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【江戸東京博物館】企画展「徳川一門―将軍家をささえたひとびと―」開催のお知らせ

PR TIMES / 2021年11月17日 17時45分

 長き戦乱の世に終止符をうち、慶長8年(1603)に江戸幕府を開いた徳川家康。以降、260余年にわたって泰平の世が続いた江戸時代は、家康を始祖とする徳川将軍家の治世によってもたらされました。この徳川将軍家は、どのように築き上げられたのでしょうか。
 江戸幕府の将軍は15代続きました。しかし、初代家康の直系は4代家綱で、徳川宗家の血筋は7代家継で絶えています。そのため、御三家のひとつである紀伊家から吉宗が8代将軍として迎えられ、以降は11代家斉が一橋家から、14代家茂が紀伊家から、そして最後の将軍15代慶喜は一橋家からと、御三家・御三卿から将軍職を継承した人々が、将軍家を支えていきました。将軍家存続の背景には、こうした「外」から将軍家に入った徳川のひとびとの存在が大きいといえるでしょう。
 本展では、このような将軍家を支えた徳川のひとびとの活躍を、徳川宗家に伝来するゆかりの品々を通してご紹介いたします。



1 会期
2022年(令和4)1月2日(日)~3月6日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時30分 (土曜日は午前9時30分~午後7時30分) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:1月11日(火)・17日(月)・24日(月)・31日(月)、2月7日(月)・14日(月)・21日(月)・28日(月)
※展覧会会期や閉館時間等の最新情報は、公式ホームページ、Twitterでご確認ください。


2 会場 東京都江戸東京博物館 常設展示室内 5F企画展示室
※会期中に展示替えがあります。


3 観覧料 企画展は常設展観覧料でご覧になれます。
一般:600円/大学・専門学校生:480円/高校生・中学生(都外)・65歳以上:300円/中学生(都内)・小学生以下無料
※2022年1月2日・3日は常設展観覧料無料


4 主催 東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、公益財団法人徳川記念財団


5 展示構成および主な資料
プロローグ ―将軍家康―
 長き戦乱の世に終止符をうち、慶長8年(1603)に江戸幕府を開いた徳川家康。以降、260余年にわたって続いた江戸時代という泰平の時代は、家康を始祖とする徳川将軍家の治世によってもたらされた。
 幕府草創期において徳川家の基盤となったのは、家康のこどもたちであった。その子息を概観すると、長男信康(のぶやす)は織田、武田氏との外交関係の中で自刃し、次男秀康(ひでやす)は豊臣秀吉の養子に、3男秀忠(ひでただ)は嫡子として江戸に据え置かれた。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いまでにもうけた子息はこの3人を含めて8人いたが、長男と3男を除く6人が他家の養子となり、譜代大名として徳川家を守る存在とするべく布石された。関ケ原の戦い後には、4男忠吉(ただよし)は尾張国清須藩52万石、5男信吉(のぶよし)は常陸国水戸藩15万石、6男忠輝(ただてる)は下総国佐倉藩4万石ののちに越後国高田に60万石を与えられる。しかし、忠吉と信吉が早世し、忠輝も自らの不行跡により改易に処せられた。その結果、後に儲けた9男義直(よしなお)が尾張に、10男頼宣(よりのぶ)が駿府(のちに紀伊へ転封)へ、また11男頼房(よりふさ)は水戸に封ぜられた。
 こうして家康の子どもたちは政治的・軍事的枢要地を得て、徳川を名乗る。のちに徳川御三家につながるこの徳川一門の創設は、徳川幕府による支配体制を促すとともに、将軍家の存続を支える大きな存在となっていく。
[画像1: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-e0bf30be849dcbaecbb6-0.jpg ]

[画像2: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-4cbfe86d0889f3d07549-1.jpg ]

