風俗文化研究の第一人者・松沢呉一が解説する「風営法は“善良な市民”の不安をつぶすための法律だ」

週プレNEWS / 2012年10月24日 18時0分

風営法の規制強化は、コミュニティの崩壊した現代の社会に起因すると松沢氏は語る

ここ数年、目に見えて厳しくなっている警察によるクラブ摘発。そもそもクラブを取り締まるための“風営法”はいつできたのか? 風俗文化研究の第一人者である松沢呉一氏が、風営法と日本文化の“根深い”関係について解説する。

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風営法の歴史は古く、大正期に起こったダンスブームに対する規制に端を発します。具体的には、華族の息子がダンスホールで出会った町娘と駆け落ちし、息子の親が親しい警視総監に捜査を依頼したことが直接のキッカケです。これを契機にして最初のダンスホール規制が始まります。

背景には、ダンスホールが保守層にとって「いかがわしい場所」だったということがあります。見ず知らずの男と女が手を触れ合って踊るわけですから、そこでは恋愛も始まるし、セックスに至ることもある。そういった行動を含めて、舶来のダンスにうつつを抜かすのはけしからんということになった。

同時に「ワケがわからない怖い場所」でもあったということです。鹿鳴館の時代と違って、この頃になると、ジャズも入ってきてましたから、理解できない音楽で熱狂する人たちもまた理解できない。今でもネットを過剰に恐れる年配の人たちがいますが、感覚的にはそれと一緒だと思います。ゲームもそうですよね。自分が理解できないもの、楽しめないものがこの社会にあることが許せない。楽しいことなら楽しいことで、嫉妬が生ずる。危険なことなら危険なことで、社会にとって悪影響を及ぼす。だったら、つぶしてしまえと。

ここでしっかり見ておいたほうがいいのは、この時代でさえ、警察は自ら規制を始めたわけではなくて、要請があって初めて腰をあげているということです。警察を動かすのは時に政治家だったりするわけですけど、同時に国民の意識もまた警察を動かしている。警察だけを悪者にしても、問題は解決しない。

規制される対象を知る者からすればバカげた話なわけですが、これによっていよいよバカげたことが起きます。成人であっても、法律によって学生はダンスホールに立ち入ることができなくなり、百貨店でも従業員の立ち入りを禁止するようになる。結果、若い女性たちは行きづらい場所になります。

そうすると、男の客が単独で、あるいは男友達と行っても踊る相手がいない。そこで出てきたのがチケット制です。ダンスホールがダンサーを雇い入れて、客はチケットを買い、それをダンサーに渡して、一曲分躍ってもらう。こういうダンサーをタキシダンサーと呼びます。タキシはタクシーのことです。

当然男は口説こうとしますね。しかし、相手はプロですから、思わせぶりなことを言ってはチケットを稼ぐ。とは言え、彼女たちとしても、毎日通ってくれる客には悪いので、たまには食事でも行くかということになる。その時にバッグや服を買ってもらえば、一回くらいいいかというので、ホテルに行く者も出てくる。さらには金をもらえばいいかというのも出てくる。

こうしてカフェーの女給とともにダンサーは半私娼と呼ばれるようになります。規制がダンスホールを売春交渉の場にしたようなものです。

戦前は遊廓がありました。公娼ですね。それとは別に、東京で言えば亀戸、玉ノ井という私娼窟がありました。これらはもともと浅草が始まりで、警視庁は繰り返し一掃しようとするのですが、うまくいかず、関東大震災を契機に、一掃を諦めて、亀戸と玉ノ井に移転をさせて黙認に転じます。

それ以外の場所での売春は、密淫売と言って、取締対象でした。ダンスホールは規制によって売春交渉がなされる場になり、今度はそれをもってさらに規制を強める悪循環です。

カフェーの規制はダンスホールより少しあとのことになるのですが、客と外で会ってはいけないなど、あきらかに密淫売を防ぐ取締がなされています。

それが戦後の風営法につながっていくわけです。戦前は、ダンスホール、ダンス教習所、カフェー、キャバレー、遊技場などは各種の取締令で規制されていましたが、敗戦によって、これらが失効します。そこで、それらの取締令を引き継ぐ形で、1948年に「風俗営業取締法」が成立します。

内容は戦前よりはずっとゆるくなっていますが、基本的な考え方は変わっていない。たとえばクラブが該当する風営法のナイトクラブの営業面積は66平米となっています。20坪です。これがどこから来ているかと言えば、戦前の取締令なんです。社交ダンスをするにはそのくらいの広さが必要だということでしょう。それが現在のクラブを締め付けています。

