雪んこの頑張ろう!「命の選択」

クオリティ埼玉 / 2014年12月7日 10時59分

先月、アメリカの29歳の女性の死が話題になった。余命半年の宣告を受けたその女性は、自ら死に場所を移し、家族に見守られながら、自ら定めた日に死を遂げた。
 
日本でいえば「安楽死」。認められていない自殺行為である。
 
彼女が死に場所に選んだのはオレゴン州。アメリカのなかでもその死は尊厳死として認められているところだ。
 
「本日は、末期の脳腫瘍を患う私が、尊厳をもって死ぬために選んだ日です。世界は美しいところです。旅が私の最高の師であり、また身近な友人や家族は多くのものを私に捧げてくれました。さようなら、世界のみなさん。良いエネルギーを広げていってください。次につなげていきましょう!」
 
彼女はこんな言葉を遺して命の幕を閉じた。
 
多くのマスコミ、医師、またネット上で彼女の死は非難された。
 
しかし、私は、この言葉を遺して去った彼女が美しいと思った。彼女は死んだのではない。
そう、前述したが、人生という物語、命の幕を閉じたのだ。最高の美しき言葉で。
 
私も、「苦しい」「痛い」「辛い」「死にたい」、そうやって力尽きて死んでいった叔父や祖母をみて、何もできない自分を責め、辛い思いをしたことがある。私だけではないはずだ。なぜなら、人には必ず死が訪れるからである。
 
そんなとき、自分のそばにいる愛する人に「ありがとう」と苦しまず、笑って命を終わりにできたのなら、どんなに幸せなことか、と彼女の死によって思えた自分がいた。
 
私達は命の始まり、そう誕生である序章は選ぶことはできない。しかし、今、日々自分の選択のもとに生きている。そして命という宝を粗末にすることなく精一杯生きている。
だからこそ、その命が無惨にかれていく日を苦しみながら待つのではなく、生きてきた命の終章として美しく幕を閉じられたらどんなにいいだろうか。
 
しかし、その反面、どんな状態にいても生きるという欲がでないものなのだろうか。それはそれでその場に直面してみないとわからないものだ。
 
潔く、美しい、彼女の死の選択、これもひとつの生きる美学なのかもしれない。

クオリティ埼玉

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