1章 御三家・御三卿 ―吉宗の登場―
 家康は歿後に東照大権現として神格化され、その子義直(よしなお)、頼宣(よりのぶ)、頼房(よりふさ)を当主とする徳川三家は、尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家となり、のちに御三家(ごさんけ)と呼ばれるようになる。この御三家は神君家康の血を引く家柄として、幕府の重要政策への参画や将軍家に後嗣がいない場合に将軍継承者を輩出するなど、大名の中にあって他とは異なる重要な役割を担うこととなった。
 しかしながら、家康以降の将軍家は2代秀忠(ひでただ)から7代家継(いえつぐ)まで嫡流で継承されていった。このことにより、徐々に将軍家と御三家の血縁は疎遠になる。そのようななかで、正徳6年(1716)家継がわずか8歳で夭折すると、この血統は絶えてしまう。そこで、御三家から初めて将軍家を相続し8代将軍となったのが、既に紀伊家当主となっていた吉宗(よしむね)である。初代家康の曾孫という血縁の近さからであった。
 紀伊家出身の吉宗は、時代とともに御三家と将軍家との間柄が疎遠になったことを受け、また自らの血統を維持するべく、自らの次男宗武(むねたけ)と4男宗尹(むねただ)にそれぞれ、江戸城田安門内と一橋門内に邸を与え、新たに一家を起こさせる。いわば将軍の家族としての位置づけをした。これを御両卿(ごりょうきょう)という。この後、9代家重も自らの次男重好(しげよし)に同じく清水門内に邸を与え、これをもって田安・一橋・清水の御三卿(ごさんきょう)が誕生する。
 以降、連綿と受け継がれていく吉宗の血統は、吉宗の曾孫にあたる11代家斉(いえなり)を経てさらに拡大していくこととなる。
[画像3: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-29e7ea9594d4cb99fcf1-2.jpg ]

第2章 一門の広がり ―家斉とその子どもたち―
 化政文化が花開いた文化・文政(1804~1830)のころ、時の将軍は御三卿一橋家より迎えられた11代家斉(いえなり)であった。一橋徳川家2代目であった治済(はるさだ)の長男として生まれ、天明7年(1787)に将軍宣下を受けた時わずか15歳。御三卿から出た初めての将軍は、在職年数50年、さらに4年間大御所として「西の丸政治」を行い、通算54年と歴代稀にみるほど長期的に政権を握る。
 家斉は、53人と多くの子女を儲け、実子の大多数を御三家、御三卿、さらには外様大名へ次々に養子や婚姻によって配した。これにより、将軍家を外から支える血脈を広げていく。なかでも、津山藩主であり幕府側の大政奉還の実務を指揮した16男松平斉民(まつだいらなりたみ)(確堂(かくどう))や、外様大名である徳島藩主蜂須賀斉昌(はちすかなりまさ)の養嗣子に出された22男の蜂須賀斉裕(なりひろ)らが、幕末政局において果たした役割は大きい。また、7男徳川斉順(なりゆき)は紀伊徳川家11代目となるが、その子慶福(よしとみ)(後の家茂)は時を経て紀伊家から将軍家を継承する。
 こうした破格の長期政権の掌握と多数の子女の縁組は、8代吉宗から始まった新たな徳川宗家の血統の流れを拡大するとともに、確固たるものへと築き上げ、将軍家を支えたのである。
[画像4: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-a097519680424c3ae804-7.jpg ]

[画像5: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-adf55ae4a20e7484ad67-4.jpg ]

