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中島みゆき最後の旅「結果オーライ」、瀬尾一三と振り返る

Rolling Stone Japan / 2022年4月23日 7時30分

中島みゆき

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年3月の特集は、『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』。今月は4週に渡り、2022年2月に発売されたライヴアルバム『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』収録曲を全曲紹介。1988年以来、中島みゆきのプロデューサー、アレンジャー、音楽監督を務める瀬尾一三をゲストに送る。

田家:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは中島みゆきさんの「一期一会」。先月発売になったライヴアルバム『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』からお聴きいただいております。先週と今週の前テーマはこの曲です。

関連記事:中島みゆきのラスト・ツアー、瀬尾一三と振り返る

一期一会 / 中島みゆき

2020年に行われた最後のツアーの2枚組ライヴアルバムで、Disc1とDisc2に分かれております。コンサートでは一幕と二幕ですね。先週はDisc1の1曲目「一期一会」から5曲目の「糸」と6曲目の「ローリング」のメドレーまでお聴きいただきました。今週はDisc1からDisc2の流れを辿ろうと思うのですが、先週瀬尾さんがおっしゃった、誰にも言わないで録音していた。そもそも録ろうと思われたのはなぜだったんですか?

瀬尾:専門的なことになるんですけど、先週も聞いてくださったように途中で突然曲がメドレーで変わるというとき、楽器バランスが全部違うんですよね。それをコンピューター、PAのコンソール卓に覚えさせるんです。そのときそのとき、エンジニアに言うんですけど、それじゃ間に合わないので録音したものを聴かせて、「バランスはこうだよ」と言って、ボタン1個でパッと変わるようにする、そのために全部録音していたんです。復習と予習のために全部録音して、「ここのバランスがこうだから前のリハのときはこうなっているけど、これはこうしてくれ」とリハが終わった後に音を聴きながらやっていたんです。

田家:毎回?

瀬尾:毎回マルチで。そうしないとバランスがとれないので。ただのPAアウトのLR、ステレオだけだと楽器バランスが分からないので、1個1個全部分かるようにマルチで録っていて。それをエンジニアに「ほら見ろ! ここ違うだろ!」とか言って、全部ボリュームが変わってバランスがちゃんするようにしたんです。

田家:実はライヴアルバムが出たときに素朴な疑問がありました。コンサートが始まったのは1月からで6月まで24本行われる予定なのに2月26日の大阪で中止になってしまった。3分の1ですよね。ツアーが終わった後パッケージとしてCDや映像を出すときに、いつ頃のものを収録するか。大体ツアーの後半ですよね。

瀬尾:そうですね。中盤から後半の間の中盤ですね。大体後半にいくと、結構みんなこなれてくる感じで、崩れる前に録らないとダメなので。

田家:ダメなところが分からないですもんね。

瀬尾:千秋楽とか録ると、結構ハチャメチャが多いんです(笑)。みんなが楽しがって「終わりだ―!」って感じで、演奏も「おい、どうしちゃったの!?」って感じになったりするときがある。必ず中盤過ぎた後半との間ぐらいに録る。今回は5月ぐらいに録る予定だったんです。

田家:3分の1で終わっちゃって、まさかそれで終わるとは誰も思ってないでしょうから、いつ録ったんだろう? というのが1番素朴な疑問だったんです。

瀬尾:ずっと録ってたんです(笑)。

田家:その中で選んだのがこれで?

瀬尾:そうです。大体9割方が2月26日の大阪フェスティバルホールです。

田家:いやー録っていてよかったですねー。

瀬尾:リハからゲネプロから初日の新宿から、毎回録っていました。その中から聴いて選んだ。最終的に自分の中でこれならいいなと思うのが、9割方大阪の2月26日のやつだったんですね。

田家:録音していたことは本人も知らなかった。先週もこの曲はお聴きいただいたのですが、今週も流したいなということでライヴアルバムから「糸」と「ローリング」のメドレーをお聴きいただきます。



糸 / 中島みゆき
ローリング / 中島みゆき

田家:少なくともみゆきさんのコンサート史上最も劇的な繋がりの2曲ではないかと。

瀬尾:そうですかね(笑)。こんなことができるのも彼女らしいと思います。だって歌い方自体が変わるじゃないですか。先週も言いましたけど、女歌から男歌になる。そのへんの持っていき方も彼女ならではで、こういうことができるのも僕は楽しいんですけどね。

田家:この2曲がメドレーになったからそれぞれの歌い方にも違うものが備わったということもあるでしょうしね。

瀬尾:そうですね。だからそれができちゃうんですよね。

田家:これを聴いた人が編集なのではないかと言ったという、繋がり方は島村さんにすべてがかかっているわけでしょ?

