歴代天皇の質素な生活                       外交評論家  加瀬英明

クオリティ埼玉 / 2014年2月6日 6時6分

 歴代の天皇は、京都御所に住まわれた。
 御所は誰でも望めば、容易に越せる浅い溝によって、囲まれている。中国、朝鮮、インド、ヨーロッパでは、皇帝や王は贅を尽くした日常を送ったが、天皇は質素な生活を営まれた。
 私は高松宮宣仁親王殿下に戦前、戦時中、占領下時代のお話を伺うために、しばしばお時間を戴いて、御殿に伺候した。ある時、殿下が敗戦後にイギリス王室から日英の王皇室が所有する「宝物を交換して展示したい」という申し入れがあったといわれた。
 「ところが、わがほうは残念ながら何もないからね。丁寧に辞退したよ」と仰言って、笑った。
 喜久子妃殿下が同席されていた。妃殿下は徳川最後の将軍徳川慶喜公の孫に当たられるが、「わたくしが皇室に嫁いだ時に驚いたのは、何も財宝がなかったことでした」といわれた。妃殿下は茶目っ気がおありだったから「正倉院の御物ぐらいでしょうが、がらくたのようなものね」と、つけ加えられた。
 妃殿下は幼い時に、祖父の慶喜公の膝に抱かれたことを、覚えておられた。徳川家の財宝と比較して、そう感じられたのだろう。
 日本では皇室だけが、質実だったのではない。
 幕末にアメリカ初代領事だったタウンゼント・ハリスは、将軍家茂に江戸城で謁見したが、大君(注・将軍)の衣服は絹布でできており、それに少しだけ金刺繍がほどこしてあった。だが、想像されるような王者らしい豪華とは、ほど遠かった。宝石も、黄金の装飾もなく、ダイヤモンドを散りばめた刀もなかった。私の服装のほうが、はるかに高価だった」と記している。ハリスは金モールによって飾られた大礼服を着用していた。日本人が光ったものは野暮だという美意識をいだいていたことを、知らなかったのだろう。
 慶喜公といえば、水戸藩主の徳川斉昭の子として生まれ、分家の一橋家を嗣いだが、幼少から食事といえば一汁一菜だった。鳥肉か、魚が月に3日ついた。布服や、蒲団は木綿か、麻で絹は使われなかった。
 美食や贅沢は、町民が行うものだった。武士は生活の規範として、質素であることを求められた。もっとも、庶民も日常の食事は一汁一菜だった。
 もちろん、武士のなかにも華美の風俗に染まるものもあったが、庶民も含めて質実であることが、社会の規範となっていた。
(徳の国富論  7章 神事と歌を継ぐ天皇)

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