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ジョニー・デップも悪友、ポーグスの酔いどれ詩人が歩んだ愛すべき人生

Rolling Stone Japan / 2022年6月2日 17時45分

(C)The Gift Film Limited 2020

ザ・ポーグス(The Pogues)のフロントマン、シェイン・マガウアンのドキュメンタリー映画『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』が6月3日(金)から全国順次公開。本作の見どころを荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)に解説してもらった。

ポーグスのシェイン・マガウアンを題材とするドキュメンタリーは、『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』が初めてではない。2001年に制作された『shane[シェイン] THE POGUES:堕ちた天使の詩』という1時間半ほどの作品でキャリアを一旦総括しているが、その時点でシェインの体調はすでにボロボロ。往時のような創作意欲を期待するのは、もう難しいのでは…と思わずにいられない、酔いどれ詩人の姿がそこにあった。

あれから20年近くを経て新たに制作された『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』は、話題が『shane[シェイン]』と重なる部分も多いが、主人公の新旧発言を入念にリサーチしてミックス。アニメーションや、数々の映画からの引用(ポーグスが出演したアレックス・コックス監督の『ストレート・トゥ・ヘル』を含む)も盛り込んで賑やかなエンターテインメント作品に仕上げている。後味が決して良いとは言えない『shane[シェイン]』を観て考え込んでしまったファンも、新鮮な気分で楽しめるはずだ。



監督はジュリアン・テンプル。数々のミュージック・ビデオを手掛ける一方、セックス・ピストルズの『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』(1980年)、『ロンドン・コーリング ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』(2007年)、ドクター・フィールグッドの『オイル・シティ・コンフィデンシャル』(2009年)など、優秀かつ刺激的な内容の音楽ドキュメンタリーを撮ってきたテンプルらしく、パンク前夜の70年代前半~パンク・ロック~ポストパンクという時代の変化を描きながら、シェインが歩んできた道のりをわかりやすく伝えている。この丁寧さが、『shane[シェイン]』にはやや欠けていた。

また、本作の製作をシェインのソロ曲「That Womans Got Me Drinkin」のビデオにも出演していた悪友、ジョニー・デップが務めた点も話題。複数のインタビュアーが登場する本作で、デップは主に与太話を担当、狂言回し的な役割を果たしているように見える。『パイレーツ・オブ・カリビアン』をネタにしたシェインとの軽いやり取りも気が利いていて面白い(シェインのデップを評したコメントは「甘ったるい顔したお砂糖野郎」)。



ポーグス誕生までの丁寧な描写

『shane[シェイン]』でもアイルランドのティプレーリーで育った幼少期から、パンク・シーンで注目される”名物素人”になっていくまでの流れは紹介されていたが、今回はさらに突っ込んで各時代のエピソードを深堀りしている印象。彼とは切っても切れないアルコール依存のきっかけが、酒やタバコを悪と考えず子供の頃から平気で与えていた、現代の常識からすると信じられない家庭環境にあることが明らかにされていく。それに加えて、アイルランドの歴史を改めて説明しながら進むことで、シェインの作品の背景にあるものも具体的に見えてくる。

たとえば「The Dunes」(本作ではシェインが敬愛するダブリナーズのロニー・ドリューのバージョンが流れる)は、シェインが子供の頃に海辺の砂丘で遊んでいたとき、砂の下から人骨が出てきたショッキングな体験をもとにしたもの。1845年~49年にかけてヨーロッパに蔓延したジャガイモの疫病がきっかけで、アイルランドで起きた大飢饉の際に、砂丘に埋められた遺体の山の上でシェインは遊んでいたのだ。この大飢饉では、ジャガイモが不作であるにも関わらず輸出を続けさせたイギリスの政策が引き金となり、約100万人が餓死または病死したと言われている。アメリカやカナダへの移民が急増したのもこの頃で、移動中の船内で亡くなる人が続出する過酷な旅だった。そういうアイルランド人にとって忘れられない事件も、シェインは歌詞に織り込んでいる。