瀬尾:すべてはかかっていますけど、気分で出ているのではなくて、出るところは決まっているんです。それ以上になると、隙間が空いちゃうので(笑)。だから隙間が空かないように、「ちゃんとこのタイミングで出るんだよ、島ちゃん」というふうになっているんです。

田家:それは全員のミュージシャンの頭の中に?

瀬尾:入っています。

田家:すごいなー。瀬尾さんはそれをPAのところでお聴きになっていて、ご自分で感動される瞬間もありますか?

瀬尾:それはごめんなさい、自分で感動はしないですね。やっぱり身内なので、どちらかと言うとチェックする側なので客にはなれないんです。お客さんと同様に「わー!」とか、「すげー!」というふうにはなれないんですよ。さっきの話だったら、「島ちゃん出るんだよーここ!」とかって思いながら、「違う!!」ってことにならないように祈っている方なので。信用しているので全然大丈夫なんですけども。

田家:感動する僕らの方が幸せかもしれない(笑)。

瀬尾:お客で観てみたいですけど、一度もないです(笑)。

田家:何度聴いてもこの2曲は胸が熱くなります。先週瀬尾さんがコンサートツアーは大変だから、いつかそういう時期が来るだろうとおっしゃっていましたが、そのへんをもう少しお訊きしていきたいんですけども。

瀬尾:深堀りします(笑)?

田家:今回のツアーは60何名が中心のスタッフですよね。

瀬尾:そうですね。人数は多いです。ミュージシャン、PA関係、照明関係、舞台セット美術の方、いろいろ含めるとそのくらいになっちゃいますね。

田家:ただ、メインのステージ関係は「夜会」と同じ方々という。

瀬尾:ほとんど一緒です。こちらも意思の疎通がしやすいので、新しい人だとその人の性格だったり、その人を調べるのに時間がかかる。僕的にこの人にはどういうふうに言えばいいのかなとか、扱い方みたいなのがあるんですけれども。みんなずっと一緒にやっている人たちなので、そのへんはツーカーでできるのが楽でありがたいことです。

田家:そうやって大勢の方とまちからまちへ、コンサート会場からコンサート会場へ旅をしながら、冒頭でおっしゃった音源のチェックは毎日おやりになるわけでしょ?

瀬尾:そうですね。毎日最低リハーサルは1時間やります。

田家:終わってからまたその日のものを?

瀬尾:それはまた別で注意事項は次の日にやります。自分は聴いて。

田家:それはホテルでおやりになるんですか?

瀬尾:そうですね。帰ってからやっていますね。だから、ほとんどツアーの間は僕の頭の中でずっと音が鳴っています。

田家:若いバンドやアーティストのツアー、今のベテランの人たちも若いときはそうだったかもしれないですけど、コンサート終わったら「さあ飲みに行くぞ!」みたいな日々はもはやないんでしょうね。

瀬尾:そっちの方が疲れますよね、もう。言い方悪いけど、コンサートが終わった後になんでミュージシャンやスタッフのご機嫌とらなきゃいけないのって思っちゃう(笑)。終わったら、僕はすぐに録音したやつを持ってホテルに帰ります。

田家:1人で音を聴いて。

瀬尾:あーだこーだと、また自分の中でチェック項目を全部書いておいて。

田家:ツアーに同行されるようになったのって最初からじゃないですよね。

瀬尾:じゃないですね。同行するようになったのは吉田拓郎さんが悪いんです。吉田拓郎さんが何年か忘れたんですけど、TAKURO&his BIG GROUP with SEOをやって。

