地方政治家とエリートの必要性

クオリティ埼玉 / 2014年12月30日 0時34分

 日本の地方政治家は衰退の一途をたどっているような気がしてならない。号泣議員からはじまって卑劣きわまりないヤジ議員。税金でまかなわれている政務活動費の乱用、女性問題をはじめとしたおよそ品性や品格のかけらもない地方政治家の存在はそのまま中央政治家達にもあてはまっていくような気がしてならない。しかし、中央には本当のエリート政治家達がまだまだいるのは嬉しい。
 自民党の税制調査会のメンバーが暮れもおしつまっているにもかかわらず、夜を徹して議論し、国民のために汗している姿には心から敬意を表したい。だからこそ地方政治家達の堕落には失意すらいだかざるをえない。
 エリートが皆無だ。エリートは選良であり、高い経験と責任、専門性を備えていることを条件としている。高学歴なぞエリートの条件の属性にすぎない。学歴という仮面をかぶって、ヒマをもてあまし、議員バッチを誇らしげに見せつけている輩の何んと多いことか。議員に必要なことは高い使命感と義務感。さらには無私の精神だ。私利私欲の強い者は議員ではない。選挙というと急に頭を下げだし謙虚さを粧うエセエリートの何と多いことか。謙虚さを粧うことぐらい罪なことはあるまい。市長、議員の女性問題、金銭問題は日常茶飯事になっている。
 エリートは少ない集団が条件だ。だから、地方議員の数はおもいきって減らすべきだという政策をもった議員がいて身を切るべきだ。民意を吸い上げるために数が必要だという言葉ぐらい、実態がわかっていない空論だ。少数が、必死になって市民のために身を削る時、地方政治の本領と権威が生れてくる筈だ。地方政治が卑しい集団と化しているようでは未来の展望は開いていくことはできない。
 政令市も、県議会も予算委員会制度は廃止すべきだ。従来の常任委員会を充実させるべきだ。そもそも地方議会は常任委員会重視主義が本姿だ。そして執行者は予算委員会にさかれる時間をより有効に市民のために使うべきなのだ。
 来年は四年に一度の統一地方選だ。地方のメディアとして強く警鐘をささげたい。

クオリティ埼玉

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