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聖飢魔IIの創始者「ダミアン浜田陛下」が語る、王道を貫くメタル愛

Rolling Stone Japan / 2020年12月30日 21時0分

ダミアン浜田陛下(Courtesy of Ariola Japan)

「蠟人形の館」をはじめ、聖飢魔IIの初期の大教典(アルバムのようなもの)3作品に収録の楽曲のほとんどを手掛け、地球デビュー前に魔界に帰還した聖飢魔IIの創始者、地獄の大魔王・ダミアン浜田陛下。聖飢魔II地球デビュー35周年を迎えた魔暦22年(2020年)、ダミアン浜田陛下も再び人間界に顕現。その真意を問うべく、インタビューを実施した。聞き手は音楽ジャーナリスト/ライターの増田勇一。

11月下旬のある日、ダミアン浜田陛下と話をした。とはいえ実際に対面したわけではなく、PCの画面を通じてのことである。まさか悪魔をリモート取材する日がやってくるとは思ってもみなかったが、それ以上に、陛下自身がDamian Hamadas Creaturesを率いて2020年の人間界に降臨した事実自体が多くの人たちにとって”まさか”の出来事だったといえるはずだ。

しかもこのバンドの成り立ちもまた、掟破りともいえる大胆なもの。当然ながら首謀者は陛下自身だが、演奏はすべて僕(しもべ)たちに任せているのだ。今回は、そうした特異な体制で制作されたふたつの大聖典『旧約魔界聖書 第I章』『旧約魔界聖書 第II章』に漂うハード・ロック/ヘヴィ・メタル作品としての王道感、楽曲の充実ぶりを踏まえながら、陛下自身の音楽的スタンスのあり方や、大胆な発想の起源にあるものを探っていく。



―お話をうかがえるのを楽しみにしておりました。陛下ご自身、完成した作品が世に出るのをどのようなお気持ちで待っておられましたか?

ダミアン浜田陛下(以下DH):レコーディング中や完成直後は、とにかく早く聴かせたい一心だったのだが、発売日が迫ってくるにしたがい若干の不安をおぼえるようになっていた。我ながら魔王らしからぬ発言だとは思うのだが(笑)、私自身が経てきた成長がちゃんと受け止めてもらえるものなのか、という不安を少しばかりね。

―ご自身が成長と捉えておられるものを受け手側が成長と解釈するかどうか、ということでしょうか?

DH:その通り。たとえばクイーンなどはそうした好例だ。作品を出すごとにどんどん変化を重ねていたし、それを受け入れられるファンとそうでない人たちとがいた。私の大好きな70年代のブリティッシュ・ロック・バンドのなかにも、アメリカでの成功を目論みながらどんどんポップになっていく者たちがいたし、そうした変化が受け入れがたい場合もあった。そこで私自身の場合はどうなのか? 自分の成長・変化といったものをそのまま受け止めてもらえるのか? とはいえ、いざ発売を迎えてみればそうした不安も通り越してしまい、「ようやくこの時が来たか!」という心境になったがね。

―実際、その成長・変化というのはどういった形で作品に反映されているとお考えですか?

DH:実は、私は昨年の3月まで、35年間にわたり教員を務めていた。長年の教員生活の中で、たとえば軽音楽部の顧問など担当したこともあった。その際は自分の中にあるものを出すだけで対応できたわけだが、自分から自由に担当を選べるわけではなく、時には学校側から断れないような依頼がくることもある。たとえば、自分にはまるで経験のない合唱部の顧問に任命されたこともあった。改めて勉強せねばという意識も当然働いたわけだが、そうして譜面をじっくりと見ている中で「ああ、クラシックの世界ではこんなことが許されるのか」などといろいろと発見できたことがあった。特に打楽器の使い方については学ばせてもらったと思っておる。元々ハード・ロックやヘヴィ・メタルばかりではなくクラシック音楽なども聴いてはいたが、鑑賞するばかりで研究することはほぼ皆無に等しかったからな。だから結果的に、教員生活の中で得た音楽経験というものが自分を成長させ、それをここで活かすことができたように思う。


「ヘヴィ・メタルというのはこういうものだ」という概念のようなものが自分なりにある

―言い換えれば、そうした経験によって改めてご自身の音楽理論に裏付けを得た、ということなのでしょうか?