田家:2003年ですね。

瀬尾:全く知らない間にポスターに刷られちゃったんですよ。中島さんのレコーディングでロサンゼルスにいたときに、中島さんのマネージャーが「こんなの出てますよ」って持ってきて、「瀬尾さんこれ全部行くんですか?」ってなって、「は?」って話になって。聞いてないし、ロスにいてめんどくさいから帰ってから話をしようって思っても決まっていることなので。それを知った中島さんが、「あ、拓郎さんには着いていくんだ」ってポツッと言って(笑)。

田家:そうか! みゆきさんの中でも瀬尾さんはツアーには来てくれないと思っていたんだ。

瀬尾:そうです。今まで行ったとしても、ツボのところだけチェックしに行くとか、お忍びで行ってみんなには会わないで終わった後に楽屋に行って、「あんた何点」とか言ったり、「よくできました」ってハンコをつけたりとか、そういうのをいろいろやっていたときがあったんですけど(笑)、毎回はついていってなかった。拓郎さんと回った後に、中島さんの方からちょっとつねられるような感じになりまして、「もしご希望なら行きますけれども」ってなって、それから行くようになったんです。

田家:瀬尾さんがちゃんとついてなかったら、今回のライヴアルバムはなかったということですもんね。

瀬尾:まあ、そういうことは誰も考えないですからね。

田家:このツアーは「糸」、「ローリング」で雰囲気が変わるわけですが、この後に”おたよりコーナー”というのがありまして、今まで一回のコンサートで1ヶ所だったものが次の曲を挟んで上手と下手に分かれて行われるようになりました。7曲目「流星」。



流星 / 中島みゆき

田家:コンサート会場の入口にメモ用紙が置いてあって、お客さんがその紙にここに来るまでの出来事とか、みゆきさんに対しての気持ちを書く。スタッフが集めて、その中から選んだものをみゆきさんに渡してお便りを紹介するコーナーが「流星」を挟んでありました瀬尾さんは、なかなか楽しんだり、感動したりできないとおっしゃってましたけど、お便りコーナーのときはどんな感じなんですか?

瀬尾:1番僕にとっては楽な時間です。

田家:笑える時間になる。

瀬尾:笑えるか笑えないかは内容によるんですけど、長引かないようにちゃんと時間を決めてやっていたので。途中でチーンって鳴らされたりしていて、昔だと時間制限がなくてダラダラ長くなっていたのでこのシステムをもっと早く使えばよかったなと思っていたりしていたんです(笑)。

田家:長くなったときは「長いよな」と思ったりして、ご覧になっていた。

瀬尾:そうそう。でも僕の中で1番無責任な時間です(笑)。

田家:お客さんになれるかもしれない(笑)。

瀬尾:お客さんではないんだけど、ちょっとお客さんの顔が見れる時間ですね。

田家:コンサートツアーというのは「流星」の歌のようなものですよね。

瀬尾:そうですね。彼女はこの曲が結構好きなんです。各ツアーの中に入っていると思うんですけども、結構歌っているんですよね。

田家:歌っていて楽しそうですもんね。

瀬尾:そうです、そうです。あとスピード感というか、情景が見れるのが気に入っているんだと思います。自分でもリハで歌った後「いい曲ね、この曲」って(笑)。「は?」とか思いながら(笑)。自分で言うのも珍しいのでね。

田家:これは1994年のアルバム『LOVE OR NOTHING』の中に入っていた曲で、さっき瀬尾さんがおっしゃったツアーでどれくらい歌ったのかなと調べていたら、1995年にこの曲で始まったツアーがあった。1995年のツアーの大阪フェスで「ファイト!」がアンコールで、ゴスペル風に歌われたんです。このゴスペルの「ファイト!」に感動したことがありました。「え!? 最後にこれをこのアレンジでやるのか!」って。

瀬尾:田家さんは心が揺さぶられたのね。

田家:揺さぶられましたよー。恥ずかしながら、泣いた。

瀬尾:泣いてもいいんです(笑)。タイトルになっちゃった(笑)。

田家:ももクロだ(笑)。その頃のツアーからミュージシャンが島村英二さん、富倉安生さん、小林信吾さん、杉本和世さん。で、島村さん富蔵さん、杉本さんは「夜会」も最初から一緒でしょ?

