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清春、ライブ2021「残響」で見せた突破者の姿

Rolling Stone Japan / 2021年7月19日 20時0分

清春有観客ライブ2021「残響」東京・渋谷文化センターさくらホール公演の様子(Photo by 今井俊彦)

清春が2021年7月11日、有観客ライブ2021「残響」を東京・渋谷文化センターさくらホールにて開催した。ここでは現地からのレポートを掲載する。

コロナ禍でもロックミュージシャン・アーティストとして独自の進化を遂げ続けているのが清春だ。清春は今も時々はテレビに出ていて、その瞬間だけを観て彼を思い出す人もいるのかもしれない。そういう人は黒夢時代のヒット、サッズ時代の『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌「忘却の空」のヒットで清春に触れたものの清春の具体的な活動にはコミットしてこなかった人だと思う。かくいう筆者もソロアーティスト清春の熱心なリスナーではなかった。だが、少し前にインタビューで出会い、その明け透けな発言、そして群れをなさず孤高に新しい挑戦を続ける姿、その歌唱そのものに感銘を受けてファンとなった。

関連記事:清春が語る「配信ライブ」のあるべき姿

そして、冒頭に書いた通り、これまでも先鋭的な活動をしてきた清春がこのコロナ禍で他にはない新しい表現に取り組み、ロックミュージシャンとしてアーティストとして頭ひとつ抜け出していているその証明のひとつとなったのがこの日のライブ「残響」だった。



ライブの詳細を書く前にもう少しコロナ禍における清春の活動について触れておく。コロナ禍でライブがまともに出来なくなり、ロックミュージシャンの活動は大きく制限された。その中で配信ライブが盛んにおこなわれるようになったが、最初こそライブの受け皿として歓待された配信も徐々に視聴者数を減らしていった。ジャンルにもよるが、配信の視聴者数はリアルライブの50%くらいだという。筆者もイベントのMCをやっているが、50%というのはだいたい相場な気がする。つまり、オーディエンス的にはライブに代替物にはまだなりえていないということだ。

そんな中、清春は配信ライブとは違う、配信によるパフォーマンスを行ってきた。当初は「TEST」という名義で、現在は『A NEW MY TERRITORY「錯覚リフレイン」』(以下、ANMTと略)と題してほぼ月に2回のペースで行っているライブストリーミングだ。普通の配信ライブと何が違うかというと、”映像付きのライブレコーディング”というのが「ANMT」の本質だと思う。映像が故に、とにかく見せ方には徹底的にこだわっている。毎回、映像監督によるディレクションがあり、その世界観の中で、演劇的に自由に振る舞う=視覚的に見せながら歌う。更に、配信自体は数日間のアーカイブがあるが、配信を観た者には、その音源がデータで届けられる。つまり、ライブアルバムが届くのと同じ=レコーディングだ。しかも、未発表の新曲も披露していて、完全に新しい表現手段として確立した。その「ANMT」と対になる進行形の清春の表現が今回の「残響」。清春自身の言葉を借りると、以下のようになる。

「表層的なことで言えば、『ATMN錯覚リフレイン』が配信で、『残響』がリアルライブなんだけど。リアルライブって言うけど、配信もリアルライブも共に儚いものだと思っていて。ライブで目にするものだってその時だけの刹那なもので幻みたいなものじゃない? それより、ライブの後にのこったものが大切な気がするんですよ。それが映像なら残像というか錯覚だよね。それが音なら残響だし。で、残響が残るようなことをちゃんとしたいよねって思ったんです。ライブを観てMCがいいとか、泣けるとかじゃなく、とにかく音を残したくて。『残響』ではマイクを外して歌ったりするけど、それは後付けで。最初はそんな想いから始まったの。見た目を楽しみたい人には配信の方がいいわけじゃない? カメラも寄ってくれてライブ会場より楽しめる。だから『ANMT錯覚リフレイン』は映像的な部分に執拗にこだわってる。逆にリアルライブは目をつむっていても成立しないとライブじゃないでしょ。両極にこだわっている一方が『残響』。この二つが対になって今の僕の表現が成立してるから両方を体感してほしいんだよね」

と、コロナ禍でロックの持つ羽根が捥がれてゆく中、新しい羽根を付け、高いところを目指しているのが清春だ、ということがこの発言から少しはわかって頂けたかと思う。



さて、その「残響」の渋谷区総合文化センターさくらホール公演。会場のさくらホールもクラッシックの演奏などにも使用されるホールで、「残響」のコンセプトを体現するのにはピッタリの会場だ。定刻から10分押しでライブはスタート。ステージに登場したのは清春とギタリストのDURAN。DURANの弾くブルージーなアコースティックギターの音から1曲目の「下劣」がスタートした。

前日も自身のイベントでライブを行っている清春だが、このコロナ禍の一年以上を「ANMT」で歌うことを続けているので、喉もタフに鍛えており、1曲目からとにかく歌が素晴らしい。しかもギター1本なので、演奏に埋もれることもなく歌声がホールに響き渡る。2曲目の「凌辱」からピアニスト・園田涼が加わる。東大卒という経歴を持つピアニスト・園田は、今回が初の清春との共演となる。その園田のピアノがとてもエモーショナルでDURANの熱いプレイと相まって演奏のテンションがどんどん上がって行く。その演奏に絡みながら清春の歌の圧がどんどん上がって行く。大きな声というより、声の圧がすごく、ホールに清春の声が充満していき、アコースティックなのに癒しという感じではなく、オーディエンスも集中して一音一音に耳を傾けているのがわかる。


