純粋なギャグをやりたい漫画家・菅原県先生インタビュー / ふざけたことしかしないのが信念

ロケットニュース24 / 2012年4月25日 23時0分

純粋なギャグをやりたい漫画家・菅原県先生インタビュー / ふざけたことしかしないのが信念

かわいいポップな絵にシュールなギャグが詰め込まれた『水無月ミレ子の飛び出すな青春!』(集英社・全2巻)。犯罪撃退ラブコメという驚きの新ジャンル『犯撃少女キリエ』(集英社・全1巻)。作品毎に変わる絵柄ゆえ、実体を掴めず謎に包まれた漫画家、菅原県先生。

彼の漫画に仕込んであるギャグは、ちょっとブラック、かつ秀逸。読みはじめたら止まらない。高校1年生の時に初投稿で賞をとるものの、そこからデビューまでは紆余曲折だらけ。けれど着実に前へ前へと進んでいる、菅原先生の漫画家人生を追った。
 
・漫画家になる
幼稚園のころから漫画家になることしか頭になく、小学校の頃は『週刊少年ジャンプ』の真似をして壁新聞を作っていた。家の近くに藤子不二雄先生が住んでいたことにも、大きな影響を受けたという。

本格的に漫画を描くようになったのは高校1年生。当時流行っていた吉田戦車先生や和田ラヂオ先生を代表とする不条理系漫画に影響を受け、夏休みをまるまる使って四コマ漫画を描く。これが初投稿にしてヤングジャンプで新人賞受賞。担当編集者から連載をやらないかと声がかかるも、週刊連載なんておこがましいと、画力が追いつかないからと断る。いま振り返ればそこでやっておけばよかった……。それから大学まで、長い休み毎に四コマを描いては新人賞に送ることを繰り返す。
 
・新人賞荒らし
大学は映像系に進学。シナリオの勉強をしたくて入ったが「結局ギャグだ!」と思い、ギャグ漫画ばかり書いていた。投稿しては賞をとり、新人賞荒らしになる。当時は四コマ漫画バブル時代で、送るとやたら賞をとれた。数としては10個ぐらい。ヤングジャンプ、ヤングサンデー、ヤングマガジンすべて総なめにしたという。いつもどこかしらの編集部に出入りし、持ち込みをして担当さんもついていた。しかしいいところまでいくのだが、バイトが忙しいなどの理由をつけて諦めていた。そのうち担当さんと連絡が途絶えていく。

・ギャグを追求する腐った大学時代
大学時代は授業なんてくそくらえと、映画やプロモを作りたいと意気込んでいる他の学生からあぶれ、くだらない企画を考えることばかりしていた。公式に裸になれるという理由からヌードデッサン会を企画し、男性モデルに仕立て上げた友人にストリップまがいのことをさせていた。真面目にデッサンを描きにきた生徒に、下半身を近づけたりする映像を撮るなどして卒業制作にする。また友人を白塗りにして街を歩かせたり、前半分だけ洋服で後ろ半分は裸体にさせた格好で授業に出席させるなど奇抜なアイデアを実行していた。

オシャレ学生が多い学校だったため、周囲からは白い目で見られていたという。しかし嫌われるためにやっていたのではなく、あくまでギャグのため。「ギャグ漫画があるなら、ギャグ映像とかギャグ写真があっていいじゃないか!」と色んなパターンで笑いを追求していた。
 
・借金してデザイン学校へ
大学卒業後、まわりはごく自然に映像業界に就職するが「自分はやはりギャグしかない!」と決意。とりあえず週刊漫画誌で漫画を描けるレベルになりたいと、デザインの学校に入る。漫画家コースもあったのが、ひねくれていたため、あえてイラストレーションコースを選ぶ。

とにかくはやく描けるようになりたいと、色の勉強もそこそこに、漫画に使える技術におもきを置いて勉強した。デザイン学校の学費は、さすがに親はもう出してくれないため、銀行や親戚から借金をして払う。またデザイン系の人が使う30万円ほどの Mac G4 もローンを組んで購入。もちろん借金漬けの日々となる。しかしこの2年は、週2のバイト以外はひたすら絵の勉強をしていた。
 