よく60年も前の風営法でクラブが規制されているのはおかしいという言い方をする人たちがいますが、本当はもっと古くて80年くらい前に作られた基準だったりする。さらにさかのぼれば、90年くらい前に、息子の駆け落ちを許せなかったバカ親に起因する(笑)。

戦前の取締令から、戦後の風営法になった時に大きく変化したことがあります。戦後は公娼制度がなくなり、1958年に売春防止法が全面施行になるまで、売春そのものは違法ではありませんでした。したがって、ダンサーが売春しようが、カフェーの女給が売春しようが合法です。

厳密には管理売春を禁止する法律があったのですけど、ダンサーや女給は単純売春、つまり一対一でなされる売春ですから合法であり、合法であるものを予防するのはおかしな話です。そこで、善良な風俗を守るというのが法の目的となります。あいまいですね。

1959年の改正で、今度は「青少年に及ぼす悪影響を防止する」という目的が加わります。これは昭和20年代に若者の非行が社会問題になったことを受けてのもので、ダンスホールを舞台にした恐喝事件があったり、深夜喫茶に不良たちがたむろすることを規制するものでした。と同時に、不良を礼賛するような風潮を締め付ける意味もあったでしょう。筆頭は太陽族です。昭和30年、現都知事が芥川賞を受賞した小説から生まれた言葉です(笑)。

その後は84年、98年、2005年と幾度かの改正を経て、今に至ります。84年の改正はとくに大きくて、当時続々出てきたノーパン喫茶、ファッションヘルス、のぞき劇場などを規制するものであり、法律名も現在の「風俗営業適正化法」となります、また、1998年には無店舗型の性風俗店が認められます。デリバリーヘルス(デリヘル)です。

変遷はあるものの、俯瞰(ふかん)すると、いずれの時代でも風営法は警察や保守層にとっての“得体の知れない不安”を解消するための法律という側面があるのだと言えます。もちろん、すべての風俗業種がそうじゃないですが、そういう側面が見てとれる。

たとえばカラオケボックスだって、場合によってはセックスをする人たちがいるし、場合によってはドラッグの売買に使われている。聞くところによると、ヤクザもブツや金の受け渡しに使っているらしい。しかし、カラオケボックスは大人たちもみな利用していて、その実態がわかっています。自分も楽しんでいますから、ここは規制対象にならない。

しかし、自分の息子や娘が最近素行が悪く、成績も落ちている。どうやらクラブに行っているらしいとなると、途端にクラブが悪者に見えてくる。大正時代と一緒ですよ。自分の子どもの教育やしつけができない親に限って、原因を外に求める。そんなバカ親の頼もしい味方が風営法です。

古い法律だから無条件にいけないということはないのだし、風営法については、すでに見たように幾度も改正されていますから、昔のままというわけではありません。しかし、見直していいところもある。法律は時代に合わせて改正していいし、いらない条文はなくしていい。むしろ、そうしなければならないと言っていいでしょう。

かといって、私は一部にある「風営法全廃」なんてことを主張しようとは思わない。学校のすぐ横にストリップ劇場ができたり、図書館のすぐ横にパチンコ屋ができたり、家のすぐ横にキャバレーができたりするのはかなわんという人々の感情はもっともだと思います。

しかし、温泉地のような場所で、ストリップ劇場やソープランド、キャバクラが深夜までやっていてもなんら問題がないこともあるでしょう。それどころか、地元の人たちがそれを望んでいる場合があります。

震災で被害を受けた地域の観光地では24時間、性風俗店も、キャバレーも、クラブも営業して人を集めたっていいじゃないですか。しかし、現状の法律ではそういう融通も利かせられない。時代に合わせて改正することも必要だし、地域に合わせた条例を作れるようにもすべきだと思っています。

ところが、現実はまったく逆方向に動いています。性風俗に関していうと、04年に始まった歌舞伎町の浄化作戦で、違法な性風俗店は徹底的に摘発されました。キャバクラの営業も締め付けられた。その結果、歌舞伎町の飲み屋ビルは空き物件ばかりでガラガラです。ビルの所有会社が倒産したケースもある。性風俗店やキャバクラなどによって成立していた周辺産業までがつぶれていった。

また、性風俗はデリヘルが中心となったため、犯罪は悪質化した。当たり前ですけど、店舗型では客による犯罪は起きにくい。すぐに従業員が助けに入れて、犯人も捕まります。従業員同士による殺人や、経営者が従業員に殺されることはありますけど、風俗嬢が客に殺されることはほとんどない。数年前に吉原で起きた殺人事件は数十年に一回というような例かと思います。

