列)」、NHK大河ドラマ「利家とまつ」、「新・西遊記(日本テレビ系列)」など幅広いジャンルの作品に主演。また、「白い巨塔(フジテレビ系列)」、「不毛地帯(フジテレビ系列)」や映画「20世紀少年(三部作)」など多くの代表作を世に残しています。最新作の「TAKE FIVE~俺たちは愛を盗めるか?」(TBS系列)にも主演し、各世代から圧倒的な支持を受け、現在では日本を代表する俳優の一人として知られています。その傍ら、プライベートでは熱心な自動車愛好家としても知られ、特にヒストリックカーの分野では上質なコレクションを持つ一方、自らのドライビングで積極的に各種ラリーイベントにも参加。また、国内A級ライセンスを取得してサーキットレースにも参加するなどの活動によって、大衆への自動車文化の流布に多大なる貢献を果たしています。

当日のコメント:
「車というものは本当に色々な出会いを運んできてくれるものだと思います。僕は子供の頃、ただのスーパーカー小僧でした。車が好きで、ありとあらゆる所にカメラを持ち歩いて車を撮影してきました。そんな趣味が高じて堺さんや車関係の方と素晴らしい出会いを得ることができました。車に乗るのが好きという趣味だけでこんなに広がりができたことは、僕の人生にとって重要なことです。これからもこの趣味をやり続けて若い人達に少しでも興味を持ってもられれば嬉しいですね。今日は本当にありがとうございました」

児玉 英雄 氏 (デザイナー部門)
1966年から2004年まで、実に38年もの長きに亘って独アダム・オペルAG社にデザイナーとして在籍。自動車デザイン史上における名作と称えられる複数のモデルのデザインを担当しました。ジャパン・モーターレーシング・ホール・オブ・フェイム第1回受賞者の奥山清行氏、第2回受賞者の中村史郎氏など、のちに世界の一流メーカーを舞台に活躍を果たすことになった日本人カーデザイナーにとっても、まさしくパイオニアとも言うべき人物の一人です。また、オペル在籍中から自動車画家としても活躍。自動車専門誌“CAR GRAPHIC”および“NAVI”にて合わせて20年以上も自身の自動車絵画を発表する連載を担当しているほか、特にクラシックカーをはじめとする自動車文化にも極めて造詣が深く、近年ではイタリアの“コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ”など世界の超一流コンクールデレガンスでも審査員を歴任。その見識の高さから世界中の尊敬を集めています。

当日のコメント:
「工業デザインに対する理解が深まって嬉しいです。ただひたすら、デザインが楽しくてここまでやってきました。デザインの世界に貢献したという認識は自分ではありませんが、こんな賞を頂いて光栄です。どうもありがとうございました」

高橋 国光 氏 (レーシング レジェンド部門)
1958年に浅間山麓で開催された2輪車レース“第一回全日本クラブマンレース”にて、弱冠18歳の若さでクラス優勝を果たしたのち、1960年から2輪世界GPに参戦。その後1964年に4輪ドライバーに転向したのちは、日本グランプリなどのビッグレースで優勝を重ね、全日本F2選手権、全日本耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権などでもおびただしい数の年間タイトルを獲得。1999年に59歳で引退するまで、日本の歴代トップカテゴリーにおいて最強のコンテンダーの一人として活躍しました。また、1995年にはル・マン24時間レースにおけるクラス優勝(総合8位)も果たしています。そして現役ドライバー引退後も、自身の“チーム国光”とともにチーム監督として活躍するほか、現代の日本レース界におけるトップカテゴリー“スーパーGT”を運営するGTアソシエイションの初代会長も務めるなど、まさに現代日本のレース界を代表する「生ける伝説」というべき人物です。

当日のコメント:
「モータースポーツは応援してくれる一般の方、ファンの方の理解があってこそのスポーツだとも思っています。世界には数多くの素晴らしいスポーツが存在していますが、その中でも私はモータースポーツが一番だと思っています。色々な理解が大切ですが、私もまだまだ頑張りたいですね。今日は本当にありがとうございました」

