遠くキューバを思う

クオリティ埼玉 / 2014年12月27日 10時53分

 年末に大きなニュースが飛び込んできた。米国のオバマ大統領がキューバとの国交正常化交渉に入ることを発表したのだ。1961年の国交断絶から53年、時代遅れとも言えるキューバ孤立化政策からの転換は世界から好意的に受け止められている。日本は第二次世界大戦で中断した国交を、1952年のサンフランシスコ講和条約で回復させている。
 キューバと米国の関係が悪化したのは、フィデル・カストロやチェ・ゲバラらによるキューバ革命の後、米国企業のキューバでの特権が奪われたことからだ。孤立したキューバが旧ソ連を頼って、対立は激化、1962年にはキューバをめぐって、米ソ核戦争勃発の一歩手前まで事態は進んでしまった。
 このキューバ危機の時に、私は大学受験を控えていたこともあり、遠い所での出来事としてしか受け止めていなかった。キューバで浮かぶイメージはリズミカルな音楽と、マグロやサメが出てくる「老人と海」(アーネスト・ヘミングウェイ著)だった。その本の中に、米国大リーグのラジオ中継が流れるという描写があったので、両国の距離の近さが想像できた。
 数ヵ月後に入学した大学の英語の授業では、英国の有名な哲学者、バートランド・ラッセル(1872~1970年)がキューバ危機について書いた論文がテキストだった。関係代名詞が多い、入り組んだ文章だったが、論旨は明快だった。核戦争の回避に向けての努力を訴えるとともに、米国のジョン・F・ケネディ大統領の強攻策を批判し、瀬戸際で譲歩したソ連のフルシチョフ首相には擁護的だった。
 ラッセルの論文には1年間付き合ったから、その後も頭の片隅に彼の英文が残っていた。ケネディがダラスで暗殺された後、日本でも彼を英雄視する向きがあったが、同調する気になれなかったのは、そのせいかもしれない。
 米国との国交断絶後のキューバは苦難を強いられたはずだ。沖縄出身のラテン歌手、平良・ゆきさんは10年ほど前にキューバの大学へ音楽留学した。私の妻が彼女の友人だったので、帰国後に話を聞き、物資の乏しさや衛生状態のひどさに心が痛んだ。
 しかし、その後、市場経済を導入し、GDP(国内総生産)も着実に増加している。2年半ほど前、当時の民主党野田内閣で外務副大臣の座にあった川越出身の元参議院議員、山根隆治氏に会ったら、キューバとの経済交流に熱意を示していた。自らも出向いて、何人もの大臣や事務方のトップと会談したという。そして米国の経済封鎖が解除されれば、もっと経済発展ができると強調し、解除の可能性も示唆していた。
 オバマ大統領の決断を実行するには共和党の抵抗など難関もあるだろうが、局面は大きく転換した。今は議席を失った山根氏だが、あの日の発言は高く評価したい。
(山田 洋)

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