戦略の偽音楽家と真の芸術

クオリティ埼玉 / 2014年2月11日 1時0分

仕事には戦略戦術がともなうものだ。
しかし芸術の道ではそういったものは必要不可欠であるというのが私の信条である。
なぜなら芸術とは万人に受け入れられる必要がないからだ。
たとえ少数でもそのものの心を動かすものこそ、芸術ではないだろうか。
逆に言えば、すべてのひとに受け入れてもらおうとするとある種の邪心が入る。
それは感性の赴くままの作品ではない。
金欲のため、あるいは名声のため、万人に受け入れられるにはどうしたらいいかと戦略をうつものだ。
 
いま世間を賑わせている「現代のベートーベン」と言われた彼がそうだ。
彼のやったことはある意味、戦略だ。
聴覚障害、被爆二世と世間の同情を得る「佐村河内 守」という一つの偽りの音楽家を作りだし、演じた。
彼がプロデューサーだったら名プロデューサーかもしれない。
作品で注目を浴びるよりも、まずは万人に同情を得るキャラを作りだし脚光を浴びせたのだから。
しかし一つの作品を創りだす芸術家ときたら話はちがう。
ただの偽音楽家である。まさに詐欺である。
そして彼の曲に感動を受けたものは彼のキャラなくして本当に動かされたのだろうかと疑問が残る。
 
また、本の世界では芥川賞や直木賞のような名誉ある賞がある。
この受賞した本がすべて素晴らしい作品かというとそれは別の話だ。
話題に踊らされ、手に取ってみるとページが進まないものも数多くあった。
 
受ける側も作品のブランドや作者のキャラに惑わされることなく、賢く見分ける力を養わなければならないと再認識させられた。
 
芸術とは何か。芸術とはひとを裏切る偽物であってはならない。
創り出すひとではなく、その曲に、その本に、その作品に自分が動かされたとしたらそれが自分にとっての真の芸術ではないだろうか。
(古城 智美)

クオリティ埼玉

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