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西日本豪雨災害から1年、復興のなかで生み出された自治力

政治山 / 2019年6月21日 10時0分

 昨年7月に西日本を襲った豪雨災害。広島県三原市にある『NPO法人ふぁいと』では、支援が届きにくい在宅避難者を含む地域住民の生活や健康を支援する事業を4カ月間、日本財団の助成を受けて行いました。今回は、この事業を中心的に担った2人の方に、1年前を振り返っての感想をうかがいました。

NPO法人ふぁいと代表の平本英司さん

NPO法人ふぁいと代表の平本英司さん

日常平時の人間関係が役に立つ

 「こんなにいい事業はなかった。本当に素晴らしい経験でした。感動で胸が熱くなったことが何度もありました」と語ったのは、『NPO法人ふぁいと』代表の平本英司さん。

 平本さんたちが暮らす三原市の旧本郷町(2005年に三原市と合併)のエリアでは、豪雨災害で多くの家が床上浸水の被害にあいました。その結果、1階部分の浸水被害が多かったため、自宅の2階で生活を続ける在宅避難者が多く出ることとなりました。

 しかも、台所のある1階が被害を受けたので、料理を作ることができない家庭が続出。また、梅雨の時期での炊き出しは食中毒などの問題があるため、在宅避難者にはお弁当を配布。給食センターも被災したため、学校でもお弁当が配布されることになりました。

 「しかし、そういうお弁当のオカズは揚げ物ばかりで偏りがあった。そこで、もっと健康に配慮した食事にできないのかという相談を、給食調理員をしていた地元の女性から受けたんです」と平本さん。一方で平本さんは、地元の病院で訪問看護の仕事をしていた内海かおりさんから、在宅避難者の人たちの状況がつかみづらいという相談を受けます。

 「そこで、2人の女性の相談をきかっけとして、この地域の人たちの健康を守るための、『本郷の食堂と保健室』を作ろう。そういう役割を果たす活動を、自分たちの力で始めようということになったんです。行政の力に頼るのではなく、自分たちのネットワークだけで、人集めと物集めを始めました。おばちゃんたちが自分の人脈を使って、調理する人を集めてくる。そうした民間のネットワークの力で、事業を進めていくことができたんです」と語る平本さんは、「日常平時の人間関係が役に立つ。普段の人間関係を大事にしておくことが、こうした災害などの有事の時には重要」と指摘します。

来場者は血圧を測定してから食堂へ(当時)

来場者は血圧を測定してから食堂へ(当時)

寄付や助成はきっかけ

 こうして平時の人間関係を生かして、週末に地域住民のボランティアによって、『本郷の食堂と保健室』が開かれました。ボランティアには、主婦や学生だけでなく、看護師や鍼灸マッサージ師なども専門ボランティアとして参加しました。

 さらに、「地域の人たちの健康を守るというコンセプトだったので、多くの企業からも協力を得ることもできました」と平本さん。地元のパン会社はクリームパン5000個もの寄付を2回もしてくれたし、地元のホテルやゴルフ場の入浴施設を借りることができた時は、時間や順番を気にすることなく入浴できると、地元の人たちが大変喜んでくれたと言います。

 こうした活動を続けて行く中で、「今日の献立は何かね?」といった被災住民とボランティア間での井戸端会議的なコミュニケーションが自然に生まれ、家にこもりがちだった高齢の被災住民が外出するきっかけになったり、被災住民とボランティアとのコミュニケーションが深まっていった。

 また、ボランティアだけで毎日反省会を行って、みんなで意見交換を行う。そして、その様子を写真に撮ってFacebookにアップし、当事者意識と参加している感を高めていった。そうした中で、地域全体のつながりが強くなっていったそうです。そして、こうした好循環が生まれたのは「まず行動したことが良かった。行動する中で生まれた課題を、またみんなで議論して修正していくことで、お互いに理解が深まって、次へとつながっていった。議論ばかりしているだけではダメなんです」と平本さん。

ボランティアメンバーによる反省会(当時)

ボランティアメンバーによる反省会(当時)