・漫画家デビュー『水無月ミレ子の飛び出すな青春』
バイト先であるビデオ屋の休憩室にあった少年チャンピオンに、漫☆画太郎先生がアシスタント募集している記事を発見。さっそく履歴書を送るが選に漏れる。しかし編集者さんから電話があり、おおひなたごう先生のアシスタントはどうですかと声がかかる。

実は当時サブカルの本ばかり読んでいて、おおひなた先生の大ファンだった。短期のアシスタントをすることになる。おおひなた先生にギャグ漫画家になりたいと話すと、作品を持っておいでと言われ、月1本のペースで新作を描いて見てもらった。この時に厳しく指導され、プロの現場を知り、自分がいかにだめだったかを実感する。

そして5回目くらいに見てもらった作品が「この方向おもしろい」と言われ、ヤングジャンプの編集さんを紹介される(偶然だが漫☆画太郎先生の担当さんだった!)。これが『水無月ミレ子の飛び出すな青春』の元となる。そしてそれから半年、2週間に1本の持ち込みを続け、ミレ子のネタが100ページくらいになる。2回程読み切りで載り、ミレ子の連載が決まり、漫画家デビューをかざる。デザイン学校卒業して半年後、24歳。
 
・雑巾みたいな生活
ミレ子は1年ほどで連載終了。仕事もなかったが、おおひなた先生の「実家にいたら駄目になる」の言葉で、東京で一人暮らしをはじめる。なんと住んだアパートの大家さんがたまたま漫画家さんだった! そしてそれから3年くらいまとまった仕事はなく、ひたすら持ちこみをしていた。

貯金を切り崩して生活し、病気にもなり、体重が10キロも減る。まわりに心配はされるものの東京には友だちがいなく、仕事もたまに読み切りの仕事があるだけ。26歳。地獄だった。いま思うと、どうやって生活していたんだろうと不思議である。部屋にはカビがはえ、雑巾みたいな生活をしていた。
 
・『犯撃少女キリエ』
その頃、実話誌業界で有名な漫画家さんと知り合う機会が。どうすれば仕事をもらえるのかと相談したところ、えり好みしてるんじゃないかと言われる。そしてそれがきっかけで実話・投稿系の漫画も描くようになる。またニコニコ生放送で漫画家大喜利に参加することになり、多くの漫画家さんと知り合う。

ほとんどがメジャー誌で仕事をしている人たち。彼らに触発され「自分もメジャーでやりたい!」と、ミレ子の担当編集者に連絡をとり、持ちこみを再開する。30歳。そして『犯撃少女キリエ』の元になるネーム(絵コンテ)を1年半ほどひたすら描き直し、再び連載が決まる。『犯撃少女キリエ』は、犯罪に遭いやすい希有な体質の持ち主・女子高生キリエと、彼女に一目惚れした平凡男子・和久井の犯罪撃退ラブコメディ。今までにないこのジャンルは、防犯対策にもなる優れもの。
 
・新連載決定!
現在の連載は、雑誌『別冊本当にあった笑える話』の『ヒタヒタくんのやってコーカイ!』(ぶんか社)、雑誌『本当にあったゆかいな話』の『♂エロムチ♀』と『ゆかいなマンガ塾』(竹書房)、ウェブサイト『マイスピ』の『スピ野郎マサムネ君』(メディアジーン)。そのほか、さまざまなところでイラストを描いている。そして5月から『電撃コミックジャパン』(アスキー・メディアワークス)という電子雑誌にて『あだるてぃ』の連載が決定。「アダルトグッズ専門店」を舞台にしたギャグコメディである。
 
・純粋なギャグ
「純粋なギャグをやりたい」と菅原先生は言う。純粋なギャグとは? 先生によると、ネタが優先されているギャグだという。とにかくネタを考えるのが好き。学生時代もイケてる軍団をよそ目に教室の隅でひたすらネタを考えていた。

いちばんやりたくないことは泣かせる漫画を描くこと。ふざけたことしかしないのが信念。ギャグであればそれ以外のこだわりはなく、漫画に限らず他の媒体も使いたい。シナリオ、写真、映像など、それぞれに見合ったアイデアを考えて行きたいという。これからの菅原県先生ワールドが楽しみで仕方ない。
 
参照元: 菅原県先生公式ブログ( http://ameblo.jp/suga-ken/ )
(取材・写真・文=千絵ノムラ


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