DH:正直、私自身のこれまでの生涯において、音楽的な理論を勉強したことがほとんどない。常に試行錯誤を重ねてきた。理論よりも感性を頼りに取り組んできた、ということになるだろうな。ところがクラシックなどに触れている中で、それまで私自身が「こんなことは音楽的に許されないんだろうな」と思っていたようなことを、歴史上の偉人たちが遠い過去に実践していたりすることを知ったりもした。そこで、ならば私もやってみよう、というチャレンジ精神が掻き立てられることもあったわけだ。

―クラシック、古典的なものというといかにもルールが多くて窮屈そうなイメージがありながら、実はそうとも限らない。そこはまさにハード・ロック/ヘヴィ・メタルにも重なるところがあるように思います。様式に則っていることが必須とされているようなイメージがありつつも、実は、そのフォームの中でどれだけ幅を求められるか、いかに冒険できるか、という面白さがあるわけで。

DH:まさしく。様式として絶対外れてはならぬ枠のようなものはあると思う。ただ、私の場合はその枠を飛び出して行ったようなところもあるがね。今の私は、「ヘヴィ・メタルというのはこういうものだ」という概念のようなものが自分なりにあり、その中でいろいろと遊んでいるという感覚だといえる。昔やらずにいたことに手を出してみたり。

―なるほど。非常に根本的な部分なのですが、今回、こうしてご自身の名を掲げながら新たなスタートを切ることになった動機というのは、どのようなものだったのでしょう?

DH:実を言うと、教員を辞めたのは音楽活動を再開しようと思ったからではなく、やり切った感が私自身の中で大きかったからだ。もう3年ほど続けることも可能ではあったが、そうした感覚が強かったので休みをもらうことにした。で、自由な時間というのが最初のうち非常に楽しかったのだが、すぐに飽きてしまい、誤解を恐れずに言えば、ある種の暇つぶしのような感覚で音楽活動を始めるようになった。年老いた人間がゲートボールや新たな習い事を始めたりするのと似ておるな(笑)。ただ、言い換えればそれは”生き甲斐”でもある。これまでずっと走り続けてきただけに、これから先の人生における生き甲斐を見付ける必要が私にはあった。そこで、久しく触れていなかったギターを弾き始め、あくまで楽しみのために音楽に取り組んでみたところ、これが非常に楽しくてな。アイデアが次々と湧いてきて、これまでの生涯の中で一番のペースで曲ができた。結果、本当にこれが自分の生き甲斐になったように思う。

―つまり、長い教員生活の中でくすぶっていた想いが爆発したとか、かつてやり遂げられなかったことを達成してみたかったとか、そういったことではなかったのですね?

DH:違うね。なにしろ生き甲斐なのだから。ただ、くすぶっていた部分がなかったわけではない。当然ながら、聖飢魔Ⅱの構成員たちの活動をずっと見てきたのだからね。私は元々、教職をとるために教育学部に通っておった。35年前にはもちろん悩んだものだよ、どちらの道に進むべきかをね。ただ、やはり初志貫徹したいという想いが強かった。同時に、プロの音楽家として活動していく自信が当時の私にあまりなかったというのもある。そしてそれ以降、聖飢魔Ⅱは違う世界で活動し、「もしも私がそちらの道を選んでいたら」という世界をずっと見せてくれていた。そこで私自身、やはり自分もやってみたいな、という気持ちは常に少なからず持ち続けていたといえる。私がかつて聖飢魔Ⅱにいたのはまだアマチュアだった時代だが、当時感じていた「曲を作って、それを世に発表する」ということの楽しさを、今、思い出させてもらったような気がしておる。なかなかこのような人生を歩んでいる人間はいないのではないかと思うよ。まあ、私は人間ではないんだがね(笑)。


Damian Hamadas Creaturesの成り立ち

―そうした人生のあり方もさることながら、このDamian Hamadas Creaturesの成り立ち自体も非常にめずらしいものだと思います。陛下ご自身は、作詞・作曲にアレンジ、プロデュースに徹するというスタンスをとられていて、演奏はすべて僕(しもべ)たちに任せておられる。音楽家としてそこまできっぱりと割り切れるものなのでしょうか?

