不入り「橋下劇場」改装へ

クオリティ埼玉 / 2014年3月31日 0時19分

   盛り上がらないままに大阪市長選挙が終わった。盛り上がっていたのはマック赤坂候補だけとラジオ番組でオチョクられる始末で、次点が白票の4万5千票であった。無効票6万7千票の7割近くが白紙で投じられた異常な選挙であった。仕掛けた橋下市長にとっては内容的にもまったく無残な結果に終わってしまった。投票率の23.59%は大阪市長選挙の最低記録を大幅に塗り替えてしまうし、出口調査で出直し市長選挙を「評価しない」が47%で、「評価する」の46%をわずかだが上回ってしまった事に驚愕したに違いない。僅少差だと思うなかれ、全体の8割近い人が橋下徹に投票した訳だから、支援者(味方)の半分が、この出直し選挙の必要は無かったと言っているのだ。そして、これこそが責任ある大阪市民の紛れも無い意見であろう。
   当選後の橋下市長は浮かない顔で「これで大阪都構想の住民投票までの信任は得た」と見栄を張ったが、意のままにならなかったのがよほど悔しいのか「こんな選挙に足を運んだ人に感謝する」と暴言を吐いた。もっとましな候補者が出ればこんな低調な選挙にならなかった筈だと候補者擁立を見送って論戦に応じなかった既成政党への怒りが、こんな失言に繋がったようだが、語るに落ちるとはこの事である。こんな選挙を強行した当事者が自分である事をまったく忘れてしまっているのが滑稽であった。
   シャープな感覚と歯切れの良い応答の橋下徹がカリスマ性のある人物である事は認めるが、性格なのか経験不足なのか、いささか「礼節」欠けているよう思えてならないが如何だろうか。「お辞儀」や「お礼」と言った軽い意味ではなくて、社会を維持してゆくために必要な「礼儀」である。古代のように法律が未整備だった時代には、おのおのが「礼」によって自己を律しなければ社会秩序を維持してゆくことが出来なかったのだ。時代が古いほど社会は「法」によって統制できずに個人の心がけである「礼」に頼っていたのである。長い歴史の間に「法」は少しずつ整備され蓄積され、さほど「礼」のお世話にならなくてもよさそうな法治国家で生活できるようになり「法」を犯さなければ罰せられないとなったのだが、しかし、「法」は完成した訳ではないのである。人類が続く限り「法」が完成を見ることはないのである。「法」はいつまでたっても未整備には違いないのであるから、この機能に依存して「礼」を忘れる事になってはならないのである。法律のみを社会の規範としてしまい現代社会は「法さえ犯さなければ何をやってもいい」という誤った感覚の中で人々は生きているのである。橋下政治はこの典型であろう。その政治手法のほとんどが「法」を守って「礼」を失したものになっているのである。
   弁護士が職業意識旺盛なあまりに法律万能主義に陥ったとしても、まあ、法廷闘争の場であったならば許せると思うが、影響力の大きい政治リーダーの精神的なバックボーンがこれであったならば、必ずどこかにゆがみが生じて、やがては社会全体の崩壊に繋がりかねないと危惧するのは私だけであろうか。法律は全能ではなく、「礼」を失した者を罰するための補助装置でなければならない。それが法治国家の正しいあり方である筈だ。故事に曰く「礼は国家の幹たり」である。
   橋下市長の思考は常に正しいのは自分であり、正しいことが判らないのは相手が悪いと攻撃しているが、良いか悪いかの二択よりも、先ず他人の意見も聞いて欲しいと思っている。細かい予算をさらに厳しく削ってまでも市民に緊縮財政を強いているのに、何でこんな選挙に沢山の税金を使うのかと言う叫びをどう受け止めていたのだろうか、胸のうちを知りたいところだが、橋下徹の優れた才能を日本社会の為に上手に活かすべく原点に立ち返り「礼節」について真剣に学習するよう心からお勧めしたいと思っている。
( 仁 清 )

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