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「合気道 稽古とこころ」重版出来 特別インタビュー 140カ国、160万人 世界中で愛好される調和の武道 実生活でも活きる合気道のこころ

PR TIMES / 2019年8月2日 7時40分



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「合気道 稽古とこころ」の重版が決定した。
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世界140の国と地域、国内2400の道場で会員160万人が愛好する合気道の精神と、稽古のあり方、心がまえを著者の合気道道主・植芝守央氏にうかがった。


◆稽古を通じて調和のこころを学ぶ
―― 合気道というのはどのような武道ですか?
合気道の創始者である開祖・植芝盛平翁が唱えた合気道の理念として「和合の武道」「万有愛護の道」「武は愛なり」といった言葉があります。合気道は至誠の人、真心をもってバランスよく相手と接することができる人を育てる道とも置きかえられます。


―― 合気道では試合・競技を行わないとうかがっています。
試合・競技をやらないのではなく、もともとないのです。優劣や勝敗を競うことを目的とはしておらず、稽古で技を習得し、心身を鍛え、互いに高めあうことを目的としています。合気道は、それをそのまま稽古法が体現しています。技をかける側、技をかけられる側が交代して、交互に技の稽古をしていきます。

技を人前で披露する演武、また段・級の審査はありますが、稽古で積み重ねてきた成果を確認するためのものであり、稽古の目標・励みの一つです。審査や演武のために稽古があるわけではなく、稽古を通じて己を磨いていくことそのものが目的です。


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―― 稽古を行ううえで大切なことは何でしょうか?
技の習得には正確な稽古が必要です。そのためにも相手と力を争うようなことはせず、技をかける側も相手を痛めつけるような投げ方、極め方をしない。技を受ける側も相手の技がかからないようにこらえたりせず、自然体で受け身をとります。

基本的なことをきちんと素直にやれば、相手にもそれが伝わります。逆に、相手を嫌がらせたり、不愉快な思いをさせるようでは技がうまくかからないものです。相手を痛めつけようという気持ちは自分の力みや硬さにもつながり、相手もそれを察知し身構え技をこらえようとしてしまいます。それでは正確な技の稽古ができません。

自分がされて嫌なことは相手にしないということです。自分がされて嫌なことを人にすれば、やはり相手も嫌な思いをするでしょう。相手が嫌がることをやる、そういう行為が、今度はやられたらやりかえすという考えにつながり、さらなる不協和音が生まれるものです。


―― 相手の立場になって考えるということが大切なのですね。
もちろん、馴れ合うということではなく、しっかり打つところは打ち、つかむところはつかむ。素直に正しく技を行うことが大切です。その中で養われていくのが、相手のことを認め、尊重する和合の精神です。

これは合気道に限らず一般の社会においても同じことが言えるのではないでしょうか。私は人間関係においても否定語をなるべく使わないようにしています。否定から入るとその先に何も生まれません。まず一回相手の話を聞いて、自分とは合わなくとも、落ち着いてから考えるようにしています。自分のやり方・意見を押し通すのではなく、そうかといって、なんでもかんでも闇雲に受け入れるということでもなく、相手のことをよく見てお互いにとって何が一番適切かを考える。

稽古を通じて、そういった対応力、人との適切な距離感を学び、日常生活にも反映されるようになってくれれば、これほど素晴らしいことはありません。


◆対立、衝突を超越する真の強さ
―― 試合・競技がない武道で強くなれるのでしょうか?
殴り合って勝つ、取っ組み合って勝つ、それも強さの一つだと思います。武道の門をたたく人がそういう強さを求める気持ちはわからないでもありません。人間が持つ本能のようなものかもしれません。

しかし合気道の稽古で目指す強さは、もっと幅広い、人間的な強さです。人間が生きていく中で、仕事や人間関係など様々な困難が起こります。諍いが起きないようにバランス良く対応できる強さ。好き嫌い、発想や意見、年齢・性格・経歴の違いを超えて相手と調和して物事を推し進めていく強さ。そして一つのことを根気強く積み重ねていく強さ……人生を生きていく上で求められるのはそういった強さです。稽古を通じて体だけでなく心も練らなければなりません。

道場の中だけでなく、道場の外、一般の社会で通用する人間にならなければ現代において武道をやる意味はありません。人間は自分ひとりで生きてられるものではなく、多くの人たちと関わりながら生きているわけですから、稽古で培ったことを社会の中でどれだけ活かすことができるのかが問われると思います。

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―― 相手を尊重する中で、自分を厳しく律して強さを磨いていくわけですね。
闘争心や上手くなりたいという気持ちが前面に出てしまうとそれはもう合気道の稽古ではなくなります。相手と比べて自分の方が技を上手くできるとか、相手がちょっと気に入らないといった気持ちを律することができるようにならなければなりません。相手を尊重するためには、自分の負の感情と向き合い、律していく強さが求められます。相手がいるおかげで稽古ができるのだという気持ちを忘れてはなりません。

