【王位継承物語】危機のさなかの継承 立憲君主像を確立したジョージ5世 関東学院大教授・君塚直隆

産経ニュース / 2018年5月17日 10時42分

英国王ジョージ5世(手前)と馬車でバッキンガム宮殿に向かう皇太子時代の昭和天皇=1921年5月、英ロンドン

 今から1世紀以上前の1910年5月、イギリス国王エドワード7世が突然崩御した。若い頃からの暴飲暴食もたたったとはいえ、68歳の王の寿命を縮めたのは、当時の政界を二分していた「議会法危機」にあった。自由党政権が貴族院の権限を大幅に縮減しようとしていたのに対し、野党保守党はこれを阻止しようとした。前者は庶民院(下院)の多数派、後者は貴族院からの支持を背景に、イギリス政治は大混乱に陥っていたのである。

 その調整のさなかに急逝した老国王に代わり登場したのが、当時45歳になろうとしていたジョージ5世だった。1千年に近い歴史と伝統を持つイギリス議会政治にとって未曽有の事態ともいうべきこのとき、新国王は与野党いずれにも肩入れはせず、公正中立の立場からそれぞれの指導者との話し合いをもった。

 与党側は法案に反対する貴族院を押さえ込むため、「政府側の貴族」を一挙に500人も新設してはどうかなどと無謀な策も計画したが、国王の冷静な判断もあり、この年の12月にイギリス史上初めての1年に2度目の総選挙が行われた。その結果に基づいて、議会法は翌11年夏に無事に成立することとなった。

 ジョージ5世は、もともとはエドワード7世の次男に生まれ、年子の兄エディがあとを継ぐことになっていた。兄弟はそろって幼年期から海軍で育ち、1881(明治14)年には世界を周遊する訓練のなかでこの日本にも訪れ、当時の明治天皇から歓待を受けていた。ジョージ自身は、その後も海軍軍人の道を歩んでいたのだが、92年に兄が病で急死した。突然「大英帝国」を継承する身分になってしまったのだ。

 そのようなジョージを支えてくれたのが、19世紀の評論家ウォルター・バジョットが書いた『イギリス憲政論』(67年刊行)。ここで説かれた「君主のありかた」をしっかりと学び、それはのちの「議会法危機」を調整する際にもいかされた。

 そしてもうひとつ、ジョージを支えてくれたのが亡き父エドワードによる薫陶であった。エドワード自身は、母ビクトリア女王から疎まれ、政治や外交にも関わらせてもらえなかった。こうした屈辱を息子には味わわせたくなかった。エドワードは、国王に即位するや、皇太子ジョージにも内閣文書や外交文書を閲覧させた。ウィンザー城の執務室では、自らの机のすぐ隣にジョージの机を置かせ、まさに「帝王学」を一から教えたのである。

 こののちジョージ5世は、父の期待に違わぬ理想的な立憲君主となった。第一次世界大戦(1914~18年)では、「国民の模範」となるべく、暖房や照明の使用を最小限に抑え、風呂もお湯をためるのは5~6センチだけ。あとは水で済ませた。宮殿での晩餐(ばんさん)会も酒類はいっさい厳禁となった。さらに大戦中の4年間に国王が慰問に訪れた連隊の数は450、病院訪問と軍需工場・港湾への慰問もそれぞれ300回ずつ、勲章や記章を自ら授与した人数は5万人を超えていた。この君主とともに国民は大戦を乗り越え、勝利した。

 戦後も世界恐慌を乗り切るため、挙国一致政権を樹立する際に、国王は抜群の指導力を発揮し、これを実現した。晩年の35年に「在位25周年記念式典(シルバー・ジュビリー)」をむかえたとき、国民全体がこの「国父」の慶賀を心から祝ったのである。「立憲君主の鑑(かがみ)」ともいうべきジョージの姿は、21(大正10)年に訪英して、彼から大歓迎を受けた日本の裕仁皇太子(のちの昭和天皇)にとっても「理想の君主像」になった。

 さらにジョージの孫で、今年在位66年をむかえ、92歳の現在でも国民とともにイギリスを支える、エリザベス2世にもその精神は脈々と受け継がれているのである。

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 次回は6月21日に掲載します。

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【プロフィル】君塚直隆

 きみづか・なおたか 昭和42年、東京都生まれ。立教大文学部卒業後、英オックスフォード大留学を経て、上智大大学院文学研究科史学専攻修了。博士(史学)。専門は英国政治外交史。著書は『立憲君主制の現在-日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)など多数。

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【用語解説】議会法危機

 1909年に自由党政権が提出した予算案を貴族院が否決したことに端を発した。庶民院を通過した金銭関係の法案は貴族院で否決されても成立する。それ以外の法案も、庶民院を3会期通過した場合には、貴族院で否決されても成立する。こうした案件を盛り込んだ「議会法案」は、当然のことながら貴族院(さらにその大多数を占める野党保守党)から反発を受けたが、国王の仲介により、11年8月に貴族院での採決で正式に成立した。

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