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竹林の中を延びる線路 「日本一美しい」旧国鉄倉吉線跡、レールの間の竹は新世代 行ってみよう廃線跡

産経ニュース / 2024年12月9日 10時30分

かつては地元の人々や観光客でにぎわったが、時がたち、利用客が減り続けて廃止となった鉄道路線。その廃線跡を訪ねると、自然に溶け込んだ線路、威容を保ち続ける駅舎、朽ち果てたホームなど、魅力ある鉄道遺構に触れることができる。これらを観光資源として活用する動きは全国各地で出ており、そのひとつが「日本一美しい廃線跡」といわれている旧国鉄倉吉線跡(鳥取県倉吉市)だ。

救世主「たけちよ」

国鉄が分割民営化される2年前の昭和60年3月に廃線となった倉吉線。約20キロの間には多くのレールや駅ホームが残っており、最も人気があるスポットが竹林の中を線路が延びている区間だ。泰久寺駅と山守駅だった場所の間にある。高く伸びた竹が線路を覆い、光が漏れる様子は幻想的で「日本一美しい廃線跡」とされる理由が分かる。中でもインスタ映えすると評判なのがレールの間から生えた竹。現役の路線ならあり得ない風景で、廃止されてからの時間の長さを物語っている。コスプレをして撮影したり、ドレスを着て結婚の記念写真を撮ったりする人もいるという。

当初は3本生えていたが、1本が寿命となり、令和4年に伐採。さらにもう1本も5年ごろから枯れ始め、伐採が予定されていた。1本だけになるピンチを迎えたが、今年の春になって山守駅側へ約10メートル離れた場所にタケノコが出現。一気に成長した新しい竹は救世主として「たけちよ」という愛称がつけられた。6月に枯れた1本を伐採し、現在は2本態勢。地元の人は「よく生えてきてくれた」と胸をなでおろす。

山守駅側に残っている「山守トンネル」はふだんは立ち入り禁止だが、倉吉観光MICE協会が団体向けのトレッキングツアーのほか、個人でも参加できるイベント「ウオーキングオープンデー」を年に数回(今年は4~11月に8回開催)主催しており、これらに参加すれば立ち入ることができる。また、泰久寺駅はホーム、駅銘板(レプリカ)が残り、当時のひなびた雰囲気を味わえる。

記念館で歴史紹介

倉吉線の歴史を紹介しているのが打吹駅跡地に建てられた「倉吉線鉄道記念館」(入館無料)。写真パネルや資料、貨物入れ替えに使用した機関車が展示されているほか、記念館横には当時活躍したC11形蒸気機関車も保存されている。

倉吉線は明治45(1912)年、上井駅(現在の倉吉駅)と市街地の倉吉駅(後の打吹駅)を結ぶ「倉吉軽便鉄道」として開業したのが始まり。その後、部分的に延伸し、昭和33年に山守駅まで開通した。さらに先まで延ばす計画があったことが同館の資料で紹介されている。「待望の国鉄南勝(なんしょう)線着工」というタイトルのチラシのようなもので、山守駅から中国山地を越えて国鉄姫新線の中国勝山駅(岡山県真庭市)までの約43キロで結ぶ南勝線の起工式(昭和49年5月)について伝えている。工費は230億円とあるが、56年に倉吉線が特定地方交通線第一次廃止対象路線に指定されたことなどの環境の変化で南勝線は「幻の路線」のまま終わった。

同協会のウオーキングイベントは各回とも定員に達するなど、大人気を誇っている。旧国鉄倉吉線跡は鉄道ファンだけでなく、一般の観光客や地元の人々らを引き寄せる鉄道遺産といえるだろう。(鮫島敬三)

マラソンランナーより遅い?

廃止直前まで、倉吉線には客車と貨車の両方を連結した混合列車が走っていた。同線内には転車台の施設がないため、下りのSLは逆向きで列車を引っ張っていた。また、泰久寺、山守両駅には列車の前後に機関車を付け替える施設がなく、客車列車はその手前の関金駅止まりだった。

倉吉線は線路状態の関係などで列車の速度が遅かった。「国鉄監修 交通公社の時刻表1968年10月号」で倉吉線の下り始発列車の時刻を見てみよう。上井駅を5時43分に出た421列車は終点の関金駅に6時35分に到着。15・2キロを走るのに52分もかかっている。表定速度の時速17・5キロは「マラソンランナーより遅い」などと評されたこともあったという。

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