© The Gift Film Limited 2020

家族でアイルランドを離れてイングランドへ移住してから、シェインも”パディ”と蔑称で呼ばれ暴力を浴びる、人種差別の理不尽さに直面する。当初は友達ゼロの孤独な状況だったが、レゲエ好きの不良たちと意気投合してから、自分の居場所を見つけていったようだ。学校での成績は意外にも優秀で、奨学生に選ばれるほどの高成績だった。ちょうどその頃、「血の日曜日事件」が勃発(1972年1月)。北アイルランドのロンドンデリーでデモ行進をしていた非武装の市民がイギリス陸軍によって銃撃され、多数の死傷者が出た。ジョン・レノン&ヨーコ・オノやU2が歌った”ブラッディ・サンデイ”事件に、若きシェインも動揺。しかし、IRAに加わって運動に参加するほどの勇気はなかった。「祖国に命を捧げなかったことに罪悪感がある」と語るシェインにとって、ポーグスでの活動は自分なりの”埋め合わせ”だったという。ちなみに本作のインタビュアーのひとりは、IRAと密接な関係にあったシン・フェイン党の元党首、ジェリー・アダムズだ。

接着剤を嗅ぐ程度の非行少年だったシェインだが、やがて学校でドラッグ売買をするところまでエスカレートすると、これがバレて退学。最初の数年は憎んでいたというロンドンのストリートで、ナイトライフにのめり込み始める。パンク登場前夜のロンドンの空気を象徴するように、モット・ザ・フープルの「All The Young Dudes」やホークウィンドの「Silver Machine」を流す演出は、いかにもジュリアン・テンプル。シェインの読書家ぶりを示すエピソードで、ジェイムズ・ジョイスの話題が出た途端、すかさずシド・バレットの「Golden Hair」(ジョイスの詩をベースにしている)を流すという機転もテンプルならではだ。


© The Gift Film Limited 2020

LSDで強烈なトリップを体験してからフラッシュバックに悩むようになったシェインは、やがてドラッグ断ちをするべく病院に入院。治療を終えて退院後すぐに観たバンドが、世の中に登場したばかりのセックス・ピストルズだった。1976年のロンドン・パンク勃発時に鉢合わせたシェインは、夢中でライヴに通い詰めてシーン内で知られた存在になっていく。パンクのファンジンを編集する一方、仲間たちとニップル・エレクターズを結成。シングルもリリースしたこのバンドは、その後ニップスに改名して1981年まで活動を続けた。

しかしパンクの熱い時代は瞬く間に過ぎ去ってしまう。ニュー・ロマンティック以降に登場したシンセ・ポップ勢を気に入らなかったシェインは、ワールド・ミュージックに興味を持ったことがきっかけで、自身のルーツであるアイリッシュ・ミュージックの魅力を再発見。幼少時から家でダブリナーズのレコードを聴いて育った下地が、ここで活きてくる。パンク・ロックにアイリッシュ・ミュージックを持ち込んだ新バンド、ポーグ・マホーン(のちにポーグスと改名)の誕生だ。この『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』が恐ろしいのは、ポーグス誕生までに全体のおよそ半分、約1時間を費やしているところ。酔いどれキャラクターだけに気を取られていると見落とす、表現者としての進化過程が丁寧に描かれている。

満身創痍でもしぶとく生き続ける姿

アイリッシュ・ミュージックに根差したオリジナル曲を書こうと試行錯誤するなかで、シェインが初めて手応えを感じた曲が「Streams Of Whiskey」(1984年にスティッフからリリースされたポーグスのデビュー・アルバム『Red Roses For Me』に収録)。この曲がキングス・クロスの家で書けたときの喜びを語るシーンは、長年のポーグス・ファンならグッとくるはずだ。歌詞に登場するビーハンとは、ダブリン出身の作家でIRAのメンバーでもあったブレンダン・ビーハン。シェインの無頼なキャラクターにも多大な影響を与えている。



