【話の肖像画】元通産事務次官・小長啓一(5) 湾岸危機で迫られた難しい判断

産経ニュース / 2017年12月8日 11時32分

小長啓一氏(納冨康撮影)

 〈田中角栄氏の首相辞任後、通商産業省(現経済産業省)に戻り、昭和59年、地方大学出身者として初めて事務次官に就任した。退官後の平成元年3月、アラビア石油に入社した〉

 アラビア石油は、クウェートとサウジアラビアが領有する中立地帯カフジで初の「日の丸油田」を手がけた企業です。2(1990)年夏、イラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸危機が起きました。カフジ鉱業所はクウェート国境から20キロ程度しか離れていません。鉱業所には2千人の従業員がおり、日本人も百数十人いる。

 副社長と対策本部長を兼務した私は、彼らの命を預かる立場として難しい判断を迫られました。外務省は退避勧告を出しましたが、各方面から情報収集したところ、イラク軍がすぐに侵攻してくることはないと分かった。それにサウジ政府は退避を勧告していない。現地の小学校の授業は平常通りだという情報も入ってきた。それで日本人従業員は残して操業を継続し、家族は帰国させる決断をしたのです。

 秘書官として田中さんを間近で見て、リーダーたる者は自身の行動で覚悟を示さなければならないと実感していました。私はすぐに秘書を連れて現地へ飛び、食堂に日本人従業員を集めて「こういう時こそ歯を食いしばり、日本に石油を安定供給することがわれわれの責務だ」と話しました。翌日一人一人と握手した後、サウジの石油相を訪ね、「いざというときは独自の判断で退避する」と伝えました。

 多国籍軍とイラク軍の戦闘が始まったのは翌3年1月。従業員は砲撃前にシェルターに逃げ込み、けが人は出ませんでした。実は前日の夜、石油省高官から鉱業所長に「何か事が起こるかもしれない」とにおわせる電話があり、迅速に対応できたのです。

 〈3年3月、アラビア石油の社長に就いた。在任中、カフジ油田の原油採掘権益のうちサウジ政府から得ていた権益の延長問題の対応に追われた〉

 当時は油価が低迷し、石油は戦略商品ではなく一般商品というのが世界の常識でした。そこで日本政府が交渉の表舞台に立つのは難しく、私どもがサウジ政府と交渉しました。相手は権益延長を認める見返りに、大規模な投資を要求してきました。経団連がサウジ向けの投資を会員企業に呼びかけてくれましたが、当時はサウジへの関心が今ほど高くなかった。繊維工場と漁業養殖場は進出が決まりましたが、大型案件はなく、サウジ政府は納得しませんでした。最後に鉱山鉄道の敷設を求めてきました。しかし自前で調査したところ採算が取れない。要求には応えられず、残念ながら12年にサウジ側の権益を失いました。50人以上の社員をリストラせざるを得ず、申し訳なかったと思っています。

 〈現在、一般財団法人「産業人材研修センター」理事長を務め、官民の人材育成に取り組む〉

 経産省へのお礼奉公の意味で9年前から、民間企業の経営者の卵の方々や、経産省の若手官僚を集めた研修会を毎月開いています。学んだ人は600人を超えました。今、世界の産業界は「第4次産業革命」と呼ばれる、人工知能(AI)などがもたらす変革期にあります。私が旧通産省の若手時代は「外国に追いつけ、追い越せ」でした。今は海外の模範例がない、難しい状況ですが、大いに挑戦してもらいたいですね。(聞き手 田中一世)=次回は脚本家の内館牧子さん

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