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チープ・トリックのリック・ニールセンが語る、「最後の日」までロックを奏で続ける理由

Rolling Stone Japan / 2021年4月8日 17時30分

チープ・トリックのリック・ニールセン(Photo by Ari Perilstein/Getty Images for The Recording Academy)

1997年のアルバム『Cheap Trick』以降、インディ・レーベルでのリリースが続いていたチープ・トリックが、BMGと契約して再出発。スタジオ録音盤としては通算20枚目となるニュー・アルバム『In Another World』を完成させた。メジャー・レーベルからのアルバムは1994年の『Woke Up With A Monster』以来、実に27年振りとなる。プロデューサーは近年のアルバムを続けて手掛けてきたジュリアン・レイモンド。自身がチープ・トリックの大ファンである彼の匙加減がこれまで以上に効いており、ワイルドなバンド・サウンドの魅力を引き出す一方、”ツボ”を外さないメロディックな佳曲が揃った、バランスの良い作品に仕上がった。

チープ・トリックがエピックからデビューしたのは1977年。人気が先行していた日本市場向けに企画されたライブ盤『at 武道館』(1978年)が本国アメリカでも評判になり、これを機にワールドワイドでの成功をものにした。”ネクスト・ビートルズ”的なイメージ戦略で売り出された彼らはジョージ・マーティンのプロデュースで『All Shook Up』(1980年)を録音するも、ここでベーシストのトム・ピーターソンが脱退。セールス不振にあえいだ時期もあったが、トム復帰後の『Lap Of Luxury』(1988年)で劇的な再ブレイクを果たし、新たなファン層を開拓することができた幸運なバンドだ。しかし外部のソングライターの力を借りたポップ路線での再ブレイクについて、リーダーでギタリストのリック・ニールセンは複雑な心境であったことを公言し続けている(今回のインタビューで言っている「間違いをいっぱい犯した」にも、それが含まれると思っていいだろう)。


1978年の日本武道館公演、イントロでギターを弾いているのがリック・ニールセン

このバンドが恐ろしいのは前史の長さ。メンバーは60年代から地元のイリノイ州で活動を始めた精鋭ばかりで、中でもリック・ニールセンはヤードバーズ末期のシングル「Ha Ha Said The Clown」(1967年)でオルガンを担当したという経歴の持ち主だ。NMEを定期購読して最新のシングルをチェックしまくっていたリックは評論家顔負けの英国ロック・マニア。コミカルなキャラクターの下に、”筋金入りのロック・ファンが鳴らすロック”という側面を隠し持っていた。

昨年はリックとトム・ピーターソンが在籍していたヒューズのデビュー・アルバム『ヒューズ登場(Fuse)』が、発売から50年という記念すべき年だった。インタビューの冒頭でその件について訊くと、「当時は日本人なんて誰一人知らなかった! それから何年も後、1978年に初めて日本に行った時も、僕らは日本にいる”数少ないガイジン”で欧米人はあまりいなかった。ところが最後に日本へ行った時は、日本人があまりいなかった」と軽い調子ではぐらかすリック。しかし50年以上に及ぶ音楽人生を振り返り、「多くを見て、学んで、いろんなことの良さを知った。今もこうして続けられていることをラッキーだと思うよ」と謙虚に心境を語る。ハード・ロック勢からパンク/ニュー・ウェイヴ勢、パワー・ポップ勢、オルタナ世代に至るまで数多くのアーティストに影響を与えてきたレジェンドでありながら、「自分は大してギターがうまくないし、ソングライティングもまだまだ模索中」と自己評価は非常に厳しい。そんな人柄のリック・ニールセン……今年の12月で73歳になる大ベテランの最新発言をお届けしよう。

パンデミック以降の「別世界」

ーパンデミックの前に、あなたはお子さんたちとザ・ニールセン・トラストというグループを結成しましたよね。あの家族バンドはどんな風にして始まったんでしょう?

