音楽プロデューサー・須藤晃が明かす真実「尾崎豊は反抗のカリスマなんかじゃない」

週プレNEWS / 2012年10月19日 13時0分

「ここ2年ぐらい、それまでにない数の若者から『尾崎豊の曲が好きだ』と書かれた手紙が届く」と語る須藤晃氏

没後20年を迎え、当時のファンだけでなく10代の若者にも熱く支持される尾崎豊。大盛況だった9月の回顧展をうけ、12月には1991年5月に横浜アリーナで行なわれた“伝説のライブ”の映画公開も決定した。“反抗のカリスマ”のイメージの強い尾崎豊の素顔について、デビュー時からのパートナーであった音楽プロデューサーの須藤晃氏が明かす。

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尾崎さんは世間でいわれるような「反抗のカリスマ」なんかじゃなかった。むしろ哲学者や思索者に近かったように思います。

とにかく「人はなぜ生まれてくるのか?」「自由ってどういうことなのか?」と、生き方についていつも真剣に自問していた。僕にもしょっちゅう食ってかかってきました。例えば、「人間は正しい答えを見つけるために生きているというけど、正しい答えなんてあるんですか?」と。それに対して僕は「ないと思う」って、とっさにそう返したんです。

半年ほどたったある日、彼はおもむろにこう切り出しました。

「答えは育むものなんです」

つまり答えというのは、自分が答えにしたいことを自らの手で作り上げていくものなんだと。思わず膝を叩きましたよ。ひと回りも年下の男に諭されるとはね。

尾崎さんは誰よりも深く物事を考えていました。彼が残したのは全部でたったの71曲ですが、だからこそ、その一曲一曲はとてつもなく濃くて、深い。

ここ2年ぐらいですか、僕のところに、それまでにない数の若者から「尾崎豊の曲が好きだ」と書かれた手紙が届くんです。また、今年4月に創作ノートを出したときにトークショーを開いたんですが、観客の半分が高校生でした。

いまは尾崎さんが生きていた当時とは比較にならないほど、世の中が複雑で、若者にとって生きづらい時代だと思うんですね。極端な話、一日中、誰とも言葉を交わさなくてもやり過ごせてしまう、閉じた人間関係が成立する時代でもある。だからこそ彼らは、生きることを問い続けた尾崎さんの歌の中に、あらためて自分が生きるヒントを求めているように思います。

もし尾崎さんが生きていたら……。国家的な災難で傷を負ったいまの日本は、みんなが心を強くしなきゃいけない。そのための歌を歌っていたと思います。無関心でいるはずがない。そんなことを考えると、生きていた頃以上に彼の存在を感じてなりませんね。

(取材・文/大野智己 河合桃子)

●須藤晃(すどう・あきら)



1952年生まれ。音楽プロデューサー。尾崎豊のデビュー時からのパートナーで、浜田省吾なども手がけた



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