「台湾鉄道の父」がいつの間にか日本人に?国民党議員が皮肉の投稿―台湾

Record China / 2020年7月13日 19時40分

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中国メディアの環球網は13日、台湾博物館にある「台湾鉄道の父」の説明文に対し、国民党の蔡正元氏が皮肉を込めた投稿をしたと報じた。資料写真。

中国メディアの環球網は13日、台湾博物館にある「台湾鉄道の父」の説明文に対し、国民党の蔡正元(ツァイ・ジョンユアン)氏が皮肉を込めた投稿をしたと報じた。

記事は、台湾・中時電子報の報道を引用。問題視されたのは正式な対外営業が始まったばかりの鉄道部パークにある説明文で、中時電子報によると、「台湾鉄道の父」とされたのが台湾近代史に詳しい人が思い浮かべる台湾の劉銘伝(リウ・ミンチュアン)ではなく日本人の長谷川謹介だったことがある見学者に驚きを与えたそうだ。

環球網は、長谷川について「台湾総督府の民政長官、後藤新平の招きを受けて1899年に台湾へ。1906年から鉄道部の部長を務めた」との紹介があることに触れた上で、「だが劉銘伝は1885~91年に初代巡撫を務めている。当時、甲午戦争(日清戦争)は起きておらず、いわゆる『台湾総督府鉄道部長』などは言うまでもない」と指摘。「報道によると、1887年に劉銘伝が奏上して成立した『全台鉄路商務総局』は台湾鉄道建設の発端となった」「1893年(一説には1891年)に鶏籠‐竹塹が開通。長谷川の鉄道部長就任はそれから13年(もしくは15年)先のことだ」という説明も加えた。

そして、蔡氏がこの件について12日にフェイスブックに「台湾独立派は日本人を拝まなければどうやって生きていくというのだろう」という趣旨の投稿をしたことを伝えた。(翻訳・編集/野谷)

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