【私のクルマ遍歴】「大衆車のボールより、性能の良いガンダムを!」後輩の助言で選んだのはホンダの2代目プレリュード(前編)

サライ.jp / 2019年4月28日 9時0分

写真

【私のクルマ遍歴】「大衆車のボールより、性能の良いガンダムを!」後輩の助言で選んだのはホンダの2代目プレリュード(前編)の画像

取材・文/糸井賢一(いといけんいち)

ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することでオーナーさんの歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。

鳴海さんの愛車は、顔つきやスタイルの愛らしさで評判となったオープンカー。その出会いと物語は【後編】で語ります。

鳴海さんの愛車は、顔つきやスタイルの愛らしさで評判となったオープンカー。その出会いと物語は【後編】で語ります。

今回、お話をうかがったのは千葉県にお住まいのフリーランスライター、高平鳴海さん(53歳)です。大学卒業後、接客業に就いたものの、程なくしてライターに転向。十~二十代向け書籍の執筆を活動の中心とし、現在に至っています。
はじめて買ったクルマはプレリュード。その縁は失恋から始まり、失恋で終わってしまう
広島県広島市で産声をあげた鳴海さん。お父様は地元企業のマツダに勤められ、クルマの模型を玩具にする幼少期を過ごしました。幼い鳴海さんが小さなミニカーに乗り込むべく足先を運転席に差し込もうとしたことは、今でも家族の語り草になっているそう。

鳴海さんが3歳の時、お父様の転職に伴い、一家揃って北海道へと引っ越します。1970年の半ばにスーパーカーブームが到来。しかしこの頃の鳴海さんはそれほどクルマに興味を持っておらず、スーパーカーも友人との話題のひとつととらえていました。

千葉県にある大学へと進学するため、鳴海さんは実家を離れて一人暮らしを始めます。引っ越し後、普通自動車と普通自動二輪の運転免許を取得するべく教習所に通いますが、あくまで資格を得るのが目的でした。

幼少期を除いて、ここまで特別、クルマやオートバイが好きというわけではなかった鳴海さん。転機は大学在学中、20歳に訪れます。

「20歳の頃、大失恋をしてね。失恋後は食事がノドを通らなくて、半年で30キロも痩せたよ。そんな俺を見かねた後輩が『気晴らしにツーリングに行きましょう』って誘ってくれたから、クルマを買うことにしたんだ。当時はクルマへのこだわりがなく、『カローラ』や『サニー』といった大衆車でいいと思ったんだけど、後輩に『大衆車はモビルスーツ(アーマー)でいうボールです。どうせ乗るなら性能の良いガンダムやゲルググに乗りましょう!』って、『ガンダム』に例えてスポーツモデルに乗るよう勧められてね。『そうか、なるほど!』って納得し、ホンダの(2代目)『プレリュード』を買ったんだ。直線的なスタイルやリトラクタブルヘッドライトも、変形ロボットみたいで格好良かったからね」

125馬力という(当時としては)高いパワーに、アクセルを踏み込んだだけ加速する吹け上がりの良さ。車体の軽さからくる動きの軽快さに、背中を包むようなシートのホールド性。くわえて座面の低さや前方下方向への視界の悪さと、教習車とのあまりの違いに、鳴海さんは「スポーツタイプとは、こういうものなのか!?」と衝撃を受けます。納車後は後輩や友人とツーリングに出かけ、その楽しさにより失恋の痛手から立ち直ります。

大学卒業後、全国に展開するホビーグッズショップへと就職。しかし自身が接客業に向いていないことを悟り、3ヶ月で離職を決意します。就業していた間、本部からの指示でライティング業務に携わり、その時の上司より「離職するならライティングの仕事を受けてくれ」と依頼されたことが切っ掛けで、ライターへの転向を決意します。

その後、フリーランスライターとして順調に経験を重ねる鳴海さん。活動が軌道に乗った頃、先輩ライターより「ライティングを中心としたプロダクション会社を立ち上げるから参加しないか?」と声をかけられます。これに参加した鳴海さんは会社員の肩書きの元、同程度のキャリアを持った同僚と組織的なライティング活動を行い、書籍制作におけるディレクションの手法を学びます。

プレリュードの購入から3年が経過し、その性能や使い勝手に十分、満足していた鳴海さんですが、その関係は突然、終わりを告げます。

「付き合っていた女性と別れた直後にスリップ事故を起こしちゃって……。やっぱりショックで、どこか運転が上の空になっていたんだろうね。誰も巻き込まなくて本当によかったよ」

プレリュードは後輪とその周辺を強打。さほど大きな外傷はなく、鳴海さん自身も怪我を負わなかったこともあって「被害の程度は軽く、すぐに直る」と考えていました。しかし持ち込んだ自動車修理工場にて、プレリュードのフロアは大きく歪んでいることが判明。店主より「修理は困難」と診断されてしまいます。

