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第46回 祭りから愛を込めて!

政治山 / 1970年1月1日 9時0分

「人材を変え、組織を変え、地域を変える」ことを目的に自治体職員のリーダーを育成する実践的な研究会「早稲田大学マニフェスト研究所 人材マネジメント部会」受講生による連載コラム。研修で学び得たもの、意識改革や組織変化の実例などを綴っていただきます。

     ◇

 4月8日の日曜日20時30分過ぎ、牛久保町八幡社の前で、祭りはクライマックスを迎える。多くの群集が見守る中、4町内のダシ(馬簾)や囃子車などが集結。ただ、今までの喧騒が嘘のように、静寂に包まれる。そう、祭りのフィナーレを飾る「三ツ車」の始まりを待っているのだ。

 始まりの合図は、祭事長が提灯を振ること。それに合わせ、今までの静けさが喧々たる状況に激変する。2台の囃子車、上若、西若の隠れ太鼓、神兒舞の中を各組がダシを衝き回す。その後、笹踊が終わると各組のダシが最後の力を振り絞って会所まで駆け足で一斉に帰るのだ。毎年同じように繰り返されるその潔い終結は、見る者を魅了し、時には涙を流すのである。

三ツ車

三ツ車

 今回は、地域に昔から伝わる神社仏閣の「祭り」にスポットを当て、私の実体験を通じた人間的成長やコミュニティー形成等について、お話をさせていただきたいと思います。

牛久保町の「うなごうじ祭り」と私

 私が生まれ育ったまち愛知県豊川市牛久保町では、“天下の奇祭”と言われる「若葉祭」が、毎年4月の7日、8日に近い土曜日を宵祭、日曜日を本祭として執り行われています。

 この祭りは、天王社に祀られる獅子頭(ししがしら)を宵祭の時に八幡社へ迎え、翌日の本祭に八幡社の神輿とともに天王社へ送り、その行列にともなって氏子4組がダシ(馬簾)を先頭に、それぞれの町内が特色ある祭礼の儀式を展開します。

 この氏子4組というのは、「上若組(かみわかぐみ)」「西若組(にしわかぐみ)」「神児組(かみこぐみ)」「笹若組(ささわかぐみ)」で、上若組と下中組は大山で「隠れ太鼓」と囃子車で「囃子」を行います。神児組は神児車で神児舞を舞い、笹若組は笹踊りにヤンヨウガミが加わります。このヤンヨウガミが最も有名で、所かまわず寝転ぶ姿が「ウナゴージ(うじ虫)」に似ていることから、若葉祭が「うなごうじ祭り」とも呼ばれる所以です。

 私も、上若組の町内に住んでおり、小学校の時から囃子車の太鼓を叩く稚児として、幼少期から祭りに携わっていました。そして、高校を卒業してから28歳までは、祭りの青年として活動し、現在も大山の師匠として篠笛を吹くなど精力的に携わっています。

大山

大山

 祭りを続ける中で、青年時代の私に、人生の転換期である「就職」という人生の荒波が押し寄せてきた時の話です。

 平成12年度の採用の時期は、まだまだ就職氷河期という新卒者にとっては悲痛な時代であってものの、就職先は「祭りの時に休暇が取れるところ」に限定し就活を展開。柴田青年は、お構いなしに、面接で「祭りの時に休みもらえますか?」と逆質問を繰り返す始末。結果は明らかで民間企業は連戦連敗。そのような状況の中、市役所の面接でも同様に答弁をしたのですが、中日ドラゴンズの荒木のような電光石火のヘッドスライディングで間一髪滑り込みセーフというギリギリ写真判定的な状況で、何とか市役所に入所しました。

 祭りは、採用1年目に関係なく、やってきます。採用後、1週間も経っていないのにと思いつつ、4月6日には有給休暇1日を奪取するというファインプレーを披露しました!