DH:なかなか説明が難しいところではあるな。あれは昨年の12月頃のことだっただろうか。事務所、いや、悪魔寺に宛てて「こんなものができたので世に出したい」というメールを音源とともに送った時点ですでに、「私自身はクラシックの作曲家のような立ち位置にいたい」と伝えていた。曲を提供して、音楽的な指示をするところまでは私が行ない、他の演奏家たちがそれを演奏する。つまり演奏家と作詞・作曲家という立場を分けて考えているというわけだ。ただ、クラシックの場合でも、前面に出てくるのは演奏者たちの名前ではなくベートーヴェンやモーツァルトといった作曲家の名前。それと同じように、あくまでダミアン浜田の名義でそれを世に出したいと考えた。おそらく世間一般のアーティストの多くは、自分が作った曲を自分で演奏したいと考えておるのだろう。私のような考えの持ち主というのは、まあ皆無であろうな。

【画像】ダミアン浜田陛下の目に留まり改臟人間にされた6人組「Damian Hamadas Creatures」

―クラシックの場合は確かにそうかもしれません。ただ、ロックの場合、ある種のエゴや自己顕示欲というのも重要であるように思います。そうした部分を求めることを、陛下はあらかじめ放棄しておられるわけでしょうか?

DH:ああ、放棄していると言っていいだろうな。恥ずかしい話だが、さきほども言ったように、35年前の自分が教職を選んだのは、初志貫徹したかったからでもあるが、プロでやっていく自信に欠けていたからでもある。楽器を志す中で「この先どう頑張ってみたとことで、自分に行けるのはこのあたりまでだろう」という限界が見えてしまうことがある。それが私にもあった。しかも自分よりも上手い演奏家はたくさんいた。だから自分には無理だろう、という想いがあった。それから35年を経て、作詞や作曲に対する意欲がこうして湧いてきたわけだが、さすがに何年もギターを弾いてこなかったというのもあり、プレイヤーとして自分がそれを演奏するとなると、それは難しいと言わざるを得ない。しかも私の中には、それこそ専門誌でも認めてもらえるような、洋楽志向の者たちの耳にも響くようなクオリティの高いものを作りたい、という願望もある。そこで私は「自分で弾くべきではなかろう」という判断をし、潔く退くことにした。ただ、当初はスタジオ・ミュージシャンなど起用することを考えておったのだが、悪魔寺の侍従長が、「いやいや、そういう一時的、一過性のものではなく、ちゃんとライヴもできるようにバンドとして継続していけるようにしましょう」と言ってきて、メンバー探しをしてくれた。それでこのような形でどうか、ということになったのだ。

―素晴らしい選択だったと思います。演奏を託されたのは金属恵比寿の面々ですよね。作品で聴かれる演奏ぶりにも、元々バンドであるからこその合致感があるように思えます。

DH:ありがとう。確かに味気無さようなものは皆無だと私も思う。


ソングライティングはまず頭の中で

―そして作曲面について感じさせられたのは、頭の中で楽曲の全体像を描きつつ、アレンジしながら作られているのではないか、ということです。ギタリストとして自分で弾きたいフレーズを盛り込んだ曲を作る、というのとは一線を画しているというか。

DH:まさに指摘の通りだ。私にとってはその行為が非常に楽しい。とはいえモーツァルトのように、いきなり頭の中で鳴って、それをすぐさま譜面に書き起こすというわけではなく、曲によってはすごく試行錯誤もあった。私は基本的に、曲をイントロから順番通りに作っていく。ただ、『旧約魔界聖書 第Ⅰ章』の3曲目に入っている ”Heaven to Hell”などは、「さあ、ここから Aメロだ」という段階になった時にそれが思い浮かばず、4パターンほど作ることになった。メロディのみならずバッキングまで含めての話だ。4パターン目でようやく納得できたというのが正直なところなので、決して最初から頭の中ですべてが鳴っているわけではなく、とりあえず何かができたらその続きを頭の中で鳴らしていく、というのに近いと思われる。いわば人間たちの服装のコーディネートのようなものだ。頭の中でこのコートとシャツとズボンは絶対に合うと考えていても、実際に着て鏡を見てみると「これはちょっと違う」となることがあるだろう? それに近いと思われる。

―わかりやすい比喩でありがたいです。もうひとつ曲作りの面で明らかなのは、とにかくメロディ作りが重視されているという点です。セッションをしながら作られた曲とも、リフで押し切ろうとする曲とも違う。

