法廷写真の青年は誰?石垣島で調査~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】
RKB毎日放送 / 2023年11月3日 17時54分
「石垣島事件」の法廷写真に写る青年。年齢はまだ20歳くらいにみえる。あどけなさが残る端正な顔立ちの青年は誰なのか。石垣島事件で被告となった46人の中には、沖縄出身者も多い。八重山出身の1人ではないかと予測して、石垣島の親族を探して、確認をとろうとしたがー。
◆最年少16歳で事件に遭遇した二等兵
1974年に出版された沖縄県史(沖縄県教育委員会編)に「石垣島事件の戦犯として」という手記がある。筆者は小浜正昌。竹富町鳩間島の出身で八重山農学校に通っていたが、戦況が厳しくなり連日の軍隊訓練や防空壕掘りなどの作業で勉強できる状態ではなくなったため、1945年3月志願して海軍に入隊。4月上旬に石垣島警備隊に配属され、わずか2週間で事件に関わることになった。誕生日が8月なので、事件当時はまだ16歳だ。「最後の学徒兵」(森口豁著 講談社1993年)の主人公、田口泰正少尉が小隊長を務める第一小隊にいた。1審では死刑を宣告されたが、1年2ヶ月後に減刑されて重労働5年の刑となり、1947年11月に出所するまでの5年余りをスガモプリズンで過ごした。
(沖縄県史「石垣島事件の戦犯として」より)
公判は日曜日を除いて毎日行われた。公判中一番つらかったのは、寒さに閉口した。公判は冬の最中であるので朝七時、東京から横浜にある裁判所に行く前に服装の検査があるが被告全員(三〇〇名位)の検査が終わるまでは裸のまま待っているのである。その服装検査が朝、晩繰り返されるのであるが、南国生れの私には堪えられなかった。
故郷に帰ってきて、仏壇に2年ばかり自分の位牌がおかれていたことを後で聞いたという。その後、建設作業員を経て竹富町役場に勤務し、助役を4期務めた。そして役場を去るときに、職員を前に初めて戦犯であったことを明かしたということだった。2009年に81歳で亡くなっている。
◆死刑の宣告を受ける被告たち 写真の人物は?
森口豁さんは「最後の学徒兵」を出版する前に、アメリカの国立公文書館から石垣島事件関係の法廷写真を入手されていた。きちんとスチール写真に焼いてもらったものを貸してくださったのだが、その中に判決を受ける被告人の写真が30数枚あった。1948年3月16日撮影、日本人弁護士とMP(米軍の憲兵)に付き添われて、被告人が立っている写真だ。残念ながら福岡出身の藤中松雄の写真はなかった。森口さんは、そのうち数枚については30年前に存命だった元戦犯の人たちに聞いて、誰が写っているのかも確認していた。司令の井上乙彦大佐や副長の井上勝太郎大尉ら幹部と、取材をした元戦犯本人の写真だ。しかし、それ以外はまだ手がかりがないということだった。
◆座席表から人物を推測
一方、私は日本の国立公文書館にあった資料の、黒塗りの名前を解読する作業を進めていた。法廷でグループ撮影された写真と同じ配置の座席表を見つけて、写真に写る人は誰なのか、だいたいのあたりをつけるところまできていた。小浜さんは判決当時、最年少の19歳。あどけなさの残る面立ちにすらりと長身の青年の写真が小浜さんではないかと推測された。石垣島にロケに行くにあたり、石垣市にお住まいの関係者に写真を見ていただき、確認を取りたいと思っていたのだ。
◆コロナ禍・・地元の長老を訪ねたが―
頼りにしたのが、石垣市在住で八重山の歴史や文化についての著書がある大田静男さんだった。大田さんは1948年生まれ。1996年に南山舎から「八重山の戦争」を出版している。八重山の戦跡を地図で紹介し、現地に足を運びやすくするガイド本のような作りなのだが、詳細な資料がちりばめられていて、資料編に掲載されているデータの質と量もさることながら、戦争の実相を伝えたいという思いが伝わるような本だった。石垣島へロケに行く旨を伝えると、途中で合流してくださった。持参した「死刑宣告を受ける青年の法廷写真」を見せると「小浜さんじゃないかなあ」と言って、確認できそうな人の元へ車に乗せて連れて行ってくださった。
石垣島を訪ねた2020年秋は、新型コロナウイルスが感染拡大していた時期だった。高齢者がコロナに感染すると重症化するため、介護施設が面会禁止になったり、高齢者の割合が多い地方では都会のナンバーをつけた車が嫌がらせをされたりということがニュースになっていた。大田さんが連れて行ってくださったのは「戦争に関わることは何でもよくご存じ」という90歳を過ぎた男性のお家だった。まず写真をお見せして、「小浜さんか、それ以外のお知り合いか、わかりませんか?」と聞くと、じっと目を凝らして見てくださったが、「わからない」という返事だった。裏口から外に出たところで距離をとって、マスク装着の上でお話を伺っていたのだが、お隣にお住まいの娘さんが慌てて出てこられた。取材の趣旨を説明すると、「やっていることは良いことだと思うけど、父は90を過ぎているのでコロナが心配。すぐ帰って欲しい」ということだったので、失礼することにした。引き揚げる車中で大田さんは、資料収集の苦労話など興味深い話をたくさんしてくださったが、写真の特定に至らなかったことを残念に思ってくれているようだった。
その夜、お訪ねした高齢男性から携帯電話に着信があった。名刺をお渡ししていたので、かけてきてくださったのだ。
「写真はね、小浜さんの息子さんに見て貰うといいよ。」
翌日、教えていただいた小浜さんのご自宅を尋ねることにした。
(11月10日公開のエピソード16に続く)
*本エピソードは第15話です。
◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。
筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。
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