エコロジーの原点は樹木と森                      外交評論家  加瀬英明

クオリティ埼玉 / 2014年12月26日 0時49分

 木は、世界のどこにおいても、人間にとってもっとも身近な存在であってきた。
日本では、いまでも古木は、神木として崇められている。先人たちは木霊といって、樹木に精霊が宿っているものと、信じた。木谺(こだま)は樹神の応答だと、考えられた。国土の大半が森林である日本は、神々の群れ集う国である。
 釈尊は母のマーヤ夫人が、サーラ樹の枝をつかんだ時に産まれたと伝えられる。当時のインドではサーラ樹の森が、出産の場となっていた。釈尊はアサッタ樹のもとで、悟りをひらいた。そして、サーラ双樹のもとで入滅した。
 エデンの園においても、知恵の樹が重要な役割を演じている。エデンの園は緑によって、覆われていた。エデンの園の伝説は中東に発しているが、中東もかつては樹海が連なっていた。
 そういえば理性という言葉も、宗教も、個人も、明治以後につくられた翻訳語である。祖父の世代にとっては、ハイカラな訳語だった。だが、はたしてこれらの翻訳語が、日本人の精神生活を向上させたものか、疑わしい。
 私は木を好む。樹木は安らぎを与えてくれる。
 小泉八雲(1850~1904)はイギリス人だったが、日本のよき理解者だった。日本に帰化するまで、本名をラフカディオ・ハーンといった。
 八雲は東京の富久町に住んでいたが、近くの瘤寺という荒れた寺を好んでいた。八雲は口癖のように「日本を悪くしているのは、耶蘇です」と、嘆いた。
 耶蘇はキリスト教のことであるが、この場合キリスト教徒である西洋人を指していよう。中国語のイエスに当たる耶蘇を日本で音読みにしたもので、明治から昭和にかけてひろく用いられた。
 境内には、大きな杉が何本もあった。ある日、寺が金に困って、切ってしまった。夫人の節子の回想によれば、八雲は「この樹はあと幾歳、芽生えた小さな時から、この岡に生きることができたことでしようか」といって、悲しんだ。八雲は近代化―西洋化が進んでゆく明治の日本に、失望した。
 樹木はキリスト教徒にとっても、畏敬の念を催させる。木はドイツでも、生命の象徴となっている。ユダヤ教から分かれたキリスト教が地中海を渡って、ヨーロッパにあった他神教と混淆したからである。
 そのために、キリスト教の聖堂を訪れると、イエスや、マリアや、ヨセフや、大天使カブリエルの偶像が飾られている。私たち多神教の世界から来た者の心を、和ませる。
 私はパステルを使って、名画の下手な模写をするが、19世紀のドイツの画家であるカスパール・ダヴィット・フリードリヒの樹の絵は、素晴らしい。「テッチェン祭壇画」は、その中の一枚である。
 岩山の上に十字架が突き刺さるように、立っている。磔になったイエスが、斜め後ろからとらえられている。山の向こうから、世にも不思議な光が昇るように射して、斜面の樫の木を黒々と浮き立たせている。
 親しみやすい絵だが、底知れぬ力を持っていて、魂を揺さぶられる思いがする。
 フリードリヒは、ある日、光の扱いかたを、弟子に教えた。自分がみた夢にヒントを得て、従来の遠近法に従わずに、見る者の眼によって惹きつけるように工夫した、と話したといわれる。そうやって彼は、宗教的な別の次元への入口のような絵を、描いた。
 「テッチェン祭壇画」では、樫の木がキリストの死によって救われた、万物の代表者として、静かに敬虔に枝をひろげ、まさに光を浴びようとしている。雪中の樫の木は、救いをじっと待つ命―孤独に耐える命を感じさせる。
 フリードリヒの「雪の修道院墓地」にも、枯れた樫の木が雪のなかに、グロテスクに枝をひろげ、ねじくれて虚空をつかむように描かれている。中央に荒れ果てた聖堂があって、十四、五人の修道僧が御堂に入ってゆく。死と静寂の世界である。
 だが、樫の木は雪のなかで生き続け、冬からの解放を信じて待つように、希望を感じさせる。じっと見ると、枝のかげから青く、灰色がかった樹の精気が立ちのぼり、すがすがしく呼吸する枝の香りが、生命力を吹き込んでくれるようだ。空が何と美しいことか。光のつくる影が命をやさしく抱き、宗教的な画面をつくっている。
 人間は世界的に物質文明の背後で忘れられた内面に、眼を向ける時を迎えている。フリードリヒの作品は宗教的なファンタジーを通して、現実の世界の向こうに潜む、より高い世界に、私たちの注意を促してくれる。
(8章 神道は新しい世界宗教であるエコロジー教だ)

クオリティ埼玉

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