瀬尾:そうです、そうです。

田家:信吾さんも1994年以降「夜会」も。スタッフも「夜会」のスタッフと重なっている。「夜会」をやっていることの強みはどんなものですか?

瀬尾:やっぱり「夜会」というのはある意味コンサートより高度というか、違う積み重なりがあるわけだから、少なくともコンサートは1曲紹介とかメドレーをやっても2曲とかそのぐらいの感じで繋がっていって。MCの間はミュージシャンも一息つけたり、水を飲んだりできるわけじゃないですか。「夜会」は始まったら、一幕終わるまで何もできないとか、二幕始まったら何もできない作りになっているときがある。それを耐え抜いてきているミュージシャンとスタッフなので、もうそれは話が何しろ早いんです。「これとこれはこうやったら無理だよね」ってなったら、「ん? そうでもないよ」って言って、やってくれるスタッフとミュージシャンなので、優秀な人が常に横にいた方がいいじゃないですか。

田家:しかも「夜会」はステージ上にミュージシャンはいませんもんね。

瀬尾:地下にいます(笑)。

田家:あれはモニター見ながら演奏しているんでしょ?

瀬尾:そうです。全部テレビでモニターを見て、舞台上の動きを見ながらやっています。

田家:「糸」と「ローリング」のタイミングとか全員頭に入っているみたいなことは当たり前なことなんですね。

瀬尾:当たり前です。彼らにとってはピースオブケイクというか、容易いことです。

田家:今回あらためて気づいたんですが、みゆきさんはイヤモニ使ってませんもんね?

瀬尾:そうですね。中島さんはイヤモニ否定派なので、嫌いなんです。一度勧めたことがあるんですけど「嫌です」ってハッキリ言われました。「私は生の音でやりたい」って。

田家:リハーサルのときにみゆきさんがホールの音の鳴りを自分の耳に手を当てたりしながら確かめて、モニターの位置とか全部変えてますもんね。

瀬尾:イヤモニで慣れている方はそれでいいんでしょうけど、彼女はお客さんの反応とか、ホールの鳴りの返り方とか、それによって自分の声の強弱を決めたりするので。ただ自分の声を聴いて、オケを聴いて歌っているだけじゃないんです。そのときの会館の状況、お客さんの状況とか、いろいろな雰囲気はイヤモニをしていると分からないんですよね。所謂直接的にオケとミュージシャンの演奏と自分の声しか返ってこないので、お客さんの空気感が分からない。彼女は空気感を大切にするので、イヤモニは絶対しないって1番最初に言われたので。「ちょっとやってみる?」って言ったけど、「いいえ」って言われて、それから二度と言ってません(笑)。

田家:コンサートは一期一会であるというのはそういうことでもある。そんなことを考えながら、このライヴアルバムをお聴きいただけたらと思います。ツアーの選曲の妙は次の2曲にも表れております。8曲目の「最後の女神」と9曲目「齢寿天任(よわいことぶきそらまか)せ」。



最後の女神 / 中島みゆき
齢寿天任(よわいことぶきそらまかせ) / 中島みゆき

田家:1993年のシングル『時代』のカップリング「最後の女神」と最新アルバムの『CONTRALTO』の「齢寿天任(よわいことぶきそらまか)せ」。全然違う曲ですね。

瀬尾:これはさっきも言いましたけど、中島さんが得意とすることですね。「最後の女神」で救いそうで「齢寿天任(よわいことぶきそらまか)せ」で突っぱねているすごさがありますけどね。どっちもなるようになるしかないということなので、ある意味ね。これは僕なりの考えですけど、おもしろかったのが西の神様と東の神様の繋がりみたいな感じ。

田家:あ、なるほどね! 和風ですもんね。

瀬尾:女神とこっちの東の神様の繋がりを上手く出せればいいなと思ってやっていたんです。

田家:「最後の女神」の「最後」という言葉に、お客さん、特に地方の方は最後に生で観るみゆきさんを重ねたでしょうからね。

瀬尾:そうですかね。それはどこかにあったかもしれませんけども、僕からすれば彼女の中では「最後の女神」と「齢寿天任(よわいことぶきそらまか)せ」をドッキングさせたことがおもしろいと思いますね。

