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「残るか去るか」揺らぐ心 被災地襲った豪雨から1週間、2度の災害に被災者苦悩

産経ニュース / 2024年9月28日 11時49分

倒れた電柱に目印をつける輪島市議会の大宮正・副議長=27日午前、石川県輪島市名舟町(甘利慈撮影)

最大震度7を記録した元日の地震から約9カ月、ようやく立ち直ろうとした被災地の人々を過去に経験したことのない大雨が襲った。「残るか、去るか」。能登半島を襲った豪雨災害から1週間、度重なる苦境に住民らの心は揺れている。

降り続いた雨は21日に激しさを増し、石川県輪島市沿岸部の南志見(なじみ)地区では南志見川などが氾濫。10軒以上の家が流され、ライフラインは再び寸断された。河口付近に流れ着いた土砂や大量の流木を撤去する作業が続く。

「地震が起きてから今まで我慢や辛抱を重ねて作りあげたもんが一気になくなった」と輪島市議会副議長の大宮正さん(73)は肩を落とす。

地区は元日の地震で一時孤立し、全住民を対象に集団避難が行われた。だが、大宮さんは町にとどまる決断をした。そのとき自宅は電気も水道も止まっていたが、そんな地区の現状を市議として市長に伝えたり、町の人たちが集団避難した避難所を回り、町の復旧の状況を伝えたりする役割を担った。

5月になると地区内に仮設住宅が完成、徐々に住民たちが戻ってきた。「みんなで頑張ろう」。帰ってきた住民に支援物資を配ったり、公民館に人を集めてイベントを行ったりと、人が戻ってきたからこそ再びふれあいの場が生まれた。復興に向け励まし合い、再び動き出す矢先の豪雨だった。

■「ここで生活できん」

「生まれも育ちもここやし、この地域が大好き。地震の時から出ていく選択肢はなかった」と振り返る大宮さん。だが、今回の豪雨で地区から出る決断をした人もいる。

70代の夫婦は「もうだめ。見捨てるわけじゃないけど、ここで生活できんから出る」と伝え、「行きたくねえけど、すまんな。ありがとう」と言葉を残し、地区を去った。故郷の復興に向け自らを奮い立たせる大宮さんですら、2度目の被災に「正直心が折れかかっているところもある」。引き留めることはできず、「元気で頑張ってな」と声をかけるしかなかったという。

本当に復興できるのか不安もあるが、生まれ育った故郷に残るという決意は変わらない。「どうしようもなく去った人たちのためにも、何とか復興したい。そのためにはやっぱり、前に進んでいくしかない」

■再び失われた風景

一方で、2度目の被災に心が揺らいでいる人もいる。同市町野町の仮設住宅で暮らす団体職員、新屋誠さん(48)は、元日の地震で自宅が全壊した。いったんは母や妹家族と京都市内に避難したが、約1カ月後に単身で町に戻った。

「生まれ育った町が復興する姿を見届けたい」。電気や水道は使えなかったが、町内の避難所で暮らし、その後、仕事を再開。豪雨が襲ったのは、地震から半年後の6月に仮設住宅に入居し、復興に向けてこれからというときだった。

「すぐでなくてもいいから町の復興を見たい」と戻ってきたものの、「もしかしたら3回目もあるんじゃないか」と考えてしまう。豪雨により、町を流れる町野川が氾濫。緑豊かな田園風景に茶色く濁った水が激しく流れ込み、いたるところで巨大な流木が道をふさいだほか、各地で発生した土砂崩れによって、大木にいくつもの家が押しつぶされた。再び失われた故郷の風景を前に、「離れるか残るか、心の中でグラグラと揺らいでいる」と苦悩を語った。(木下倫太朗)

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