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木村草太の「あれ、どういうことなんだろう?」Vol.1 どこまでやったらアウトなの? 侮辱罪のよくわからないこと

集英社オンライン / 2022年5月16日 12時1分

私たちの日常は素朴な疑問に溢れている。多くの人はそれを突き詰めて考えずに、日々を淡々と過ごしていく。だが、東京都立大学法学部・木村草太教授(憲法専攻)は、それをよしとしない。森羅万象、日々の疑問を憲法と人権で因数分解していくとどうなるか。本コラムの試みは木村教授の思索の森である。1回目に取り上げるテーマは「侮辱罪」。SNSでは毎日誰かが誰かを罵倒しているが、あれはどこまでやると法的にアウトなのだろうか。

毎年、講義でひっかかる「侮辱罪」とは

日常生活のあちこちに、「ふと気になること」との出会いがある。たいていは「そのままスルー」となるのだが、いつまでも気になり続けているものの中には、ふと「新たな学問的論点」にたどり着くことがある。



本連載の担当者から、その「ふと気になること」を書き留める原稿を書いてほしい、との依頼を受けた。私自身では「新たな学問的論点」にたどり着けなかった「ふと気になること」でも、文字に残しておけば、共感してくれたり、新たな発見につなげたりしてくれる人がいるかもしれない。

そんなことを考えて、この連載を始めることにした。お付き合いいただければ幸いだ。

私は大学で、「情報法」という講義も担当することがある。「表現の自由」や「通信の秘密」といった憲法原則を論じた上で、名誉権やプライバシー権との調整、マスメディアの取材の自由や、放送法・電気通信事業法・プロバイダ責任制限法などについて解説する講義だ。ここで、毎年、ひっかかるのが「侮辱罪」(刑法231条)だ。

【刑法231条】
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

侮辱とは、侮辱的な価値判断を提示することを意味すると理解されている。大勢の人がいる前で、あるいは、ブログやSNSで、「○○はバカ」、「××は無能」と他人について言及すれば、形の上では侮辱罪が成立することになる。

ここでふと考える。たくさん人がいる場所で、すれ違いざまにちょっとぶつかりそうになっただけで、「バカ」と怒鳴りつけられた経験を持つ人は少なくないが、言ってきた相手を警察に突き出した人はそうそういないだろう。これは、「証拠がないから仕方ない」といえるかもしれない。でも、ネットが普及した今日、侮辱罪にあたる行為の記録はわんさか残っている。例えば、Twitterで「バカ」と「無能」で検索すれば、直近10分に限定したって、何百という事例が見つかるはずだ。なぜ、あのお行儀の悪い人たちは処罰を受けないのだ?

常識的に考えて、それらを片っ端から処罰するなんて、さすがにキリがない。いや、「キリがない」なんてレベルではなく、不可能だ。となると、裁判所には、「バカ」・「無能」といった侮辱的な表現の中から「違法なもの」だけをセレクトする基準があるはずだ。警察や検察も、それを基準に摘発例を選んでいるのだろう。

では、裁判所はどんな基準でセレクトしているのか? 判例集や判例データベースを検索してみたが、侮辱罪の有罪事案はほとんど出てこない。というわけで、「侮辱罪とは何なのか」について、釈然としない感を抱えながら、私は講義を続けてきた。

見直される侮辱罪の法定刑

そんななか、2021年秋、ネット上での誹謗中傷対策の一環として、侮辱罪の法定刑を見直す動きが始まった。現在、侮辱罪の法定刑は、拘留又は科料とされる。拘留とは「一日以上三十日未満」の身柄拘束(刑法16条)、科料は「千円以上一万円未満」の財産刑だ。

法務大臣の諮問機関である法制審議会で検討された結果、法定刑引き上げの方針が示された。2022年3月8日には、内閣が、侮辱罪の法定刑を引き上げる刑法改正案を国会に提出することを決めた。法定刑は、「一年以下の懲役もしくは禁錮、三十万円以下の罰金」となるという。

