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地方分権と地域政党―北川正恭 早大名誉教授

政治山 / 2017年11月7日 11時50分

サプライサイド重視がかたちづくった日本

 1972年に三重県議会議員に就任し、3期務めました。その後衆議院議員を4期務めた後、三重県知事に当選。2期務めました。金権腐敗にまみれた政治の世界もすいぶん味わってきましたが、その反省も含め、新しい政治をどうやって作っていくかを考えていかなければならないと思いました。中でも地域政党を基軸に一緒に考えていきたいと思い地域政党連絡協議会のオブザーバーを務めることにしました。

 まずは戦後72年の政治の流れを振り返ってみます。戦争では300万人以上の同胞が殺されました。政治の失敗で殺されたというのが事実です。130以上の自治体が爆撃にさらされました。

 戦後の課題は「国民におなか一杯のご飯を食べさせること」でした。近代化は工業化を意味し、そこに圧倒的な資源を集中投下しました。その経済基盤をコントロールするために、中央集権体制が築き上げられたのです。軍隊を残さずにどうやって国を保つかということが議論され、戦後政治の骨格がそこで作られました。

 民主化へと大きな転換が図られ、小作が自作になり、女性の参政権が認められました。日米安保条約が結ばれ、自由経済が確立されていきました。工業化が善だという、強権的かつ画一的な政治体制が築かれ、地方は国の下請け機関としての役割を果たしていくことになります。

北川正恭 早大名誉教授
北川正恭 早大名誉教授(早大マニフェスト研究所コラムのインタビューより)

 地方公共団体は、これまで国の公共的な下請けとしての機能しか認められていませんでした。地方は国の執行部という考え方であり、政治はそこに必要がないとされたのです。こうした徹底した中央集権があったからこそ、日本は敗戦から見事に立ち直ることができたといえます。

 ただしこの根底には「生産が善」という考え方が透徹しており「サプライサイド(供給重視)」の経済が主軸に据えられたうえでの快進撃だったということを理解しておかなければなりません。だからこそ、やがて公害問題が起きた時も当初は「どんどん生産する中では、ある程度は仕方がない」という風潮だったのもそのような文脈からでしょう。

 さらにプラザ合意という問題が起きました。それまでは1ドル240円だったものが120円へと切り下げられたわけです。360円で成功していた戦後体制が120円になったわけですから、ここで円高対策にシフトすべきだったのです。1985年ごろの経済変動はこれによりもたらされたものです。日本の高い教育レベルにも支えられ、高度経済成長の中で供給側に立った経済発展が図られていきましたが、同時にそれはサプライサイドによる政治、つまり税を使って利益を分配するというシステムが機能していたということでもあります。

 その後、技術進歩が日本という国の大転換に大きな影響を与えていくことになります。一つはインターネットの普及により、行政の透明化が進んだことです。官官接待がばれてしまうということも起きるようになりました。それで三重県でも透明性を保つことが必要になってきました。東京都議会では政党復活予算がまかり通るようなことが起きていましたが、最も透明化が進まなかったのが都議会だったということです。

恩顧主義から脱却し、地方と国を対等な関係に

 政府は地方創生に力を入れ始めました。国が気に入るようなプランではなく、体制から自立する覚悟をもって、補助金に頼らない地方を作っていかないといけません。こうした中で、地域政党が立ち上がろうというのは、私はとても望ましいことだと思っています。地域の覚悟が今こそ必要だからです。

 執行部としての首長は単なる国の下請け仕事、そして議会は単なる追認の機関として存在してきました。でも成熟社会に差し掛かった今、本気でこの体制を変える必要のある時代がやってきたわけです。議会は執行部としての首長と対峙して、民意をバックにしながら民意の代表としての存在意義を出していく時ではないでしょうか。

 従来の中央集権的なパラダイムの中で貶められてきた地方議会が改革され、力を持つ時がやってきました。執行部である首長と議会という機関がしっかり競い合ってこそ地方自治がしっかりとしてきます。そして首長と議会が対等な関係で機関競争をしたうえで、国と地方が対等協力をしていかなければなりません。

 しかし依然として政治は恩顧主義(庇護と忠誠のシステム)が根強く残り、サプライサイドのやり方は全く変わっていません。あれもこれもから、あれかこれかの選択をしなければならなくなったのにです。限りある資源をどうするか。資源分配ではなく、負担分配を考えるという時代になっているのです。

 全国の政治家にマニフェストの共通フォーマットを提案し、わかりやすく見やすい形で政策を公開・利活用(オープンデータ化)するマニフェストスイッチプロジェクトが始まっています。ここでは全国のマニフェストを見ることができます。だからこそ、実施されたのか、効果はどうだったのか、ネットではすべてが白日の下にさらされます。このマニフェストスイッチなどを使いながら、お願い選挙から約束の選挙へと代議制民主主義は新しいフェーズに入っていくのでしょう。そして、有権者もまた変わらなければならない時がやってきたのだと思います。

 地域が動くことでこの国を新たなものとして作り上げていってほしいと思っています。

        ◇

北川正恭(きたがわ まさやす)
<経歴> 1944年生まれ。67年、早稲田大学第一商学部卒業。72年三重県議会議員当選(3期連続)、83年衆議院議員当選(4期連続)。95年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改革を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。2期務め、2003年4月に退任。2003年4月より早稲田大学政治経済学術院教授。2015年3月に退任。現在、早稲田大学名誉教授、早稲田大学マニフェスト研究所顧問。「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)共同代表。2009年地域主権戦略会議構成員。2011年より相馬市復興会議顧問。2013年より長野県政策研究所チーフアドバイザー、新潟州構想検討推進会議顧問。

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