DH:確かに。ただ、もちろんリフも大事だし、ヴォーカルの主旋律だけではなく、リフやギター・ソロも含めたメロディを重んじているつもりだ。ツイン・ギターを多用しているので、ソロとは呼びにくい箇所もあるわけだが。

―メロディの複合体としての楽曲、ということですね。さきほどの発言の中に「洋楽志向の人たちの耳にも響くもの」というような言葉がありましたが、そうしたクオリティを求めたいというのは、それこそ聖飢魔Ⅱを始めた当時からの指針でもあったのではありませんか?

DH:いや、おそらく当時はそんなことは考えていなかったはずだ。とにかく自分の作った曲で表現したかった。当然ながら当時はまだ自分でギターを弾いておったし、演奏者としての自分も表に出したいという気持ちがあり、楽曲のクオリティを上げたいという願望はそこまで強くなかったように思う。私はとにかくハード・ロック/ヘヴィ・メタルが大好きだったので、そうした音楽で自分を表現したい、という一心だったように思う。

―それが、こうして楽曲重視の姿勢に変わってきた経緯というのはあるのでしょうか?

DH:シンセサイザーの導入と、打ち込みでさまざまなことができるようになったのが大きいと思う。聖飢魔Ⅱの頃、たとえばデモ・テープを作る際には、ドラムだけは打ち込んで、それ以外はすべてギターで弾き、そこに自分の下手な歌を重ね(笑)、それを構成員たちに渡していた。ただ、1990年……いや、魔歴前9年あたりにシンセサイザーを購入した。あの楽器で鳴らせるギターの音はしょぼいのだが、キーボード、ドラムの音はとてもいい。その頃から徐々にはまっていったというのが実際のところだ。ただ、教職を続けていくうちに私自身の忙しさにも拍車がかかり、時には学年主任なども努めなければならなくなった。そうした多忙さゆえに作曲からも遠ざからずを得なくなった。そんな中、今から5年ほど前に久しぶりに何か作ってみようと思い立った。というのも、コンピュータの進化により作曲ソフトが飛躍的にグレード・アップしていることに気付かされたからだ。しかも実際にそうしたものを用いながら作業を始めてみると、まさに目から鱗のような体験の連続だった。当時はすでにギターを触れていない時代に入っていたんだが、そこで逆に曲作りの楽しさに改めて目覚めた、というのがある。実のところ教職に就いているだけに充分な時間はなかったが、そんな中で寝る時間を惜しみながら作ったものもある。5年ほど前に作ったアニメ『テラフォーマーズ/リベンジ』の主題歌などは、まさにそうしたものだ。


25年前に作ったものも曲に使われている

―そもそもは好きな音楽で自分を表現することで世に出たいという動機で曲を作っておられた。それが、シンセサイザーとの出会いやテクノロジーの進化なども功を奏し、より音楽全体に目を配れるようになった、ということなのですね?

DH:そうした側面は非常にある。

―シンセサイザーとの出会いによる変化という話を聞いていて、ふとエディ・ヴァン・ヘイレンを思い出させられました。

DH:ああ、彼も途中からキーボードを使うようになっていたな。

―そこで作曲面での自由度が広がり、「ギタリストとしてではなく作曲家として評価されたい」というような発言もするようになっていた時期がありました。なんだか陛下の歴史にも重なるものを感じます。

DH:ああ、確かに……。そのように見てもらえるのは私にとっても喜ばしいことだ。

―さて、今回のふたつの大聖典に収められた楽曲たちについてなのですが、中には古くから温存されていたものもあるのでしょうか? それともDamian Hamadas Creaturesを始めることを意識しながら作られた曲が大半なのでしょうか?