この審議会で示された資料に侮辱罪の実態、まさに私が知りたかったことが記されていたのだ。これを見ながら、いくつか気になったことを書き留めておこう。

まず、どのくらいの有罪事例があるのか。

【侮辱罪の科刑状況】

法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回(令和3年9月22日)資料2より
https://www.moj.go.jp/content/001356048.pdf

これを見ると、科料は年間20件前後、拘留刑はゼロ件。判例集には載らないものの、それなりに事件化されているようだ。

「顔も便器みたい」で有罪例

では、どんな事例で有罪とされているのか。法制審議会には、2020(令和2)年中の侮辱罪のみで第一審判決・略式命令のあった事例を紹介した資料が出されている。いくつか例を挙げてみよう(罵詈雑言が苦手な人は、読み飛ばしてください)。

【20(令和2)年中の侮辱罪のみでの有罪事例】

事例A(科料9000円):インターネット上の掲示板に「○○(被害者名) 顔も、便器みたいな顔、ブスでぺしゃんこ」、「○○(被害者名)ぶす女」、「しゃべる便器みたいな顔してるやつがいる」などと掲載したもの。

事例B(科料9900円):インターネット上の掲示板の「○○(被害者経営店舗名)って?」と題するスレッドに、「○○(被害者名)は自己中でワガママキチガイ」「いや違う○○(被害者名)は変質者じゃけ!」などと掲載したもの。

事例C(科料9000円):集合住宅の郵便受けに「自分の愚かさを正当化する為に悪どい手段を用いて敵意を持った相手を陥れるために議事録の偽造,捏造でっち上げ等々でなりふり構わず,自分本位の行動をする」、「理事長は,自分の欲望を満たす為,○○(被告人名)を悪人に仕立て上げ活動を防止させて,自分の手柄の為理事長の地位を悪用し組合財産(理事会運営費等)を個人利益に利用し○○(被告人名)を中傷するビラを撒き自慢し得意になる人間はいかがなものか考てみよう?」などと記載した文書を投函したもの。

事例D(科料9000円):路上において、被害者に対し、大声で「くそばばあが。死ね。」などと言ったもの。

(侮辱罪の事例集・令和2年中に侮辱罪のみにより第一審判決・略式命令のあった事例より)
法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回(令和3年9月22日)資料3より
https://www.moj.go.jp/content/001356049.pdf

これらを読んで気になったことを3つほど。

第一に、侮辱罪と名誉毀損罪の区分けがどうなっているのか、気がかりだ。

侮辱罪は「事実を摘示しない」場合に成立する。事実を摘示して名誉を毀損した場合には、より重い、名誉毀損罪(刑法230条)という別の犯罪になる。

毀損事例Cは、マンション管理組合の理事長が被害者になっているようだが、ここでは「議事録の偽造,捏造でっち上げ等々」と事実を摘示しており、むしろ名誉毀損罪の適用対象ではないか。これ以外にも、資料には事実摘示を含むように見えるものがいくつかあった。

正当な権力批判を萎縮させる恐れも

第二に、権力者への正当な批判を委縮させないかが心配だ。

首相や大臣、国会議員に対し「○○はバカ」、「××は無能」といった評論を行うことはありふれている。これは形式的には侮辱罪にあたる。言われた側は、さぞ不快だろうとも思う。

しかし、表現の自由(憲法21条1項)の理念からすれば、権力者への批判は自由であるべきだ(これこそが、表現の自由を保障した最初の目的ともいえる)。また、国民のどれくらいが権力者に好感を持っていて、どのくらいが反発しているのかを可視化することは、民主政治を進める上で重要な要素となる。権力者への論評が犯罪になるのは、明らかに不当だ。

この点、民事法での損害賠償請求では、「公正な論評の法理」が適用される。首相・大臣や国会議員の活動など、「公共の利害に関する事実」への論評は違法とは認めない、という法理だ。

一般に、刑罰は人々の権利を大きく侵害するものだから、謙抑的(けんよくてき)に用いられるべきとされる。民事法で違法性が阻却されるような表現を刑事法で罰するのは、バランスが悪い。法制審議会でも、公正な論評にあたるような行為は、正当行為(刑法35条)などとして、侮辱罪を成立させるべきでないという意見が出されている。おそらく、裁判所も、同じ判断をすると見てよいだろう。