第3章 激動の中で ―天璋院・家茂・和宮・慶喜―
 まさにペリー率いる4隻のアメリカ東インド艦隊が浦賀沖に現れた嘉永6年(1853)6月、12代将軍家慶(いえよし)は死去し、同年11月に4男家定(いえさだ)が13代将軍に就任した。しかしながら、家定は病弱であったためか実子には恵まれず、すでに在職中から将軍継嗣問題が浮上していた。
 家定の死後、権謀術数渦巻く将軍の跡目相続は、大老・井伊直弼(いいなおすけ)の強い後押しにより紀州藩主であった慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))が14代将軍に就任することで収束する。だが、攘夷運動をはじめとする熾烈な内政、兵庫開港と条約勅許等の外交と、家茂は苦境に立たされ、慶応2年(1866)わずか21歳でその生涯を終える。その後を引き継ぎ15代将軍となったのは、水戸家出身であり、後に一橋家当主となった慶喜(よしのぶ)である。
 激動の時代における将軍は、2代続けて御三家・御三卿出身であったが、外から将軍家に入り家を支えたのは、将軍その人だけではない。薩摩藩主島津家の一門のひとつ今和泉島津家に生まれ、13代家定の御台所となった天璋院(てんしょういん)(篤姫(あつひめ))。そして、緊張関係にあった幕府と朝廷の関係修復のため14代家茂の正室として降嫁した皇女和宮(かずのみや)。この二人の御台所は、国事に奔走する将軍が不在となった江戸城大奥を束ねただけでなく、婚家である徳川家の存続の重責を担い一命を賭した。
 幕末の将軍家は継嗣問題や抗えない新時代の波と、様々な問題に直面する中で、外から将軍家にはいった人々によって支えられ「家」を存続させていくのであった。
[画像6: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-a6e8d5420ff2b617595e-5.jpg ]

[画像7: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-217f47a2d4d50f9ec5b3-6.jpg ]

エピローグ ―公爵家達―
 慶応3年(1867)12月に王政復古の大号令により幕府・将軍職が廃止された後、時は江戸から明治へ、政権は徳川幕府から明治新政府へと転じる。
 最後の将軍となった15代慶喜が恭順・謹慎を貫くとともに、天璋院・和宮による江戸進撃の中止と家名存続の働きかけ、そして勝海舟らの尽力により江戸無血開城がなされると、慶応4年(1868)閏4月29日、徳川宗家の家名相続が認められた。御三卿田安家から徳川宗家16代当主を継いだ田安亀之助(たやすかめのすけ)は、この時わずか6歳であった。宗家相続後、亀之助は徳川家達(いえさと)と名を改め、同年5月、新政府によって駿河国府中(現在の静岡県静岡市)城主となり70万石を下賜された。翌明治2年(1869)には版籍奉還によって静岡藩知事となるが、明治4年(1871)に廃藩置県が実施されると、各藩知事と同様に辞官し、東京へと戻る。
 時代の転換期とともに徳川将軍家は公爵家となり、明治以後の新たな徳川家へと変化を遂げる。しかしその目まぐるしい変化の中にあって、「家」は確実に継承されていった。
[画像8: https://prtimes.jp/i/38211/292/resize/d38211-292-2b71aa2b8e8e0881fe57-8.jpg ]

6 関連イベント・その他
●ミュージアムトーク3回: 1月7日(金)、1月28日(金)、2月4日(金)
(各回とも午後4時から15分程度、於:常設展示室内5F企画展示室)
●えどはくカルチャー
企画展「徳川一門―将軍家をささえたひとびと―」関連講座(事前応募制): 1月12日(水)、2月2日(水)
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、掲載の内容が変更または中止となる場合があります。最新の情報はホームページをご覧ください。


7 プレス・プレビュー
一般公開に先立ち、下記のとおりプレス・プレビューを開催いたします。ご多忙の折とは存じますが、ご出席賜りますようご案内申し上げます。
                記
【日時】 2021年(令和3)12月21日(火)午後2時30分~午後4時00分
【会場】 東京都江戸東京博物館 常設展示室内 5F企画展示室
【内容】
  午後2時00分 受付開始
  午後2時30分 プレス・プレビュー開始
  ■挨 拶:東京都江戸東京博物館 事業企画課長 飯塚晴美
  ■展示解説:公益財団法人徳川記念財団 学芸部長 徳川典子
  午後4時00分 内覧終了
  ※受付は事務棟入口で行いますのでご注意ください。(地図参照)
  ※受付で「プレス腕章」をお受け取り後、随時 企画展示室まで職員がご案内いたします。
  ※プレビュー開始前の会場撮影はできません。
【内覧会のお申込み方法】
 下記(1)~(7)をご記入の上、メール又はFAXで12月17日(金)までにお申し込みください。
 (1)貴社名
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 (4)ご住所
 (5)TEL
 (6)FAX
 (7)メールアドレス

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