 そして、採用2年目以降は、個人的に命名した「お祭り休暇」(単なる有給休暇)を活用し、祭りの前後2日ずつ、木曜日から火曜日まで休暇を取得するという傍若無人ぶり(仕事はちゃんとやっていました!)。というように、戦略的!?に祭りに参加できる環境を整えたのです(笑)。

祭りは地域の柱!

 私が住んでいる牛久保というまちが今あるのは、先人の方々が様々な想いを抱きながら活動し、まちを育て後世につなげたからです。そして、その中心的な活動は、年に一度、牛久保の町が喧騒に包まれる祭りだったと感じています。

 現在も、昔からの祭礼の内容を守りながら、神社の氏子が祭事の責任者として、青年が祭りの主役を務めています。各組において担う役割は違うものの、子どもからお年寄りまで祭りに携わっており、「祭り」という活動を通じて、人と人とをつなげながら、コミュニティーを形成し地域に根付いた活動になっています。

 私も経験をしましたが、小学生から祭りに強く関わるようになり、囃子の稚児を担当する小学生は、2カ月程度、お祭りに向けて週5日間の練習を行います。近年では、小学校5年生が生活発表会で、若葉祭の歴史を学び、祭りの実演を交えて地域の方に披露をする時間も設けられています。

 また、祭りの主役を担う青年は、年代も育った環境も違う者が「近所」という共通点だけで集まり、準備等も含めると3カ月程度、一緒の時間を過ごします。このように価値観も違う個人が世代を超えて集まり、コミュニケーションをとりながら活動することで、それぞれが尊重し合い、家族のように絆が深まるのです。

行列

行列

祭りの課題

 課題は、「変わらない」「変われない」ことです。

 刻々と時代が移り変わる中で、人によっては面倒である、祭りに参加する理由がないなどから、祭りへの参加を敬遠されてる実態もあります。また、少子高齢化に伴い、携わる人も減少しており、年齢構成も変化をしてきています。

 そうした変化にも関わらず、「単に祭礼を繰り返し」「熱心に活動をしている者が一部に限られている」「完全に年功序列である」など、「変わらない、変われない」という課題です。

 ただ、祭りは、文化を継承するという意味合いから、永年的に同じ形で継続をしていくことが美徳とされることもあり、前例踏襲の中で祭りに関わる人々がなかなか変革を望んでいないのも事実で、変わりたくないのかもしれません。

祭りの仲間

祭りの仲間

祭りへの想い

 なぜ、「祭り」は、継続できているのでしょうか?

 まず、「祭りが日常に組み込まれている」からです。小学生の頃から祭りに触れ、父親や近所の親類など熱心に関わることで、昔から地域に住んでいる者は、心理的に参加しやすい状況になっています。

 次に、目的が「祭りを後世に伝承する」ことに絞られているからです。祭りは、伝統的な意味合いも強く、その内容を後世に伝承するという目的が暗黙知的に共有されています。そして、会合の度に、祭りの話題には事欠かず、日ごろから価値観の共有が図られています。

 そして、「仲間を大切にし、地域に愛着を抱いている」からです。祭りがきっかけで構築されるコミュニティーに愛着を抱き、出会った仲間を大切にしながら、祭りのことを一緒に考える時間があることは、人と人との関係性を築く上で、重要な役割を担っています。

 このような要因によって、課題はあるものの、継続的に祭りが行われているのです。

 私は、何故祭りに参加するのか?

 「祭りが好き」だからです。そして、仲間も、牛久保も好きだからです。そんな祭りを、私の子どもの世代に、受け継いでいきたい。そんな単純で熱い想いを改めて確認して、この寄稿を終えることとします。

 んっ、終わり!? 組織とか人材とか全く書いてない(笑)。でも、祭りの示唆によって、組織の中での活動に繋がるところもあると思います!祭りの組織を変えるより、市役所の組織を変える方が、容易かもしれません。

 最後に、豊川市、オフサイトミーティング絶賛継続中です!

愛知県豊川市 産業部商工観光課係長 柴田進太郎さん(部会メンバーと共に)

愛知県豊川市 産業部商工観光課係長 柴田進太郎さん(部会メンバーと共に)

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