失恋が切っ掛けで購入したプレリュード。最後は失恋が切っ掛けで鳴海さんの元を去るという、少し皮肉な運命を辿りました。

【次ページに続きます】

周囲からの「似合わない」の声を押し切って選んだのは、三菱のFTO
失恋と廃車という二重の失意に見舞われた鳴海さん。これらから立ち直るため、次のクルマの購入を考えます。

「次はトヨタの『スープラ(北米仕様から通算で3代目)』を考えたんだ。(プレリュードと)同じリトラクタブルヘッドライトだしね。けれど友人たちが口をそろえたように「似合わないからやめておけ」と言うから、踏ん切りがつけられなくて……。それで中古車店相談したら、次のモデル(3代目)のプレリュードを勧められたんだ。程度もいいし、プレリュードには好感を持っていたから、すぐに購入を決めたよ」

3代目のプレリュードは、前輪の角度に合わせて後輪も操舵する『機械式四輪操舵装置(機械式4WS)』を、世界で最初に装備しました。

3代目のプレリュードは、前輪の角度に合わせて後輪も操舵する『機械式四輪操舵装置(機械式4WS)』を、世界で最初に装備しました。

先代プレリュード以上に、新しいプレリュード(形式“BA5”)はエンジンが気持ちよく回り、すぐに鳴海さんのお気に入りとなります。

またこの頃、オートバイに乗る友人が楽しそうに見えたため、鳴海さんもホンダの『VT250F』を購入。気の置けない友人と一緒にツーリングやキャンプに出かけ、オートバイのある生活を楽しみます。しかし町なかでの取り回しや使い勝手に不便を感じるようになったため、運転する機会が徐々に減少。自身もオートバイ仲間も多忙となり、ツーリングに行く機会が無くなったため、購入から3年ほどで売却します。

郊外の運転は楽しかったものの、高速道路(特に首都高速道路)の運転には恐怖を感じてしまい、極力、利用を避けたそう。

郊外の運転は楽しかったものの、高速道路(特に首都高速道路)の運転には恐怖を感じてしまい、極力、利用を避けたそう。

プレリュードに乗りはじめてから程なくして、鳴海さんはライティングプロダクション会社を退社。再びフリーランスとして活動を行います。

これまでプレリュードに故障といったトラブルはほとんど起こらなかったのですが、ある時期から不思議ともらい事故に見舞われるようになります。

「最初は交差点で停車していたら、後ろからタクシーが追突されたこと。もちろん俺に非はなく修理代金も全額支払われたから、それはそれでいいんだけど……。修理から帰ってきた直後、今度は前に止まっていたトラックがいきなりバックしてきてフロントが潰されたんだ。他にも修理する都度、大なり小なりのもらい事故が起こってね。プレリュードはいいクルマだし、まだ乗り続けるつもりだった。けれど巡り合わせというか、相性の悪い時期に入った気がしてね……。ちょうどクルマを探していた後輩がいたから、安く譲ることにしたよ」

もちろん後輩にはちゃんと事情を説明し、事態を納得した上で購入を決めてもらいました。ちなみに後輩は1年ほどプレリュードに乗り、その間、もらい事故は起きなかったそうです。

排気量2000ccのV6エンジンを搭載するFTO。今でこそ当たり前となったAT(オートマチックトランスミッション)のマニュアル操作モードは、FTOが最初でした。

排気量2000ccのV6エンジンを搭載するFTO。今でこそ当たり前となったAT(オートマチックトランスミッション)のマニュアル操作モードは、FTOが最初でした。

相性の悪くなったプレリュードを手放す以前から、鳴海さんには気になっていたクルマがありました。三菱のスポーツクーペ『FTO』です。

「FTOは好みのスタイルをしていたし、鮮やかなボディカラー(パッションレッド)も良い。スープラの時と同じように、回りからは『似合わない』って言われたけど、もうこの頃は『自分の乗りたい車に乗る』って吹っ切れていたから、思い切って買っちゃったよ」

気になっていた狭い室内も、購入後は「まるで戦闘機のコクピットのような格好良さ」と、とらえるようになります。V6エンジンの厚いトルクや乾いた排気音等、乗れば乗るほど深い懐を見せるFTOをすっかり気に入り、この後10年ほどステアリングを握り続けます。

【後編】へ続きます!

取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ゲーム雑誌の編集者からライターに転向し、自動車やゴルフ、自然科学等、多岐に渡るジャンルで活動する。またティーン向けノベルや児童書の執筆も手がける。

[scode_seraipage tag="私のクルマ遍歴" number="16" layout="1"]

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング