離見の見

クオリティ埼玉 / 2015年1月9日 0時5分

何とも難しいはなしだが、有頂天になると人は必ず沈むのだと思う。難しいとあえて言ったのはプロの世界の住人は常人とはちがうのだから「俺は!」という根性も必要ではないかなと思ったからなのだが。
つまり、テニスの錦織が「ぼくはもう誰にも負けない!」と断言したり、すっかり影をひそめてしまった野球の斉藤佑樹が、かつて「ぼくは何かもっている」と豪語したことが気になって仕方ないからだ。
例え表現しなくとも、うわついて有頂天の気分に浸っている者ほどいやらしいことはないと思う。
頭を下げていても心は他者を見下していたり、「俺が、」と我で生きている者の行き先は見えていると思う。年賀状をもらって、返すことすらできない政治家もさいたるものだ。世論調査をやって田中角栄が人気度トップだったが、やはりこの人の天才ぶりと、人情味、人間第一主義がうけているのだろう。しかし、誰しも人は危ういものだ。その角栄さんだって、隙ができ、有頂天になってしまって末路は哀れなものだった。
世阿弥の言ではないが、やはり離見の見こそもっとも大切なのだ。難しいはなしだが。
離見、すなわち、もう一人の自分がいて、他者である自分を見つめる理性の目だ。
謙虚はここだと思う。自戒の念ほど己を深化させるものはない筈だ。
(鹿島 修太)

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