原宿カルチャーを作った伝説の暴走族チームとは?

週プレNEWS / 2013年4月2日 12時0分

「クールスがいなければ、今の原宿カルチャーはなかった」と語る遠藤夏輝氏

1970年代の東京・原宿には、歴史に名を残すふたつのバイカーチームが存在した。デビュー前の俳優・舘(たち)ひろしと岩城滉一が中心となって結成した“クールス”と、そんな彼らに憧れた男がつくった“バッド・エンジェルス”だ。

そしてその男こそ、当時の人間模様を題材にした『原宿バッド・エンジェルス』の著者・遠藤夏輝(なつき)氏である。

―遠藤さんは“バッド”を結成する前、暴走族チームの“ルート20カークラブ”のリーダーだったんですよね。どんなチームでした?

「800人以上のメンバーがいましたが、ただ単純に走りが好きな仲間が集まっていただけですよ。土曜日の夜は集会で走って、日曜日の午後は渋谷のパルコ前に集まっていました。当時から人気スポットで、かわいい女のコが多かったんです。ただタマって、ほかのチームのヤツらと話す。ナンパしたいヤツはする。そんな感じです(笑)」

―イメージと違います!

「暴走族って、基本的に目立ちたがり屋だったんです。だから、反対に目立っているヤツを敵視する。あるとき、後輩から『原宿に生意気なチームがいる』と聞いたんで、じゃあ、潰しにいくかって、300人ほどで原宿に向かったんです。そのチームこそ、クールスでした」

―おお!

「彼らは20人にも満たないチームで、潰そうと思えば簡単に潰すことができました。でも……ひと言で表現すると、カッコよかったんですよね。クールスは全員が真っ黒に塗られた大型バイクにまたがり、ファッションもブラックで統一していた。ガキだった自分らと違い、そこには“大人の不良”がいたんです。すっかり魅了された俺は、引退を決意して、彼らの弟分になる、赤をシンボルカラーにした新チーム“バッド・エンジェルス”を結成しました」

―そこまで遠藤さんを虜(とりこ)にした舘さんと岩城さんは、当時どんな方だったんですか?

「バッドをつくってちゃんと顔合わせをしたとき、舘さんの眼光の鋭さに思わず直立不動になってしまって(笑)。ものすごい威圧感があった。でも、一度懐に飛び込むと、面倒見がよくて優しい。それは岩城さんも一緒です」

―その後、バッドは原宿を拠点にするようになり、同時期に街も大きく変わっていったとか。

「俺たちは表参道にあった喫茶店『カフェ・ド・ロペ』を拠点にしていたんですが、とにかく目立っていました。俺たちがいると、店の前に人だかりができるんです。その後、いろんな暴走族チームも表参道に来るようになり、ギャラリーはドンドン増えていった。すると、そのギャラリー目当てに金持ちがスーパーカーで乗りつけてくる。今度はそれを撮ろうとカメラ小僧まで集まってきて……。表参道って、俺たちがタムロする1年前は閑散としていた。夜8時過ぎには人がいなくなったほど。それがウソのように、道は大渋滞、歩道からは人があふれるようになった。そのため、行政も動かざるを得なくなったんでしょう」

―表参道にホコ天が誕生したんですよね。

「暴走族を締め出すには、その方法しかなかったのかもしれません。でも、そこから竹の子族やローラー族が生まれ、バンドブームにまで派生していった。俺は、こう思うんです。クールスがいなければ、今の原宿カルチャーはなかったんじゃないかって。彼らがいなければ、バッド・エンジェルスは誕生してませんし、きっとホコ天が生まれることはなかったでしょうから」

(構成/高篠友一 撮影/高橋定敬)

●遠藤夏輝(えんどう・なつき)




1955年生まれ、千葉県館山市出身。バッド・エンジェルス解散後、ライター、脚本家として活動。近著にクールス誕生秘話を描いた『原宿ブルースカイヘブン』(双葉文庫)がある

■『原宿バッド・エンジェルス』




双葉社 1470円




舘ひろしと岩城滉一らが結成した“クールス”に憧れ、東京・表参道に真っ赤なバイカーチーム“バッド・エンジェルス”が誕生。そのリーダーだった遠藤氏が振り返る、アツすぎる青春小説!




 

週プレNEWS

トピックスRSS

ランキング