 また、こうした自助、共助に加えて公助が果たす役割も、復興に欠かすことはできません。これらの事業を進めていく上で「日本財団からの助成金はすごく大きかった。ただし助成金は、あくまでも最初のきっかけ。そこから後は、地域でお金を回して、地域の力を復興させていかなければならない。助成金は車のスタートキーのようなもので、そこから地域でエンジンを回して、地域のGDPを上げていかなきゃいけない。補助金漬けの事業になったら、うまくはいきませんよね」と平本さんは指摘します。

 さらに、「災害支援事業は、初めから終わりを決めておいた方がいい。だらだらと長く続けていくと、必ず支援する側でもされる側でもカン違いが始まってしまう。事業がうまくいっているからといって、『地域の人たちの健康を守る』という最初に立てた目的を変えてはいけない。その点では、この事業を一定の目的を果たすことができた約4カ月のタイミングで終わらせたのは良かったと思っています」と説明しました。

看護師の内海かおりさん

看護師の内海かおりさん

災害が引き出した地域のパワー

 そして、「こんなに地域の人が力をあわせて取り組むことができたいい事業はなかった。トラブル、ケンカ、もめごとは1件も無かった。出てくる料理は、毎日みんな美味しかった!」と熱っぽく語る平本さんの話を、隣りで微笑みながら聞いていた内海さんは、「私のいた在宅看護センターや病院、学校、平本さんたちのNPO、みんなが普段から顔見知りだった。そうした地域のつながり、コミュニティがしっかりあった。その元々あった地域のパワーが、災害をきっかけに引き出されたんじゃないかと思います」と、明るく語りました。

 また、こういった結果を残せた背景には、企業からの寄付の品物などが、ボランティア内でも平等に行き渡るように、きめ細かな配慮がされていたこともあったと言います。そして、この『本郷の食堂と保健室』という事業は役割を終えて、約4カ月で終了したものの、その思いはその後も引継がれており、「保健室」のコンセプトは、地域の中核病院の下での「本郷中央トータルケアセンター」の準備に向けた動きにつながり、内海さんもその一翼を担っているということでした。

地域の中核病院 本郷中央病院

地域の中核病院 本郷中央病院

 災害が起きた当時、小学6年生だった内海さんの娘さんは、毎週土日に食事作りや子どもの遊び相手をするボランティアに参加し続けたそうです。そうした活動の中で「無農薬の野菜がとても美味しかった」と感じて、将来は無農薬の有機農業をしながら、そうした農業を人に教える職業に就きたいという、新たな夢を持つようになった。そして、「いろんなことがあってすべてが勉強になったよ おかあさん ありがとう」という手紙を内海さんに手渡してくれたそうです。

 その手紙を見て内海さんは、「災害って、決していいことではない。ただし、いい『落し物』も残してくれた。雨が降ると怖くなったり、泣いたりしてしまったりする精神的なダメージは、多くの子どもたちの心の中に残ってしまっていました。でも、みんなと一緒に事業を行なっていく中で芽生えた感情や新たなつながりが、そうしたダメージを消し去る力を生んだんだ」と思ったそうです。

行政に頼らない地域力を

 「行政には行政の限界があり、民間でしかできないこともある。行政が主導した在宅避難の状況のヒアリング調査などでも、もっと民間や地域のおばちゃんたちのネットワークと連携してできることがあったのではないか」と振り返る平本さんに、「地元を離れた時期はあったんですか?」と質問したところ、「なかったですね。地元が好きなんですよ」とはにかみながら答えていました。

 地元を愛して日々生活している人たちが、その地域で起きた災害に立ち向かう事業を、民間や行政の支援を受けて起こしていった。そして、そうした大人たちと一緒に過ごすことによって、子どもたちは精神的に立ち直り、新たな夢や希望を持つようになった。

 こうした地域の人たちを結集させる場づくりと、その地域のパワーを生かす支援によって、地域のつながりがまた新たに作られていく。そうした“地域づくり”にこそ、災害が多発し、少子高齢化が進む自治体の目指すべき道があるのかもしれません。

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