リック:ちょうどチープ・トリックがツアーで世界中を周ったあとだった。ロビン(・ザンダー、Vo)はアリス・クーパーとオーケストラで数曲歌う予定が入っていて、ヨーロッパへ行くことになっていた(2020年3月にドイツで開催された「Rock Meets Classic 2020」)。それで、チープ・トリックとしてのスケジュールは3月が1カ月オフになったんだ。ダックスはチープ・トリックでドラムを叩いていたが、もう一人の息子のマイルスは自分のバンドや、奥さんとのバンドをやっていた。個別にちょっと共演する機会はあったが、家族全員で一緒にやる機会はなかったから、せっかく1カ月空いたからやろうぜという話になった。リハーサルをして10数回のショウを告知し、チケットも全てソールドアウト。2回やって、さぁこれから!という時に、そこで(パンデミックが広がって)終わっちゃったのさ。



ーチープ・トリックとしての活動も、パンデミックの影響で様々なプランが先延ばしになりましたよね。こんなに長い間自宅で過ごすのはデビュー以来初めてだと思うのですが、家では毎日どんな風に過ごし、何を考えていましたか?

リック:インスピレーションに富んでいる期間とはとても言えなかったな。よく「いつも曲は書いていたんでしょ?」と言われるが、曲を書きたいと思わせられることがないんだよ。何より辛いのはーーきっとそう思う人間も多いだろうがーーいつ終わるのかが見えない、この先何が起こるか分からない点だ。こんなのは初めてだろ? 世界中がめちゃめちゃだ。治療薬はないし、人はどんどん命を落としている。アメリカではすでに4年間のパンデミックが起きていたわけだが……政治的にな(トランプ政権のこと)。あの時もなんの救いもなく、そのことが(ニュー・アルバムで)ジョン・レノンの「Gimme Some Truth」をカバーするインスピレーションになった。何かを発言したいが、俺たちは政治的なバンドじゃない。だったらジョンの言葉を借りて語ろうじゃないか、とね。



ーニュー・アルバムの『In Another World』は昨年の早い段階でほぼ出来上がっていたそうですが、歌詞を見てみると、パンデミックが影響した感じの曲がいくつかありますね。アルバムのタイトルにもそういうニュアンスは込められていますか?

リック:ああ、それは間違いなく。アルバム・タイトルも、「Gimme Some Truth」を入れることにしたのも、曲順を決めたのも、ここ3〜4カ月の話だよ。「The Summer Looks Good On You」を作った時点ではまだアルバムのことは頭になくて、曲単位でレコーディングをしているに過ぎなかった。俺も他のことを並行してやったりしてたし。そうこうしているうちにパンデミックになり、レコード会社もBMGに移るなど色々あった。でもその時すぐリリースする理由もなかったんで、時期が来たら出せばいいと思っていたんだ。実際、一度決めていたリリース予定からはさらにもう一度延びたわけだが、こうしてようやく出る運びになった。「The Summer Looks Good On You」も「Gimme Some Truth」も、当初はアルバムに入れないつもりだった曲なんだよ。

アルバム・タイトルも他に候補はあったが、『In Another World』が一番フィットするように思えた。まさに今、俺たちは今までとは違う別世界にでもいるみたいじゃないか。そしてそれがいつ終わるのかも、いつになったら安全になるのかも、いつまた日本に行けるのかも分からない。俺は毎年、感謝祭の時期はロンドンとイタリアで過ごしていたんだ。でも行けなくなったし、クリスマスも家には家族を来させなかった。その頃は家の中でも手袋をしていたくらいだ。俺には孫が12人いるが、その子たちがどこへ出歩いていたかなんて分からないからな。かなり怖かったよ。今もだ。



ープロデューサーのジュリアン・レイモンドとのつき合いは長くて、1994年の『Woke Up With Monster』で曲を共作したのが最初だったと思います。彼も元々は自分のバンドを率いて活動していましたが、どんなきっかけで親しくなったんですか?

リック:ジュリアンは何年も前にごく短い間だが、トムと一緒にプレイしていた時期があった。あいつはチープ・トリックの大ファンなんだよ。いつも電話をしてきては「リック、君がやった昔のテイクがある。これを完成させよう」とか言うんだ。それで「わかったよ」と二人でスタジオに入る、というようなことをずっと続けて来た。

ジュリアンはキャピトル・レコードで働いてからハリウッド・レコードに移り、その後ビッグ・マシーン(以前チープ・トリックもアルバムをリリースしていたインディ・レーベル)に呼ばれてナッシュヴィルに移住し、そこでヒットを出すようになった。俺もグレン・キャンベルの曲で仕事をしたよ(2008年の『Meet Glen Campbell』、2011年の『Ghost On The Canvas』に参加)。とにかくロックとチープ・トリックが大好きな男だ。どんな時も必ず引き受けてくれるし、予算がない時はタダでやってくれたこともある。彼自身もソングライターだし、チープ・トリックの歴史をリスペクトしてくれているので、わけのわからないソングライターを外部から連れてくるようなことはしない。チープ・トリックでヒットを出したいと思ってくれてはいるが、これ以上バカなことをしてバンドを危機に晒すようなことはしないんだ。チープ・トリックはもう十分バカなことをやってきたからな! バンド内で意見が割れて揉めた時も、ジュリアンの1票が重要になることが多い。大抵の場合、「やろうよ!」ってけしかけてくるがね。だから悪い結果は全部あいつのせいだ!(笑)

ソングライティングにおけるプロセスの変化

ーソングライティングは、初期にはあなたが100%一人でやっていましたが、途中からメンバーと共作する形に変わって行きましたよね。今はどんなプロセスで共作することが多いのか、具体的に教えてもらえますか?

リック:ああ、最初の数枚の時は全ての曲を俺が一人で書いていた。でも一人でやるよりメンバー全員が書いてくれる方が楽だと分かったんだ。そっちの方がいいしな。他のメンバーと曲を書く時は、スタジオで「こんなアイディアがある」「今の2番目のところはイマイチだな」「なんか違うことはできないか?」って感じでやり取りしていく。

「Final Days」は一種のブルース曲。ブルース、だけどブルースじゃない。俺はリフを弾いてるけど、ジョン・レノンとやった時みたいなフィールがあるんだ。で、コーラスになると70年代のUKグループ風な感じになって……それぞれのパーツが力を貸してくれるんだよ。こちらがそうしようと狙って何かをしてるんじゃなくて、曲の方がどんどんと成長して形になっていくから、俺たちはそれをなんとか形にとどめようとする。「The Summer Looks Good On You」も、あの”Here comes the summer”という1ラインがあっただけで、「さてこれをどうしよう?」ということになった。でも、だからと言ってビーチ・ボーイズみたいな曲にはしたくなかったからね。

ー今回のアルバムで、あなたの色が特に強い曲を挙げるなら、どれになりますか?

リック:「Heres Looking At You」は俺だ! 間違いない。「Ill See You Again」はジュリアンの奥さんの兄弟がレコーディング中に亡くなって、彼も大のチープ・トリック・ファンだった。何か彼のためにできないかなということでこれをやったんだ。アルバムに入れなきゃとか、そういうプレッシャーもなく作った曲だった。アルバムに入ったのは正直驚きだったよ。ただ、残りの曲と並べてみた時に、全体の印象の中であれが合っていたんだ。たとえば「Sleep Forever」という曲を覚えているかい?(2009年の『The Latest』に収録)。あの曲を書いた時もバンドのために働いていてくれた男が亡くなったんだ。ちょうど9.11の直後だった。テキサスで行われた彼の葬儀に参列し、そこで流れていた曲を聞いて、「俺にもこれと同じくらい憂鬱な曲が書ける」と思って書いた曲だ。いい教会音楽がなかったから、それに代わる曲として「永遠に安らかに眠ってくれ」と送る意味で書いた。理由があって書かれた点は「Ill See You Again」も同じだ。

ーなるほど。では、ロビンの色が特に強い曲はどれでしょう?

リック:彼が一人でやってるやつだ。「So It Goes」だったかな。あの曲は俺はコードすら知らない!


1979年、ローリングストーン誌の表紙を飾ったチープ・トリック


ー「Boys & Girls & Rock N Roll」は80年代から別のタイトルでデモが存在していた曲ですよね? あなたは大量の未発表曲をストックとして持っていますが、他にもそこから選んで磨き直した曲が新作にはあるのでしょうか?