DH:その両方が混在しておる。たとえば『旧約魔界聖書 第Ⅰ章』の冒頭に”聖詠”という曲がある。これは私にとって初のクラシック作品なんだが、後半部分は25年ほど前にはすでにできておった。同じく4曲目に入っている”Running like a Tiger”のイントロはさきほども話に出た『テラフォーマーズ/リベンジ』の楽曲を作っていた時に湧いてきたものが基になっている。『旧約魔界聖書 第Ⅱ章』の1曲目に収録されている”Angel of Darkness”の歴史もかなり古く、21年前にはイントロができていて、このタイトルもすでに決めていた。ただ、当時はイントロから先に進めずにいたというわけだ。ただ、いつか出そうと思い、データは保存してあった。実は今回、真っ先に手を付けたのがこの曲だった。ところが長い時を経て再チャレンジしてみたところ、わりとすんなりとできてしまった。やはり私自身の経験値が上がっておるのだな、と実感させられた次第だ。

―そうした実感があるからこそ、このインタビューの冒頭でも”成長”という言葉が出てきたのではないか、という気がします。

DH:なるほどなるほど。興味深いものだな。





「王道」を自覚することで精神的グルーヴが一致

―後世に残る曲、洋楽に遜色のないクオリティ。それは音楽家の多くが意識するところでしょうが、それでもその時どきのトレンドに則ってしまったり、インパクトを求めるあまり奇を衒ったものになってしまうケースも多いはずです。ところがこの2作の楽曲たちというのは、むしろハード・ロック/ヘヴィ・メタルの王道的な楽曲といえそうですし、そうした楽曲で構成されたアルバムがこの時代にこうして堂々と登場することにも意義深さを感じます。

DH:おお! ということは、発売のタイミングも良かったということになるのかな?(笑)今、王道的という言葉が出たが、それは、さきほどの「スタジオ・ミュージシャンばかり集めていたらこうはならなかったかもしれない」という話にも通ずるところがある。私は、さくら”シエル”伊舎堂にしても、金属恵比寿の面々にしても、「この人たちはどんなものが好きなのだろう?」というところまで探りながら起用している。その全員に共通しているのが、いわゆるクラシック・ロックを非常に好んでいるという点だ。私自身も70年代、80年代のそうしたものが大好きで、自分の音楽的趣味が90年代前半あたりまでで止まっているようなところがあるのを自覚しておるが、そこが共通していることにより全員の精神的グルーヴが一致している。私にはそうした感触があるし、それがその王道感に繋がっているのではないかな。同時に、その王道というのが自分自身、ダミアン浜田にとっての音楽の枠だと認識している。そこでみんな周波数も歩調も合わせながら、いろいろなことをやってみたということになるだろう。

―しかもその周波数や歩調が無理なく合った、ということですね?

DH:うむ、その通りだ。無理なく、というのは大事なことだ。

―音楽的には王道。ただ、作曲者が演奏に関わらないというバンドの成り立ちや、見た目の部分からは、逆に邪道の匂いも感じられます。私にはそれが、ある種の問いかけのようにも思えるんです。「この音楽を邪道だと感じるならば、それはイメージに左右されてしまっている証拠なのではないか?」というような。

DH:ふふふ。面白いことを言うな。ただ、そうしたギャップを狙ったわけではないし、むしろ聖飢魔Ⅱからの流れを踏襲するとこういう形になった、ということでしかないのだが。


邦楽・洋楽、海外・国内の垣根をこえて

―イメージの強さゆえに、すべてコンセプトありきで成立しているようにも見えがちですが、実は何よりも楽曲優先ですべてがそれに付随している、という点にも興味深いものがあります。そして改めてお聞きしたいのが、さきほども話に出た洋楽に対する意識のあり方についてです。洋楽リスナーの耳を意識するという傾向は、実はご自身にも過去に邦楽を軽視していたことがあったからではないか、という気がするのです。いかがでしょうか?

DH:はははは! その通りだ。今だから言えることだが、そうした傾向は多分にあったように思う。私自身の音楽歴は、小学生の頃に特撮やアニメの音楽に興味を持ったところから始まっている。実は3歳上の兄がおるのだが、兄が歌謡曲を聴けば自分も歌謡曲を、フォークを聴くようになれば自分もそれを、というのがあり、ロックを聴くようになったのも兄がロックを聴き始めたからだった。最初に兄から聴かせてもらったのがエマーソン・レイク&パーマー。つまり私のロック歴はプログレから始まっている。「おお、これはすごい!」と心底感じたものだ。そして、そこからハード・ロック/ヘヴィ・メタルの世界に入っていくことになる。レインボーの『虹を翔ける覇者』を聴き、そこで目覚めたのだ。すぐさま曲を作りたいなどと考えたわけではないが、「これぞ私のものめていた音楽ではないか!」という感覚があった。そこからリッチー・ブラックモアの過去をたどっていくようになり、ディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』を手に入れ、あの”ハイウェイ・スター”を聴いて自分でもギターを弾いてみたいと思うようになったというわけだ。要するに私の場合、フォークからそこに足を踏み入れることになったので、日本のロックというものを通っていない。

