“日本のビーナス”孤高の仏像・百済観音はどのように作られたのか?

週プレNEWS / 2013年4月9日 6時0分

「百済観音はフランス・ルーブル博物館で展示されたときは、“日本のビーナス”とヨーロッパ中でもてはやされました」と語る関裕二氏

「百済観音の前に立った刹那(せつな)、深淵をさまようような不思議な旋律がよみがえってくる」(亀井勝一郎『大和(やまと)古寺風物誌』)。「その指先に、ほのかな官能を感じてくる。そうして、肉づきといったものをほとんど感じさせない痩せた長身の胸のあたりからも、かすかな息づかいをきく思いがしてくる。透明な肉感の匂い―といったものだろうか」(伊藤桂一『私の古寺巡礼 三』)。

明治以降、多くの文人を魅了してきた奈良・法隆寺の百済観音。だが、これだけ素晴らしい仏像なのに来歴も出自もわからない。様式も限りなく異端で、後世にもこれをまねたものは見当たらない。孤高の仏像なのである。百済観音はいったいどのような経緯で作られたのだろうか?

独自の解釈で古代史の真実に迫ってきた歴史作家・関裕二氏が、『百済(くだら)観音と物部(もののべ)氏の秘密』で空前絶後の仏像の真実に迫る。

「一般的な仏像は六頭身ですが、百済観音は八頭身。こんな仏像はほかにないのに、奇をてらったようには見えない。破綻しておらず、とても美しい。おまけに、正面から見ると寸胴(ずんどう)で変化がないのに、真横から見るとしなを作っているようなきれいなS字ラインが出るんですよね。人間を写実的に写したのではなく、理想の彫刻を考えてデフォルメしている。15年ほど前、フランス・ルーブル博物館で展示されたときは、“日本のビーナス”とヨーロッパ中でもてはやされました。そんな仏像を、日本人は仏教美術が入ってきて100年もたってない頃に作ってるんですよ。

―そんなふうに多くの人を感動させてきた仏像なのに、百済観音は謎に包まれています。

「制作されたのは1350年ほど前とされていますが、江戸時代まで法隆寺の記録に残っていません。また、日本の木を使って作られているのに、『百済』観音と呼ばれている。百済は朝鮮半島にあった国の名前です。それから、なぜこんな斬新なプロポーションの仏像が突然作られたのか。誰かモデルはいるのではないか―。こんなことがいわれてきました。

私が注目したのは、日本の仏像なのに『百済』と呼ばれている点です。そこを調べているうちに見えてきたのが、古代最大の氏族・物部氏の存在でした。法隆寺は、物部氏と激しく争った蘇我(そが)系の皇族・聖徳太子が作った寺なのですが、実は……」

―その先は本を読んでのお楽しみということで。関さんといえば、物部氏は吉備(きび・岡山県)に拠点があった氏族では、という大胆な仮説を立てていらっしゃいます。

「大和に古墳文化を持ってきたのが吉備の勢力だということはわかっています。彼らは5世紀半ばには天皇家に匹敵する古墳を造っているんですが、彼らが何者であったかはまだわかっていない。歴史の教科書でも、まるでいなかったかのように扱われていない。古代の有力な氏族に蘇我氏と物部氏がいますが、蘇我氏は出雲(いずも)との間に多くの共通点と接点を持っています。もし、物部氏が吉備をルーツとする氏族だとしたら、蘇我と物部の対立は日本海側と瀬戸内海側、ふたつの流通ルートのせめぎ合いだった可能性も出てきます」

―アカデミズムでこのようなことは議論されているのですか。

「あまりないですね。そもそも、出雲に力を持った勢力があるということがわかってきたのが約20年ほど前で、学会はこの成果を研究に生かせてない。タコツボ化してしまっているんですね。だから、物部のルーツにしても、百済観音と物部の関係についても、学会に所属していない私から魅力的な説を唱えていきたいと思っています」

(撮影/高橋定敬)

●関 裕二(せき・ゆうじ)




1959年生まれ。歴史作家。若い頃から奈良に通い詰め、独学で古代史を学び、古代をテーマに意欲的に執筆する。著書に『古事記の禁忌 天皇の正体』(新潮文庫)などがある

■『百済(くだら)観音と物部(もののべ)氏の秘密』




角川学芸出版 1680円




表紙に出ているのが百済観音。抽象化された体躯は仏像の中でも稀有なもの。この美しい仏様はどのようにして作られたのか。文献と作品研究から明かしていく









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