リック:やったけどアルバムに入らなかった曲ならあったよ。数年前、俺は体調を悪くしていて、セッションに参加しないこともあった。あとで部分的に直すのには参加したが、俺抜きで残りの連中で作業を進めていたのさ。そんな1曲だよ。



ー「Final Days」でハープを吹いているのは、意外なことにウェット・ウィリーのジミー・ホールだそうですね。彼はジェフ・ベックとの共演でもよく知られていますが、どのような経緯で参加することに?

リック:ああ、クールだろ? ナッシュヴィルでレコーディングしたんだよ。俺のギター・パートはもう録音し終えたあとで、別々に録った。最初ロビンがハーモニカ・パートを試したんだ。まぁ、悪くはなかったが、なんていうか微妙でさ……。でもジミー・ホールはすっごくうまかった! 彼のパートがもっと長くなかったのは残念だ。どういう経緯で彼がやることになったのかは、誰かに訊かないと分からないな。ジミーは大好きなジェフ・ベックとやってるし、あれだけうまいんだから、使わない手はないだろ。

セックス・ピストルズやジョン・レノンとの記憶

ー「Gimme Some Truth」にはセックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズが参加しています。あなたはパンク・ロックに対して肯定的でしたが、ピストルズについてはどう思ってました?

リック:好きだったよ! チープ・トリックの2ndアルバムを作っている時、プロデューサーのトム・ワーマンから「お前ら、誰が好きなんだ?」と訊かれたから「セックス・ピストルズが好きだ」と言ったんだ。でもトムは奴らのことが大っ嫌いだった。それで俺たちはますますピストルズが好きになったんだ。

ー(笑)

リック:彼らのナンセンスなところはどうでもよかったが、アティテュードは好きだったよ、マルコム・マクラーレンを含めて。マルコムの作品のオーケストレーションとか、実はすごいんだ。マルコムがどういう人物だったか少しでも知っていれば分かると思うが、彼がパンクをやっていたこと自体クールなことだと思うね。スティーヴ・ジョーンズと聞いて思い浮かべるのは(ギターを弾く)こういうストレートなやつ。驚くほどうまいとかじゃないが、驚くほどストレートだったってことさ。相手を打ち負かそうというプレイじゃない。それは俺も同じだ。もっとうまく弾けりゃよかったけど、俺も一度もまともにリハをしたことはないし、練習をしたこともない。「ソングライターになりたい」っていう、ただそれだけだったから。それだって未だに模索中だ。



ースティーヴとは70年代当時から仲良かったんですか?

リック:ああ、スティーヴのことは知ってた。彼の「Jonesys Jukebox」(スティーヴ・ジョーンズがホストを務めるラジオ番組)にも数回出たよ。スティーヴを交えてスタジオでセックス・ピストルズの曲をやったこともある。俺たちと一緒にやるのを楽しいと思ってくれているみたいだ。新作の制作中、「Jonesys Jukebox」にロビンと出演したんだ。その時スタジオに今持ってるこのギターを持って行った。ジョン・レノンのカバーをやるんだよって聴かせたのさ。そしたら彼がギターを手に取り、一緒に弾き始めた。それが弾き過ぎることもなく、弾き足りないこともなくちょうど曲に必要なギターだった。だから「レコードでも弾いてくれないか?」と誘ったのさ。もうそのあとはやるなって言ってもやめさせられなかった(笑)。でも良かったよ。すごくやる気だったからね。あっと驚くようなことは何もしてないけど、いい曲を彼らしく弾いてくれた。彼のやったことはリスペクトしてるよ。セックス・ピストルズってあれだけ知られているけどさ、実際あいつら何枚アルバムを出した? 1枚、だろ?(笑)

ー確かに。さて、あなたは「Gimme Some Truth」の作者であるジョン・レノンからお呼びが掛かり、1980年に「Im Losing You」のレコーディング・セッションに参加したことがよく知られています。もう何万回も訊かれたと思いますが、改めてその日のことを詳しく教えてもらえますか?

リック:「セッションを助けてくれ」って呼ばれたんだよ。どうにも演奏がラウンジ・バンドみたいになっていたんで、俺たちを入れてもう少し”ロックさせよう”とプロデューサーのジャック・ダグラスが考えたんだ。1980年8月12日、その前日にカナダのモントリオール・フォーラムでライブがあった俺たちはモントリオールからニューヨーク入りした。やるのは秘密だったんで誰にも言っちゃいけなかった。ヒット・ファクトリーに着いてセッティングをしていたら、ジョンとヨーコがやって来て「なんだ、お前か!」と言って俺を指差したんだ。いつも言うジョークだが、きっとジョンは俺のことを『陽気なネルソン』(1952年から放送された人気TVドラマ)のリッキー・ネルソンと勘違いしたんだろう。何を話したか……よくあるミュージシャン同士の会話だよ。俺はギターのことを話したかな。俺のプレイも気に入ってくれてたみたいだ。その時について話した音源があるんで、あとで送るよ。

※取材後にリックからハワード・スターンの番組に出演した際の音源が到着。そこでは「ジョンと会う日、実は息子のダックスが生まれた日だったが、カナダで買ったキューバ産葉巻を吸いながら『どうせ生まれてくる赤ん坊は今日のことを覚えていないし……』と考え、ジョンの方を優先した」「ジョンの持っていたギターがあまりにもひどい代物だったので自分のストリングベンダーを搭載したフェンダー・テレキャスターを渡し、『あとで取りに来るからレコーディングに使ってくれ』と預けておいた。そのままギターを持って帰られ、3年後にヨーコがジャック・ダグラス経由で返却してくれた」「ジョンも自分もメロトロンを所有していたのでその話をした」「ギターショップに俺がジョンを案内しようという話をした」「チープ・トリックがジョン・レノンのバック・バンドになってアルバムを作ろうという話も出た」などと語っている。



チープ・トリックを形成する音楽的ルーツ

ーチープ・トリックの”スタイル”を形成する上で影響を受けたと思うレコードをいくつか挙げてもらえますか? たとえばビートルズやヤードバーズ、ラモーンズ、あるいはあなたが大好きなファミリー、センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドとか……。

リック:それそれ! というか、今名前が挙がった全部を少しずつだ。センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドだったら(と言ってギターを弾きながら)「Faith Healer」だな。アレックス・ハーヴェイは (AC/DCの)ボン・スコットの先駆者に当たるんだ。二人とも、海賊みたいなところがあっただろ? 少なくとも俺にはそう見える。(ダミ声で喋る真似をして)クールなエネルギーでいっぱいなところが大好きだった。しかも見せ掛けでやってるんじゃないところがいい。本物なんだよ。なんてこった!だぜ。

リック:ザ・フーもそうだ。彼らは俺が観た中じゃ一番、最高のライブ・バンドだ。1968年に彼らの前座をやったよ。いい曲が多くありすぎて、1つだけ選ぶのは難しいな……。ジョン・エントウィッスルはベースの本(ジョンのベース・コレクションを紹介した書籍『Bass Culture』)で仕事をさせてもらったが……彼が書いた「My Wife」は好きだよ。彼のベースも最高だが、あの曲のストーリーがいい。彼らのごく初期のヴィデオを見ると、今のイメージとは違ってチャラチャラしたガキなんだよ。いい意味でね。でもあの頃からハーモニーはしっかりしてたし、でっかいドラムでバッシャーン!!!って感じで、そんなところが大好きだった。楽しくてエキサイティングだった。

ヤードバーズは……俺たちの新しいアルバムに入ってる「Light Up The Fire」のソロでは、ジミー・ペイジとジェフ・ベックが二人で弾いた「Happening Ten Years Time Ago」が思い浮かんだ。でも似せようと思って書いたわけじゃなくて、曲がそんな風に聞こえたのでやってみたっていう感じさ。




ー近年のチープ・トリックは「Gimme Some Truth」以外にもカバー曲をいくつも録音していて、ビートルズ「She Said, She Said」ニルソン「Ambush」、そしてデヴィッド・ボウイ「Rebel Rebel」を取り上げましたよね。それぞれどんな風にアレンジしようと考えましたか?

