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信長に抗った物集女(もずめ)氏最後の当主の模刻像が完成、来年没後450年

産経ニュース / 2024年9月25日 11時14分

清浄華院で営まれた開眼法要=京都市上京区

室町から戦国にかけて京都・乙訓地域で勢力を伸ばした国衆(くにしゅう)の物集女(もずめ)氏の最後の当主、物集女宗入(そうにゅう)の模刻像が完成し、原像を所蔵する浄土宗大本山・清浄華院(しょうじょうけいん)(京都市上京区)で21日に開眼法要が営まれた。来年が宗入没後450年にあたることから、物集女の地名が残る京都府向日市の有志らが実行委員会を立ち上げ、企画・制作した。実行委会長で、向日市立第2向陽小学校の中西昌史校長(59)は「地元に像があることで、当主を身近に感じられる」と喜んだ。

宗入公に感謝

清浄華院に長く伝わっていた像が宗入のものと判明したのは約10年前だった。来年は大きな節目となる没後450年にあたることから、実行委は記念事業の一環として模刻像を企画した。

模刻像はヒノキ材を使い彩色を施された像高21センチの坐像。浄土宗僧侶で仏師の前田昌宏(しょうこう)さん(51)が約4カ月かけて制作した。並行して原像の顔の汚れも洗浄したという。

開眼法要には実行委のメンバーら約30人が参列。導師を務めた清浄華院の飯田実雄法主(75)が「次の500回忌に向けて、50年伝えていくことが宗入公への感謝となる」とあいさつした。中西校長が宗入を描いた紙芝居を上演したほか、「京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ」のメンバーも焼香をしたり、剣舞を奉納したりした。

今年は「物集女イヤー」?

物集女氏は室町時代から戦国時代にかけて乙訓地域の「西岡(にしのおか)」と呼ばれた地域で勢力を伸ばした地侍のリーダー格で、物集女城を拠点としていた。向日市物集女町中条には、堀と土塁が残ったままの城跡があり、今年6月には国史跡に指定される見通しとなった。

古くから地域を治めていた宗入は織田信長に従わなかったことから、天正3(1575)年、信長配下の細川藤孝(幽斎)によって謀殺された。一族も離散したと伝わる。

宗入は「聖聚(しょうじゅ)院」という寺を建立したと伝えられ、江戸中期まで清浄華院の末寺として物集女にあった。その後、清浄華院の住職の隠居所として岡崎(左京区)に移転し、明治の廃仏毀釈で廃寺になったとされる。

聖聚院の寺宝など遺物は清浄華院へ移され、宗入像も伝わった。長らく像の正体は分からなかったが平成23年の寺宝調査で、像の台座裏に「聖聚院開基」の文字を発見。聖聚院の過去帳から宗入の戒名が見つかり、宗入の像と確認された。

中西校長は「城跡が国史跡に指定される見通しとなるなど、今年は『物集女イヤー』となった。宗入が治めていた地域を自分たちが担い、未来に引き継いでいく意識を持ちたい」と話した。

「末裔」がコンサート

物集女宗入没後450年記念事業の一環として28日、物集女氏の子孫で世界的なバイオリニストの物集女純子さん=横浜市=が、永守重信市民会館ホール(京都府向日市)で演奏会を開く。

演奏会ではクラシックの名曲に加えて、指揮者の志村健一さんが制作した『交響詩「物集女」~物集女の歴史を語り継ぐ~』を初披露するほか、市立第2向陽小学校の児童がコーラスで共演する。

28日午後5時開演。前売り券大人2千円(当日券2500円)、高校生以下前売り券千円(当日券1500円)。

問い合わせは市文化推進課(075・874・3881)。(田中幸美)

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