中村 正三郎 氏 (モーターレーシング ワールド部門)
戦後間もない頃に、片山豊氏を中心に戦後のモータースポーツの起爆剤の一つとなった日本スポーツカークラブの設立に参加し、占領下の日本に於いて米軍人の結成した東京スポーツカークラブとともに米軍管理下の飛行場にレースコースを設置してモータースポーツを始めました。第一回日本グランプリの開催が決まった際には、ドライバーライセンスのインストラクターを務めるなど様々なモータースポーツ活動に参加し、日本グランプリを始めとするビッグレースにも参戦してきました。その間ワークスには参加せず、生粋のアマチュアドライバーを通したジェントルマンドライバーです。1979年に衆議院議員に当選し26年間議員を務めましたが、その間国務大臣環境庁長官、法務大臣を歴任するとともに行政改革に携わり、その一環としてJAF(日本自動車連盟)の改革にも尽力。それまで困難であったJAF公認レース以外のレースあるいは米国系のレースの開催を可能とし、又JAF公認サーキットに課せられた制約を取り払いモータースポーツの発展に寄与しました。2009年には、自らコース設計を手がけ、今やアマチュアモータースポーツ愛好家のメッカとして親しまれている本格的サーキット“袖ヶ浦フォレストレースウェイ”を、千葉県袖ヶ浦市にオープンさせました。

当日のコメント:
「本当に光栄に思っています。タグ・ホイヤーはタイムを計る時計としては先陣を切ってきた会社です。私は若い人でもレースを楽しめるように自分でサーキットを作ってみたりしています。そういう地道なことで大きなレースも成り立つと思う。推薦してくださった皆さま、ありがとうございました」

佐藤 公哉 氏 (ヤング・ホープ賞)  
1989年10月5日、兵庫県神戸市に生まれた24歳。わずか4歳でカートレースを始め、8歳から12歳までの5年間に亘って鈴鹿サーキットが主催するSRS-Kに在籍。卒業後15歳で渡英し、イギリスのフォーミュラBMWに2シーズン参戦。2008年に帰国後、フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン(FCJ)や全日本F3選手権ナショナルクラスなどを歴戦しました。2011年にはヨーロッパに戻り、ユーロF3選手権で1勝。2012年にはドイツF3カップに参戦し、4勝してシリーズ3位を獲得しています。そして今シーズンは、F1直下のカテゴリーとして知られるAUTO-GPにステップアップ。通算5勝をマークし、最終戦まで年間チャンピオン争いを展開する大活躍を見せました。今年度の日本GPでは、F1ザウバー・チームのリザーヴドライバーに抜擢されるなど、現在F1GPに最も近い日本人ドライバーの一人として、世界の注目を集めています。

当日のコメント:
「今日は本当にありがとうございました。長いことモータースポーツをやらせて頂いていますが、こんなに大きな賞をもらったのは人生で初めてで嬉しいです。正直言葉が見つからないです。今年の成績を残すのに協力してくれた全ての人にありがとうと言いたいです。僕の人生の一部となっているモータースポーツにおいて、想いを通じ合える皆さんと一緒にいれて嬉しいです。これからもF1で長く成功してキャリアを作っていきたいと思います。ありがとうございました」


タグ・ホイヤーは、1911年に自動車・航空機用のダッシュボード クロノグラフ〈タイム・オブ・トリップ〉を手がけ特許を取得した後、1933年には世界初となる車載用12時間タイマー付クロノグラフ〈オウタヴィア〉を発表。1963年にはリストクロノグラフの傑作〈カレラ〉、1969年にはスティーブ・マックイーンに愛された〈モナコ〉、そして1986年にはボーダフォン・マクラーレン・メルセデスとのパートナーシップ締結を祝福した〈フォーミュラ1〉など、モータースポーツの息吹と伝統を体現したコレクションを世に送り出してきました。1970年代にはスクーデリア・フェラーリのオフィシャルサプライヤーとして、同チームのF1公式計時を担当しました。

その後1985年より続くボーダフォン・マクラーレン・メルセデスパートナーシップではさまざまなドラマが誕生しています。空前のF1ブームが起こった1990年代の日本においてホンダ・マルボロ ・マクラーレ
ンが、タグ・ホイヤーとともにグランプリ・シーンの象徴として社会現象を巻き起こしたことはご記憶に新しいでしょう。現在タグ・ホイヤーでは、ボーダフォン・マクラーレン・メルセデスの両雄であるジェンソン・バトン選手とセルジオ・ぺレス選手、2011年と2012年のルマン24時間耐久レースの覇者であるアンドレ・ロッテラー選手、ロマン・グロージャン選手、世界ラリーチャンピオンシップのスタードライバーであるセバスチャン・オジェ選手など偉大なレーサー達をアンバサダーに迎えています。
2014年9月より開催されるFIAフォーミュラEチャンピオンシップのオフィシャルサプライヤーとして、タグ・ホイヤーが公式計時を担当することが先頃発表されました。タグ・ホイヤーはいつの時代も自動車およびモータースポーツの歴史とともに歩んでいます。

Brand Information:
LVMH ウォッチ・ジュエリー ジャパン株式会社 タグ・ホイヤー ディヴィジョン
TEL : 03-3613-3921 http://www.tagheuer.com http://www.tagheuer.co.jp

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