しかし、無店舗型では、毎年のように殺されたり、殺されかかったりすることが起こっている。報道されていない事件はもっとあるでしょう。警察に通報されない小さな事件も多発している。その実態さえつかみにくくなっている。働く側にとってはリスクが高まってしまっている。結局“見えなくなった”だけの話なんです。

にもかかわらず、浄化作戦に端を発するグレーゾーンつぶしはとどまるところを知らず、ストリップ劇場やハプニングバーは公然わいせつで次々と摘発され、ラブホテルも風営法による規制が強まりました。

そして、数年前から、ガールズバーへの摘発が続いています。今までと違うのは、シートに同席しなくても、接待と見なされるようになったことです。カウンターであっても、ゲームをしたり、カラオケでタンバリンを叩くだけで接待とされて、風営法違反で摘発される。「リンゴ」「ゴリラ」としりとりをやっただけでも接待になりかねない。

ガールズバーの摘発が大きく報道されるのは、中高生を雇っていたといった派手なケースが多いので気づきにくいのですが、カウンター越しの接待が摘発されることが恒常化しています。

よく「カウンターの店は接待にならない」と言われますが、これは誤解です。カウンター越しでも接待になるという基準は、半世紀前から警察庁が出して、今までその基準を運用していなかっただけです。しかし、そこに踏み込んだ以上、今後はスナックも摘発されていくかもしれない。そうなったらゴールデン街も二丁目も存続できない。

一般的にはあまり話題にはなっていませんが、ゲイ向けのハッテン場も昨年公然わいせつで摘発されていますし、今年になって、二丁目のニューハーフクラブもゲイバーも摘発されています。今までこっち方面は社会に大きな影響を与えない存在として、わりと警察は甘かったのですけど、もうそういう時代ではない。警察はゲイやニューハーフを差別しなくなったとも言えるわけですが。

この問題は本当に根深い。私も執筆している磯部涼編著『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)で宮台真司氏が語っているように、今までのコミュニティに属さない「新住民」たちがこういう動きを支えています。見たくないものを消そうとし、自分の責任を社会に転嫁して、何かあるとすぐに法を持ち出して警察に通報する。

新住民の存在が社会を息苦しくしているのは間違いないことなのだけど、よーく考えるとわかるように、都市部に住んでいる人の多くは新住民なのです。インターネットの利用者を見てもよくわかります。「これは違法じゃね」として、すぐに通報をする。マンションの階上でうるさい音を出していると、自分で文句を言いに行くのでなく、大家や管理人に言うのでもなく、いきなり110番に電話をする。

今までだったら、コミュニティの中で話し合いで解決を模索してきました。説得したり、調整したり、懐柔したり。それ以前に顔が見えている相手であれば我慢をするとか、気にしないということができました。しかし、今はそういった緩衝装置が消えている。

コミュニティが壊れた社会では、共通する唯一のルールは法律になり、何もかも警察に解決を依頼する。必然的に警察の力が増していきます。

このような市民の登場が警察の内部で大きくなっている浄化への情熱と合体して、この間の動きになっています。警察が何かすると、すぐに「利権だろ」と見なしがちですが、この10年の動きはどうもそれだけでは解釈ができそうにない。

これに対抗するには法改正以外ないというのが私の結論ですが、正直、法改正はそう簡単には実現しないでしょう。おそらく多くのクラブ利用者は、風営法をクリアし、興行場法もクリアできる大バコに流れていくだけだと思います。なぜなら、クラブにもコミュニティがないから。

Twitterを見ていても、なじんでいたハコが摘発されたとなると、「次はどこに行こう」とツイートしています。「おいおい、そんなに身軽でいいのか」と思うのですが、その程度しかハコへの執着はないのです。

1960年代、70年代には文化の場にもコミュニティが存在していました。音楽であれ、芝居であれ、アートであれ、ミニコミであれ、既存の血縁・地縁に対抗するコミュニティがあって、それが母体になって時に政治化もしました。

先ごろ、ミュージシャンのサエキけんぞう氏とも話していたことなのですが、おそらく1980年代にそのコミュニティは完全に崩壊して、個に分散しました。クラブでは最初からコミュニティは存在しなかったというのがサエキさんの見方です。バラバラの個人がそこにたまたま集まっているだけ。

かといって、かつてのような強いコミュニティを復活できるかと言えばできないでしょう。その代わりに、インターネットを使って、生身の人と人のコミュニティではない新たなコミュニティを我々は作れるのかどうか。あるいは、バラバラの個人が集まったオキュパイ運動のようなもの、反原発運動のようなものをさらに深化させていくことができるのか。

そこまでの議論がなかなか起きてこないのですが、この問題はたかがひとつの法律についての改正にとどまらない広がりがあります。だから難しい。しかし、だから面白いのです。

(構成/九龍ジョー)



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