花の82年組トップアイドル・北原佐和子「水着はワンピースしかやらないって、約束したんです。だけど……」

週プレNEWS / 2012年9月5日 13時0分

48歳とは思えぬ美貌とスタイルの北原佐和子さん。現在は女優業の傍ら、介護ヘルパーとして充実した毎日を過ごす

空前のアイドルブームに沸いた1980年代。その中でも最も光り輝いていたのが82年だ。多くの逸材がデビューし、いまだ語り継がれる黄金世代となった。

その82年組の中でも、さわやかなキャラクターと抜群のスタイルでグラビア界を席巻したのが北原佐和子さん。30年前とまったく変わらない美貌とスタイルを保つ彼女が、デビュー当時から現在までの道のりを、セキララに語り尽くしてくれた。

■アイドルから女優、そして介護士へ

―『ミスヤングジャンプ』でデビュー。水着に抵抗はなかった?

佐和子 すごくありました。最初の頃、マネジャーに「リトルグラマーだね」って言われたことがあって……。褒め言葉のつもりだったんでしょうけど、かなり傷つきました。多感な時期だったし。

―ふむふむ。

佐和子 実は、この仕事を始めるときに、水着はワンピースしかやらないって約束したんです。それなのに、グラビア初撮影の当日にマネジャーが「今回はビキニです」って。大人って簡単に裏切るんだなあって学びました(笑)。

―ハハハハ。で、グラビア活動と同時に、アイドルグループの「パンジー」を結成。

佐和子 ここらへんから私の勘違いが始まりました。私、当時の人気がずっと続くと思ってたんですよ。だけど人気はあっという間に引いていき……(笑)。でも、すごく不満だったのは歌のレッスンを全然受けられなかったこと。そういう苦しさが常にありましたね。

―だから、ちょいちょい音程を外したり、声が上ずったり。

佐和子 うん。それが自分でもわかってたからよけいにつらかった。それに加えて、極度に緊張しちゃうタイプなので、ステージに立つ前から足がガクガクなんです。

―へぇ~。ほかのアイドルもそんな感じだったんですか?

佐和子 うーん。そういう話は一切したことがないですね。新人賞レースとかで、だいたいみんなと一緒になるんですが、普通の話はしても心の中を明かすってことはお互いにしなかったです。やはり、心のどこかでライバルだっていう意識があったんでしょうね。

―同期で仲がよかったのは?

佐和子 その当時はいなかったけど、お互いに歌をやめてからは新井薫子ちゃんとか、プライベートでよく食事したりしましたね。







―当時の恋バナを教えて。共演者から口説かれたりとかは?

佐和子 全然なかったですよ。でも、誰と誰が付き合ってるとか、そういうのは微妙にわかっちゃうときもあったかな(笑)。

―じゃあ、薬丸裕英&石川秀美、布川敏和&つちやかおりカップルのことも当時からわかってた?

佐和子 そのふた組に関しては全然わかりませんでした(笑)。というのも、私は彼女たちより年齢がふたつくらい上なんですよ。10代の2歳差って大きいじゃないですか。だから一歩引いて、少しお姉さん目線でいたんでしょうね。

―あのキャピキャピした輪の中には、ちょっと入れないぞ、と。

佐和子 うん。楽屋では(三田)寛子と話すことが多かったかな。

―そして、82年3月、『マイ・ボーイフレンド』でソロデビュー。

佐和子 裏話になっちゃうんですけど、当初、デビュー曲になる予定だったのは、『パッとパンジー』というまったく別の曲だったんですよ。私はこちらのほうが断然思い入れがあって。でも、結局、選ばれたのは『マイ・ボーイフレンド』でした(笑)。

―デビュー曲がヒットしたので、さらに忙しくなったでしょ?

佐和子 そうですね。取材のときも私は一ヵ所に座っていて、目の前に座る人が15分ごとに次々と変わっていくだけ。しかも、聞かれることはだいたい同じだし(笑)。

―キャンペーンも相当やった?

佐和子 ええ。地方に行くときは、だいたい1泊2日でデパートを3軒くらい回って、その合間にレコード店を10軒くらい回るんです。

―ひょえ~、それはしんどい。

佐和子 でも、忙しいのはそれほど苦になりませんでした。それよりも、レコードが売れなくなって人気が少しずつ落ちていくのが、自分でもわかるようになってきたときのほうがつらかったかな。

―やめたいと思ったことは?

佐和子 もう数え切れないくらいあります(笑)。今だから暴露しますが、実は、歌を3年やってきて、ある日突然、事務所からこう宣告されました。「明日からマネジャーはつきません。すべて自分ひとりで行動してください」って。

―あららら。

佐和子 それまでは飛行機や新幹線はマネジャーがすべて手配をして、私はそこを通るだけという状況だったんです。それがこれからは自分で切符を買って、初めての土地でもひとりで行かなきゃいけない。もう、どうやって生きていったらいいか、全然わからなかったですよね。



―お気持ち、お察しします。

佐和子 でも、今になって思えば、それは人として成長するいい経験になりましたけどね。

―22歳のときに、デビューから5年間所属していた事務所をやめたのはなぜ?

佐和子 露出の多い仕事がしたくなかったから。そういうグラビアの仕事が多かったんですよ。それがすごくつらかったので。

―でも、その数年後には衝撃的なヌードを披露。何かが吹っ切れたんですか?

佐和子 ええ。事務所を移って、お芝居中心の仕事に専念していくなかで、25歳で写真集を出したんです。その頃から少し意識が変わってきて、27歳で脱いだときは、もうそういう呪縛にとらわれないでやれるっていう感じがあったので。

―その後は女優として活躍し、2004年には大ヒットした昼ドラの『牡丹(ぼたん)と薔薇(ばら)』にも出演。そして、女優業の傍ら、07年に「ヘルパー2級」の資格を取得されています。これはどうして?

佐和子 もともと若い頃から介護やボランティアに興味があったんです。それで20代のときに、ある障害を持っていらっしゃる方の生き方を目の当たりにしてから、「いつかは介護の仕事がしたい」という気持ちが強くなっていって、ヘルパー2級の資格を取ったんです。現在、もう5年半くらい介護の世界に携わっていますよ。

―へぇ~。

佐和子 介護って、ものすごく学ぶことが多いんです。特に、生き方について。これからの人生、どうやって生きていくべきなのか。その答えが介護のなかにあるような気がします。

―さて、女優&介護に充実した毎日を過ごしている佐和子さん。突然ですが、もうグラビアはやらないんですか?

佐和子 はい? 何ご冗談を(笑)。

―割と本気です。佐和子さんにその気があるなら、いくらでもページをご用意いたします。

佐和子 そこまで言ってくださるなら考えておきますよ。ただし、雑誌が売れなくても、私のせいにしないでくださいね(笑)。

(撮影/内山一也)

●北原佐和子(きたはら・さわこ)



抜群のスタイルで、グラビア界に旋風を巻き起こす。雨上がり決死隊の宮迫博之、ますだおかだの増田英彦も彼女の大ファンだったと公言。現在、ボランティア活動、「たったひとつの命だから」の朗読会も行なっている。9月3日(月)スタートの話題の昼ドラ『赤い糸の女』(東海テレビ)にレギュラー出演決定!



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