品格ある子どもの育て方第三章 「中学受験」で品格をどうつけさせるか(42)

クオリティ埼玉 / 2014年2月6日 6時6分

自由と責任をしっかり認識させる
~放任・自由・規律・管理の境界線を把握する~
 
 品格ある子どものキーワードが自立であることはすでに書きました。この自立は、こと勉強においては自学自習と名を換えながら、詳しくは後述しますが、受験の際に見えない影響を学校そして受験生に及ぼします。
 特に高校受験だと、実力を出せずに不本意な結果に終わってしまう場合には、親の過干渉が見え隠れする場合が多いのです。15歳にもなった子どもの、入試直前期の学習内容まで親が管理している、なんて場合もあります。
 中学受験でもそうですが、入試を通して自学自習を身につけた子どもは間違いなく強い。これは単に合格しやすいというレベルではなく、人間としてたくましくしっかりするというレベルです。
 今自分が何をすべきか、自分に足りないものは何かと自発的に考え、実行することができるようになることが、文字通り入試で燃え尽きない頭脳・人間の育成につながっています。いわゆる難関校がほしがる人材はまさにこれであって、過干渉は真っ向からこれと反するのです。
 前述したW杯敗戦後のジーコのコメントに、「グラウンドでは監督の力は少ししか作用しないのだから・・・・・」とありました。
 グラウンド→試験会場、監督→親・教師・塾教師
と読み換えれば、まさに受験生に対しても通用する言葉ではないでしょうか。もちろん他のスポーツにも、他の競技にも、そして品格ある子どもの育成を考える上でも、大きな意味を持つ言葉なのです。
 ジーコはこのコメントで、「だから指示されるのではなく選手自らが状況判断できるように、自主性を育てようとした」と言いたかったのではないでしょうか。まさに選手個々人が自学自習する状況・環境を理想として、構築しようとしてきたのでしょう。
 ただし、こうした状況・環境を実際に構築させることは非常に難しいのです。あのジーコでさえ、結局選手たちにこれを浸透させることはできませんでした。
 全国に多数存在する教師や塾講師のうちのどれほどが、子どもたちにこの大切な感覚を伝えきれているのでしょうか。
 ジーコのように選手(生徒)個々の能力を過信しすぎて、直前で伸ばしきれなかったり、かつてのトルシエのように徹底的な管理下に置いて、選手(生徒)の自主性を奪ったり。もちろん、親にも同じことがあてはまります。
 だから品格ある子どもを育てたいと考える大人は、間違いなく自分が接する子どもに対して、
 放任⇔自由⇔規律⇔管理
の境界線をしっかり把握し、周囲の大人たちと共有しておかなければならないのです。
 一部の学校(第4章で紹介します)のように放任(放置)でもだめ、一部の進学塾のように管理一辺倒でもだめなのです。保護者として、自分の子どもの周りの環境がこの4つのどの位置にあるのかということには、常に便感でなければなりません。
 ジーコは会見の最後に「プロ意識が足りない」と言いました。サッカーであればそれでもいいでしょう。しかし、受験生に対して、私たち大人が「受験生としての意識が足りない」といくら言っても始まらないわけです。難関校を目指すなら受験生のプロになることが要求されている以上、いつか本人が自覚する必要があるのです。
 品格ある子どもを育てないのなら、品格という言葉は使わないまでも、こういう子どもに育ってほしいという信念を持ち、しっかりと子どもに伝え、子ども自身が受け止める。ここまでが一連の流れになります。
 ではその信念を、どうやって子どもはつかむのでしょう。これは、ある日突然なんとなくわかったというものではありません。周りの大人がジワジワ少しずつ時間をかけて植え付けていくものなのです。
 受験で言えば、塾講師はお金をいただいてそれを植え、うまく育てるのが仕事です。それを共有して、育てるサポートをするのが保護者の役割になります。
 血走った目でにらまれながらの食事は、せっかく植えた意識を一気に枯れさせることになりますので気をつけてください。
「品格ある子どもの育て方(PHP文庫) 秋田洋和著」より 

クオリティ埼玉

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