もちろん有名な大御所バンドなどは知っていたが、一度洋楽ロックに夢中になると、そこで邦楽を聴くことはある種の後退であるかのように感じていた部分がある。もちろん決してそんなことはないわけだが。ただ、そんな私の意識を最初に替えてくれたのが紫だった。ディープ・パープルそっくりで、歌詞も英語で、ほとんど洋楽ではあったが、彼らの音楽に触れたことで「日本のバンドもすごいな」と思うようになった。その流れから、カルメン・マキ&OZなども聴くようになったが、決定的だったのはラウドネスの登場だろう。彼らの”Loudness”という曲の歌詞には「固い頭に釘を打ち込め」という一節があるが、まさに脳天に釘を打ちつけられたかのような衝撃をおぼえたものだ。高崎晃さんのギターももちろんだが、二井原実さんの歌唱法も素晴らしかった。洋楽に負けないもの、しかも男性ヴォーカルでありながらあのキーで歌うのか、というところが圧倒的だった。そして私が思ったのは、そうしたすごい人たちがいる以上、ギター・テクニックの面では敵わないだろうが、作曲面では対抗できるのではないか、ということだった。

―そこに陛下の作曲に対する動機の根源があるわけですね。過去には確かに、日本のバンドが洋楽の代用品のような位置付けだった時代もありました。が、そのラウドネスが世界で広く認知されるようになったことを機に状況もだいぶ変わったように思いますし、昨今では日本の音楽家が作ったものを全世界に向けて配信するようなこともごく普通にできるようになっています。Damian Hamadas Creaturesはまさにそうした時代に動き始めることになったわけですが、そこでの野望のようなものも当然お持ちなのではないかとお察しします。

DH:ふふふ。確かに野望は膨らんでおる。先日、YouTubeにミュージック・ビデオをアップしたところ、外国からも多数の感想が寄せられていた。まだCD、いや、聖典も世に出ていないうちからね。「こんなにも早い段階から興味を持ってくれているのか!」と、思わず私も嬉しい気持ちになったぞ。こちらから働きかけているわけでもないのに欧米の人たちが聴いてくれ、感想を送ってくれる。これはさすがの私もいい気になる……いや、自分にとってとても励みになる(笑)。



―今ふと思ったのですが、このバンドの特殊な成り立ちを考えると、それこそ将来的には陛下の書かれた楽曲を外国の僕(しもべ)たちが演奏する、というようなことがあっても面白いのではないでしょうか?

DH:ああ、そんなことにでもなれば私には非常に光栄なことだ。しかもシエルは英語が堪能ときている。もしも海外から「英語盤を出してくれ!」という要望があれば、いつでもそれに対応できるような状況は整っておる。まあ、明日やってくれなどと言われれば無理だがな(笑)。しかしそうやって、私の野望は膨らんでいくというわけだ。

―この先にどのような展開が待ち受けているかを楽しみにしております。ただ、同時に陛下には、これまでのかくも長き不在について責任を感じていただきたい部分もあるのですが。

DH:はははは! それは嬉しい誉め言葉として受け止めておこう。この先を、楽しみにしていてくれたまえ。


ダミアン浜田陛下とDamian Hamadas Creatures


<INFORMATION>


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6. Lady into Devil
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8. Babel(カラオケ)
9. Heaven to Hell(カラオケ)
10. Running like a Tiger(カラオケ)
11. 三枚の照魔鏡(カラオケ)
12. Lady into Devil(カラオケ)
13. Sacrifice of Love~主よ、人の欲望の悲しみよ(カラオケ)



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2. Deepest Red
3. 新月のメヌエット
4. 女神と死神
5. 魔皇女降臨~Birth of Death, Death of Birth
6. Which Do You Like?
7. Angel of Darkness(カラオケ)
8. Deepest Red(カラオケ)
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11. Which Do You Like?(カラオケ)

https://www.damianhc.jp/

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