ただ、ここで困ったことがある。公正な論評の法理は、あくまで「事実」を評価する文脈で使われる法理だ。例えば、首相の言動に関するニュースがあり、それを紹介しながら「こんなことをするなんて、○○はバカ」と言えば、その言動への評論であることは明らかだ。これに対し、首相のどんな言動について批判しているのかを説明せず、唐突に「○○はバカ、無能、邪悪」などと言った時、「公正な論評の法理により、違法性なし」と言い切れるのかは疑問が残る。

だったら、「大臣や国会議員は侮辱罪の対象から外す」という条文を加えてみてはどうか。しかし、例えば、女性議員のツイッターアカウントに対し、ひどいセクハラを含むリプライを送り付ける、といった嫌がらせもあるようだ。そうした例を考えると、一切合切対象から外すというのも躊躇される。それに、「国会議員なら、一方的でメチャクチャな人格非難でも全て我慢しなければならない」なんてことになったら、国会議員になろうとする人はいなくなるだろう。

文脈からは前提事実がわからない評論について、何を基準に罰すべきものとそうでないものとを区別すべきかは、いまだ明確な結論が見当たらない。判例の蓄積に期待するしかない面がある。

ネット上に溢れている侮辱は取り締まれるのか

第三に気になるのが、処罰の衡平性(こうへいせい)だ。

事例A~Dは、確かにひどい事例だ。「その表現もやむを得なかった」との評価につながるような事情(違法性阻却事由)も見当たらないように思う。だから、これらの事例で有罪の判断がなされたことに、特に問題は感じない。

ただ、この事例と同程度の侮辱は、ネット上にはあふれている。同じようなことをしているのに、ある人は罰せられ、ある人は捜査すらされない。これでは衡平に反するだろう。法制審議会で紹介された有罪事案との衡平を実現するためには、今とは桁違いの数の事例について、刑事手続きを進める必要がある。おそらく、警察・検察に専門部を置かなければならないだろう。裁判所の負担も想像を絶する。

そんな状況に対応する準備はできているのだろうか。もしできていないとすると、忙しさとか熱心さといった、担当者の主観的な事情によって、検挙するかどうかが左右されてしまう危険がある。場合によっては、被害者がどれだけうまくアピールできるかで決まる、なんてことにもなりかねない。

「あの事例では検挙してくれたのに、もっとひどい言葉を使ったこの事例は対応してくれなかった」

「同じような侮辱がたくさんあるのに、なんで自分だけが罰金30万円なのか」

そんな不満が蓄積すれば、侮辱罪の正統性が薄れてしまう。被害者に対して、「あなたが騒ぐから、こんな目にあったのだ」などと逆恨みする人も出てくるだろう。

「衡平でなくても、悪いことをしたのなら罰を受けるのは当然じゃないか」

「抜き打ちチェックをしていれば、全体として健全な方向に進むだろう」

という考え方もありうるのかもしれない。しかし私は、どうにもそれは受け入れがたい。社会をよくするために、一部の人が特別な不利益を受ける、なんてことはあってはならないのだ。

侮辱から人々を衡平に守るためには、警察・検察に多くの告訴に対応できる態勢が必要だ。とはいえ、それにも限界はあるから、処罰すべき「悪質な侮辱」をセレクトする作業をせざるを得ない。そして、何が「悪質な侮辱」なのかの基準が、私にはいまだに見えてこない。「告訴するぐらいに、被害者が怒っている」は基準となりえるだろうか? と考えるが、あまり適切とは思えない。我慢強い人が損をする社会なんて、やはり、あってはならない。

あれこれ考えた結果、もとの「侮辱罪がよくわからない」に戻ってきてしまったようだ。こうなると、「判例の積み重ね」を待って、そこから「悪質」の判断基準を抽出していくしかないように思える。衡平に運用されているかどうかは、数々の有罪事例を比較しないとわからない。裁判所や法務省は、侮辱罪に関する情報を積極的に公開していってほしい。


イラスト/カツヤマケイコ

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