Photo by 今井俊彦

3曲目の「グレージュ」の後にメンバー紹介のMCを挟む。これだけ完成度の高いパフォーマンスを行いながらMCがざっくばらんなのも清春らしい。そのMCでオーディエンスも緊張がほぐれ、張り詰めていたホールの空気が少し緩むのがわかる。MCを挟んだ4曲目は「EDEN」ではDURANはギターをエレキに持ち変えた。このエレキの音がかなり幻想的で、ピアノの音とともに前衛的な空気を作りだし、清春の歌もそこに呼応して行く。勝手な妄想だが、寺山修司が生きていたらきっと一緒に何かをやっているだろうなぁと思った。

5曲目の「罪滅ぼし野ばら」の後に再びMC。ここで翌日から発出される緊急事態宣言について触れる。「この公演も最初は50%しかチケットを売ってなくて、その後100%売っていいってなったまま緊急事態宣言。ご苦労さんです」と皮肉たっぷりに話すとオーディエンスから小さな笑いが起こる。この日もオーディエンスはマスク着用がマストだし、声を出すのはNGだ。ライブも20時までに終演しないといけない。そんなことを知っていて、清春がオーディエンスに問いかける。「今何時? 8時までにライブ終わらないとだから時間教えて」と。会場から返答はない。再び清春が問う。「じゃなくて、今何時?」と。何度が問うと「6時過ぎ!」と答えるオーディエンスが現れた。「ありがとう。喋っちゃってるじゃん!」とからかうと会場から大きな笑いが起きた。



この光景を観ていて、コロナ禍におけるライブについての清春の発言を思い出した。去年末も清春はカウントダウンライブを開催した。この時は緊急事態宣言下ではなかったので開催は問題なかった。けど、清春のカウントダウンライブは他のミュージシャンのそれとは違った。公演時間は6時間を越え、ライブの最後にはオーディエンスも声を出し歌った。クラスターは起きなかったが、後からクレームの声も上がったという。それを受けて清春は、”(僕の)ライブに来るならそれぞれに突破して来て。ロックのライブってそういう場所だから”的な発言でファンに切り返した。その発言に対しても批判はあるだろうが、筆者はその発言に激しく同意した。ロックとは突破の歴史だからだ。時代の停滞した空気、意味のない常識、人種間の差別……を突破してきたのがロックだ。


Photo by 今井俊彦

「残響」のライブはドラムもいなく、サウンド的にも、会場の雰囲気もロックではない。けど、そんなことはどうでもよくて、清春はロックミュージシャンが故に常に突破者のアティチュードでステージに立っている。そして、その覚悟をオーディエンスにも問うたのが、このやり取りだったと思えた。このやり取りから先、「残響」のコンセプトを大切にしながら、何かを突破しながらライブは進んでいったように思う。

MC後、6曲目の「悲歌」、7曲目の「FINAL」ではマイクを使わず素の声で歌うシーンも度々飛び出し、その度にホールに清春の素の声が響いた。あるいは8曲目の「楽園」では園田はトイピアノを弾いた。その温かい音がホールを包みながら、清春はマイクを通してウィスパーボイスで繊細に歌を紡いだ。クラッシックホールならでの音響がその繊細な音をしっかりとオーディエンスの耳元まで運び、まるでヘッドフォンで音楽を楽しんでいるかのようだった。



12曲目に演奏された「SURVIVE OF VISION」はコロナ禍前に書かれた歌だが、翌日に4度目の緊急事態宣言を控える混沌とした時代のアンセムのように響いた。孤高を恐れず新たな挑戦を続け、全身全霊で歌う「SURVIVE OF VISION」を聴きながらこんな言葉が脳裏をよぎった。

 『挑戦とは生き残らねばならないということです。
  あらゆる意味で生き残り、アートを通して何かを成し遂げ、
恐れ、もがき続けるのです』(アンナ・ベラ・ガイゲル)

13曲目ライブの締めは「光」だった。メロディーや歌詞は即興の部分が多く、音源の歌詞とはかなり違った。その即興で”答はないという答え”あるいは”その闇に我が光を”とコロナ禍を意識したと思える言葉を紡ぎ歌にした。曲の最後は後方からライトを浴び、マイクなしの素の声での歌唱を続けた。それは救世主の様にも見えるが、突破者の姿だった。「また逢いましょう」と語りステージを去る清春に大きな声援が飛んだ。オーディエンスも完全にそれぞれが持つ何かを突破していた。

そして今もライブでの楽器の音、歌が脳裏に響いている。この「残響」は秋まで続くし、8月には自身初のブルーノート東京でのライブも発表になっている。その時世界はどんな状況になっているかは確かではないが、何であれ清春の突破者としてアティチュードが見られることは確かであろう。


<ツアー情報>

清春
ライブ2021「残響」
=ツアー日程=(終了分は割愛)
2021年8月14日(土) イイノホール
2021年9月3日(金) HAKUJU HALL

ストリーミングスタジオライブ
「A NEW MY TERRITORY」
=配信日程=
2021年8月25日(水)、8月26日(木) Veats Shibuya
2021年9月23日(木祝)、9月24日(金) LDH kitchen HANEDA

「KIYOHARU LIVE IN BLUE NOTE TOKYO」
2021年8月9日(月祝) ブルーノート東京

公式サイト:kiyoharu.tokyo

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