稽古で相手と触れ合う中で、自分の体の状態、姿勢、物の捉え方、自分の心のあり方と向き合う、見つめ直す……自分を磨くという行為は、独りよがりな姿勢でできるものではありません。人は他者と関わることで初めて自分というものを知り、自分を磨いていくものだと私は思います。

また合気道では、性別、年齢、身長、体重、手足の長さ、体の柔軟性や筋力、技の習熟度、さらには性格や社会的経験も違う、さまざまな人たちを相手に稽古をします。どんな人とでも稽古ができるように相手をよく見て理解する。そういう稽古を積み重ねていくことで、対応力が磨かれていきます。物事を柔軟にとらえる力、相手の気持ちを察した上での適切な距離の取り方、人間としての幅の広さが生まれてくるでしょう。

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◆「道」というものの豊かさ
―― 稽古を長く続ける秘訣は何でしょうか?
すぐに結果を求めないことでしょう。美容・健康、体力づくりなど様々な目的で入門される方がいますが、合気道をやればすぐに効果が表れるというものではありません。

「何かいいことがある」という気持ちが先立つよりも、淡々と稽古を積み重ね「ふりかえってみた時にいい方向になってきた」、という方が稽古を長く続けられるものです。自分のペースでいいので、辞めることなく、積み重ねていただきたいと思います。闇雲に稽古の量、回数を増やしたところで、突然目に見えて成果があらわれるというものでもありませんし、無理は続くものではありません。やはりある程度年月をかけて、技も体も心も練り上げていく必要があります。

停滞する時期、上手くいかない時もあります。辞めたいと思う時あるでしょう。その時々で苦しいことや辛いことがあっても、それでも前向きな心を持って、少しでも良くあろうとそれを求めて一歩、一歩、進んでいく。それが「道」というものです。来た道を振り返ってみた時には、必ずいい方向になってきているはずです。

それが大きな自信、心のゆとりにもつながるでしょう。それが相手を思いやる気持ち、尊重する気持ちへとつながっていくのではないでしょうか。ふりかえってみた時に「合気道の稽古を続けてきてよかったな」と思っていただけたら、私にとって、これほどうれしいことはありません。


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―― 稽古をされている方に、どのようになって欲しいとお考えですか?
私も合気道の指導者という立場である以上、道場で行うのは稽古と技をしっかりと指導することだけです。とりたてて「人としてこう生きねばならぬ」というような人生訓や処世訓を稽古に来られる方たちに説いているわけではありません。

それでも、単なる技術習得や、楽しみにとどまるような稽古を続けて欲しくはありません。本来、殺戮・殺傷の手段であった「武術」を、人を育成する「武道」に昇華させて、現代まで伝え続けてきた先人が求めたものは何だったのか。

開祖が遺された「合気道練習上の心得」に「合気道は心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし」とあります。至誠の人とは、どんな相手に対しても真心を持って接することができる人のことです。これまで述べてきた合気道の稽古法の根底にある精神を社会生活の中でも実践できる人になって欲しいと思います。

「真心を持って人に接する」と言葉にするのはたやすいことですが、人間である以上、人の好き嫌いはあります。体調や機嫌がいい時ならともかく、そうでない時にできるかどうか。人生の中で、社会生活の中で様々なことが起こり、仕事や家庭などの事情で気持ちの浮き沈み、平常心を保てないような時もあるでしょう。

合気道を稽古してさえいればそれらを全て乗り切れるとまでは言いませんが、それでも稽古を通じて、苦しい時も自己を律して真心を持ち続ける強さをもった人になっていって欲しいと願っています。

かくいう私がそれをできているのかと問われれば、まだまだです。

開祖でさえ、晩年「爺は一生修業じゃ」と言われました。また「爺には弟子は一人もおらん。でも稽古をする仲間はいっぱいおるよ」とも。

私自身も「至誠の人」となるべく、いつまでも修業の身だと思っています。皆様とともに同じ道を歩んでいます。大変な道であり一生かかってもたどりつけない境地かもしれませんが、努力を積み重ねること自体が尊いことなのだと思っています。理想は確かにあるわけで、そこに向かって向上心を持って歩み続けていきたいと思います。


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◆プロフィール
植芝守央(うえしば もりてる)
1951年生まれ。合気道道主。父は二代道主植芝吉祥丸。祖父は開祖植芝盛平。
明治学院大学経済学部を卒業後、財団法人合気会に奉職。合気会専務理事、本部道場長を経、合気会理事長を経て、1999年、合気道道主を継承。
公益財団法人合気会理事長、国際合気道連盟会長、公益財団法人日本武道館理事、国際武道大学名誉客員教授など要職を務める。ブラジル国のアンシェッタ勲章、ロシア大統領友好勲章、藍綬褒章を受章。
●公益財団法人合気会
http://www.aikikai.or.jp

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