花子と桃子 子どもの本棚を豊かにした2人

クオリティ埼玉 / 2014年7月31日 14時50分

 朝のNHK連続テレビ小説『花子とアン』はたいへんな人気で、児童文学者・村岡花子がにわかにクローズアップされている。その勢いは、村岡花子と共通点が多い石井桃子にも及んでいる。
 村岡より14年後輩の石井は1907(明治40)年に浦和の中仙道沿いの家に生まれ、埼玉女子師範附属小学校から埼玉県立浦和高女(現・県立浦和第一女子高校)を経て、日本女子大の英文科に進んだ。学生時代から文藝春秋社で編集のアルバイトをして、卒業後に入社。5年勤めて退社し、外国の児童書の翻訳を始める。
 1940年には友人2人と出版社をおこし、編集と下訳を受け持つ。だが、戦時下で用紙の手当ても難しくなり、会社を畳んで宮城県の田舎に移り、食糧確保のために農業に従事。終戦後5年、牛飼いでは生活できなくなり上京、岩波書店で『少年文庫』発足の仕事を手伝うことになる。
 彼女の初期の代表作『ノンちゃん雲に乗る』は戦争中に書き始め、上京前の1947年に大地書房から刊行され、4年後に第1回芸術選奨文部大臣賞受賞。1955年には映画化され、映画館だけでなく学校でも上映されたから、当時の小学生の中には見た人が多いだろう。ノンちゃん役の鰐淵晴子はこの映画でスターの道を歩み始める。
 1950年末に刊行開始された『岩波少年文庫』は海外名作が主体で、石井が企画編集の指揮を執り、時には自ら翻訳を引き受ける。1954年に岩波書店を退社、1年間、米国に留学し、公共図書館の児童サービスを学ぶ。
 帰国後、創作、翻訳活動と並行して「家庭文庫研究会」を立ち上げる。家の一部を児童書の図書室にして、地域の子どもたちに開放することは戦前から実行していたが、時局悪化などの理由で頓挫していた。これを復活させようとしたのだ。この活動を以前から励ましてくれたのが村岡花子で、「家庭文庫研究会」の創立メンバーの1人でもあった。
 この2人の児童文学者の業績には重なり合う部分が非常に多い。ともに編集者としてスタートし、創作と翻訳の両方を手掛け、翻訳では村岡があまりにも有名な『赤毛のアン』、石井は『ピーターラビット』『クマのプーさん』など今も読みつがれる名作を残した。
 NHKの連続ドラマにまでなった村岡だが、石井の実績にもスポットライトが当てられ始めた。今春以降、石井関連の出版物が目白押しなのだ。3月に彼女のエッセイを集めた『新しいおとな』(河出書房新社)、5月に『石井桃子のことば』(中川李枝子 松居直 松岡享子 若菜晃子ほか著 新潮社)、そして6月には大型評伝『ひみつの王国――評伝 石井桃子』(尾崎真理子・著 新潮社)が刊行された。
 『新しいおとな』は1941年から2007年まで66年にわたって書かれたもので、石井の児童書に寄せる思いが、いろいろなエピソードを交えて短い文章に込められている。本に対する子どもたちの反応を感じ取ろうという姿勢は一貫している。彼女が自宅で開いた子どものための家庭文庫は他の都内3つの家庭文庫と一緒になって、1974年、財団法人「東京子ども図書館」に発展した。今年で創立40周年だ。
 石井の作家活動の主要な場となったのは東京・荻窪の自宅だが、浦和そして埼玉とは切っても切れない関係がある。『ノンちゃん雲に乗る』の舞台は「東京府のずっと片すみにある菖蒲町という小さい町」と書かれているが、「荻窪と浦和のイメージが溶け合っている」と、評論家の川本三郎は指摘している。町の名も南埼玉郡の菖蒲町(今は久喜市と合併)から取ったものと思われる。石井自身は「ずっと前から少しずつ心の中にたまってきていたのだと思うけれど、書き出したら、形も何も考えにいれずに、どんどん出てきた」と、自然発生的に生まれた作品だと回想している。
 日本の児童文学に大きな足跡を残した石井桃子。彼女を記念する何かが、さいたま市、埼玉県にないものかと探してみたが、特にないようだ。文化にはあまり関心がない土地柄とは思いたくないが。(文中敬称略)
(山田 洋)

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