途中で挿入される過去のインタビュー映像で、しらふで演奏したことはあるのか、という質問にシェインは「クラッシュみたいな時代遅れをサポートした時に」と答えている。初期のピストルズやクラッシュに心酔していた分、彼らもただのロックスターに過ぎない、と気付いてからは、誰かを崇拝するのではなく我が道を行こうと心に決めたようだ。そのクラッシュのジョー・ストラマーがシェインの歌詞を絶賛、シェイン脱退後のポーグスに加わってバンドを支えることになるのだから、皮肉な話だが。

ポーグスのサウンドを「メチャクチャな”伝統音楽”さ。ロンドンってのはメチャクチャだからな」と形容、アイルランドよりロンドンについて多く歌っていた、という証言も興味深い。アイルランド本国にとどまっていたら生まれない、移民ならではのバンドであるという意識が彼らには明確にあったのだ。


© The Gift Film Limited 2020

2ndアルバム『Rum Sodomy & The Lash』(85年)について語る場面では、プロデューサーを務めたエルヴィス・コステロの話題も。のちにバンドを去ってコステロと結ばれるベーシストのケイト・オーリアダンと録音中にイチャついていたばかりか、「Rainy Night In Soho」(EP『Poguetry In Motion』に収録)を録った際には完璧と思っていたコルネットのソロを外してオーボエを入れようと言い出したので、コステロをつまみ出してやった、とシェイン(しかしUSミックスにはオーボエの音がしっかり入っている……)。その話を聞いて何とも形容しがたい笑みを浮かべるボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)がいい味を出している。

巨額の富と名声をもたらした屈指の名曲、「Fairytale Of New York」(87年)についてシェインは、ポーグスにとっての「ボヘミアン・ラプソディ」とコメント、共演したカースティ・マッコールを絶賛しながら、「好きな曲じゃない」とも。「Fairytale Of New York」(邦題:ニューヨークの夢)が売れすぎてから息子はおかしくなった、とシェインの父は証言しているが、この曲のヒット以降、バンドではなく自身に視線が集中、その後の過密スケジュールが組まれたツアーで疲弊し切ったことが、今もネガティブな記憶としてシェインの心の中にあるようだ。88年のツアーから戻った兄を見て、妹は「私が知ってたシェインはいなくなってた」とコメントしている。



音楽に捧げてきた情熱が減退、ドラッグと酒にますます溺れるようになったシェインは、遂にヘロインにも手を出す。酩酊が過ぎて日本のファンを心配させた1991年の来日時に何が起きていたのか……シェインがポーグスを去ることになったいきさつが具体的に明かされているのも、本作の見どころのひとつだ。

ポーグス脱退後の活動と、バンドに復帰した辺りの話は割と薄め。その分、終盤は今のシェインを支えるパートナー、ヴィクトリア・M・クラーク(2018年にシェインと結婚)との会話が強く印象に残る。シェインが自己破壊的と思われるのは誤解で、酒を飲まないと生き続けられないから飲んでいる、とヴィクトリア。U2のボノやジョニー・デップ、シネイド・オコナー、ボビー・ギレスピーらが出演して祝ったシェイン60歳記念コンサートには、主役も車椅子で登場。歌うのもやっとの体調だが、ニック・ケイヴとデュエットする「Summer In Siam」を、しかと見届けて欲しい。70年代から妹に「兄が死んでしまう」と心配され続けてきた男が、満身創痍でもしぶとく生き続けている、そのせつなくも美しい姿を。


© The Gift Film Limited 2020



『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』
6月3日(金)、渋谷CINE QUINTOほか全国順次公開
製作:ジョニー・デップ
監督:ジュリアン・テンプル
出演:シェイン・マガウアン、ジョニー・デップ、ボビー・ギレスピー、モーリス・マガウアン、シヴォーン・マガウアン、ヴィクトリア・メアリー・クラーク、ジェリー・アダムズ、ボノ他
2020年/アメリカ・イギリス・アイルランド/英語/130分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch 英題:Crock of Gold: A Few Rounds with Shane MacGowan/日本語字幕:髙内朝子/字幕監修:ピーター・バラカン R18
© The Gift Film Limited 2020
配給:ロングライド
公式サイト:https://longride.jp/shane/

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