田家:「齢寿天任(よわいことぶきそらまか)せ」は東洋版、和風版の「レット・イット・ビー」みたいな感じに聴こえましたね。

瀬尾:そういう感じですね。ただ、結構辛辣なんですよね。特に3番目ぐらいの歌詞のところで若者は希望もなく余生をどうしようかと。でも、年寄りはまだ命がほしいみたいな。こういう「言えてるー!」みたいな部分がある。

田家:グサッと言っておきながら、でも(笑)。

瀬尾:ええ、でも最終的には空だよ、みんな最後死ぬからねっていうのがちゃんと分かっているから、そのへんがものすごくいいなと思って。

田家:「レット・イット・ビー」より辛口ですね。

瀬尾:辛口だけど真髄はついてます。これは日本のお祭りなんですけども、大太鼓を使ってますから神社とかに奉納するお祭りの感じというので考えてやっています。

田家:盆踊りの感じもちょっとあって。

瀬尾:盆踊りの要素も入ってます。あれもある意味奉納ですから。

田家:たしかにね。これで一幕が終わるわけですが、一幕が終わって休憩時間は瀬尾さんは何をされているんですか?

瀬尾:一応みんなのところに戻って、本人のところにも戻って「大丈夫だよ」って言って、次に繋がるようにそのときには何も言いません。

田家:たとえ至らないことがあっても。オッケーオッケーみんな大丈夫だよって。

瀬尾:「これでそのままいこうね! 次も!」っていう感じで(笑)。

田家:来週もそのままこの感じでよろしくお願いします。来週はDisc2、二幕の曲をお聴きいただきたいと思います。


『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』ジャケット写真





田家:「J-POP LEGEND FORUM中島みゆき 2020ラスト・ツアー「結果オーライ」パート2」です。先月発売になった2枚組のライヴアルバム『中島みゆき 2020ラスト・ツアー「結果オーライ」』の全曲紹介をプロデューサー、音楽監督、瀬尾一三さんをゲストにお送りしております。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

コンサートツアーが行われると、CDとかライヴ映像として発売されるのが今では当たり前になっていますが、みゆきさんはツアーに関しての作品が本当に少なかった。初めてツアー音源がライヴ盤になったのは、2008年の『歌旅-中島みゆきコンサートツアー-2007』。2007年のツアーを収めたものだったんですね。その前に1986年の「歌暦」というスペシャルライヴを収めたライヴ盤はあったんですけども、所謂ツアーが素材になったのは2008年までなかった。なぜそういう作品が今までなかったんですかと当時インタビューでお訊きしたことがあるんですけど、「ツアーは一期一会だからね」という話で終わるんです。その日のその会場のお客さんとで作るものだから、何十本もあるコンサートツアーの中の何か所かを収録して、このツアーはこうでしたよって言えないのよというのが彼女の持論だった。「夜会」は映像があるんですけども、コンサートツアーが全然なかったというのは一期一会だからこれは無理なんだと。2007年のツアーでどこの会場に行っても同じような質の同じようなクオリティの演奏ができるようになったから、何か所か収録したものでもこのときのツアーはこうでしたとようやく言えるようになったから出した。デビューから30年以上経っているんです。それは彼女の完全主義の表れだなと思ったんですけれども、さっきのイヤモニの話もそうですね。その会場のお客さんがいるからその日の歌になった、お客さんと一緒にコンサートを作った、客席の声を聴きながら歌うのがライヴだからという話も1つの一期一会の証だったんだろうなと思います。

そういう中で今回のツアーはまるごと全曲がパッケージになっているんですね。そういうライヴアルバムは初めてなんです。今でのライヴ盤は全部セレクションだった、収録されない曲もあった。まるごと収められているのは今回が初めて。これは地方で支えてくれたファンの人たちに対しての置き土産以外の何物でもありません。来週はDisc2、二幕をお聴きいただこうと思います。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
OFFICIAL Facebook : @FMCOCOLO
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