リック:「Rebel Rebel」はオリジナルに忠実にしようとしたよ。あのギター・リフは誰もが知っているから、ほとんど変えずにそのままやった。”Hot tramp I love you so”から続く部分だけ勝手にこちらで作ったけど。

「She Said, She Said」はビートルズの曲だけど、ザ・フーがビートルズをやってるようにやった点がクールなんだ。デカいコードで(歌う)、ちょっと変則的なタイミングになっている。ライブでは結構やっていた曲だ。

ハリー・ニルソンの「Ambush」はライブではやったことがない。スタジオでのみだ。あれは(トリビュート・アルバム『This Is The Town』のために)何かニルソンの曲をやってくれと言われて、誰もが知っている曲じゃない方がいいなと思って選んだんだ。ジョン・レノンがあの曲を口ずさんでいる姿を想像できないかい?



チープ・トリックはどこが特別だったのか?

ーここまでいろんなロック・バンドの話をしてきましたが、客観的に見てチープ・トリックというバンドはどんなところが特別だったんだと思いますか?

リック:好きだったバンドの要素がチープ・トリックに影響したことは否定しようがない。俺たちはアメリカのバンドだが、世界中のいろんな音楽が好きで、少しずつその全部の要素が入っているんだ。ヨーロッパからも少し入っているし、日本人から好きだと言ってもらうようになってからは、もっと日本のことが知りたいと思った。それまで何も日本のことを知らなかったからね。当時はリクエストしたんだよ。年に3カ月は日本、3カ月はロンドンに住ませてくれと。俺には自分たちのアルバムだけを次々と作る我慢強さもないから、誰かチープ・トリックと一緒にやりたいアーティストがいたらプロデュースとかしたいと思ってた。日本でテレビを見ていて、自分にやらせてくれたらいい仕事ができるんじゃないかと思うものもあったしね。残念ながらそのチャンスはなかったが……で、質問はなんだっけ?

ーチープ・トリックの何が特別か、です。

リック:ああ。それと、俺たちは自分たち以外の誰かになろうとしたことがなかった。ストーンズみたいになろうとか、レッド・ツェッペリンみたいになろうとか。世界一音のデカいガレージ・バンドでいられれば、それで一向に構わなかったんだ。俺たちはあまりにも非完璧主義過ぎて、やらせると完璧にやっちゃうんだよ!

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ーチープ・トリックのようにコンスタントにニュー・アルバムを作り続けるのは、最近では難しいようですね。ピート・タウンゼントは「ザ・フーの新作は製作費が足りなくて自腹を切った」というようなことを言ってました。

リック:俺たちは長いことそうしてるぜ。

ーそれでもアルバムを作り続ける動機は何なのでしょう?

リック:いや、実際訊かれることもあるんだよ。「なぜ君たちは今も続けているんだ?」とね。もう誰もやってないのに、と。俺たちがこれを続けているのは、好きだからだ。やって金持ちになろうと思ったことは生涯一度もない。誰かに「リック、今夜やらないか?」と言われたら「いいよ!」だ。「いくらだ?」とは言わない。「やると赤字だ」と言われても「気にするな。やることがいいことなんだ」って言ってやる。俺たちは演奏するのが好きだし、俺たちにやってほしいって思ってくれる人たちがいる。ミュージシャンたちは「君たちからいい影響を受けた」と言ってくれる。ああ、そうだろう。俺たちは間違いをいっぱい犯したからな! それでもこうして仕事を続けているし、どんなことに直面しても諦めさせられることはなかった。悪いアドバイスをして来たマネージャーたちはみんな首を切ってやった。時には遅すぎたこともあったがね!

ー最後に、あなた自身はミュージシャンとしてのファイナル・デイズというか、活動の引き際や引退について考えることがあるんでしょうか?

リック:でも言ってみりゃ、このパンデミックはある種の強制的な引退じゃないか? それでもこうやって君たちと会話ができて、興味を持ってもらえている。この数日で50本近いインタビューをやって、声はもうガラガラ、何も記憶がなくなってしまっているが……。

ーそれはすみません!

リック:いやいや。そうやって訊いてもらえること自体がありがたいというか、光栄な話だ。今、俺は72歳だよ。その俺が、ロック・バンドを引退することについて質問をされてるなんて、どんだけクールなんだ?!

ー絶対に引退しないでくださいね。

リック:する気はないぞ! また日本に行くのが待ち遠しいよ。



チープ・トリック
『In Another World』
2021年4月9日リリース
試聴・購入:https://silentrade.lnk.to/InAnotherWorld

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