若きルポライター・藤野眞功が描く“異境に生きる人間たち”

週プレNEWS / 2013年8月20日 6時0分

「こじきも売人もギャングもみんなどこか僕らに似ている」と語る藤野眞功氏

アムステルダムの老こじき、フランス外国人部隊日本兵士、NYの売人、フィリピン監獄ギャング―。異境に生きる人間たちを独自の乾いた視点で描く、若きルポライター・藤野眞功氏による異色の短編集が『アムステルダムの笛吹き』だ。藤野氏に聞いた。

―本の冒頭に〈本書には六篇のルポルタージュと六篇の小説が収められている〉と書かれてあります。しかしどれがルポでどれが小説かはわからない。これはあえてそうしているわけでしょうか?

「読者と一緒に『フィクションとノンフィクションの違い』について考えたかったので、今回の構成をとりました。本の帯には『ルポルタージュと小説のボーダーを跳び越える』とありますが、これには説明が必要かもしれません。『ノンフィクション』は特殊なジャンルで、最低限のルールが存在します。ところが、それらのルールは文字のなかでは非常に見えにくい。ひょっとすると読者は『ノンフィクション』だとうたっている『小説』を読まされている可能性もある。だから、その違いについて、一度立ち止まって考えてみたい。個別の作品ごとにジャンルを明示しなかったのは、そんな理由からです」

―多くの作品で藤野さん自身が“フジノ”として登場し、主人公たちに深く関わります。こじきのタウノをミュージシャンに仕立て、不良ラテン青年・リカルドを自宅に住まわせ、売人エズラとコークを吸い、フィリピン監獄では自ら金を出し、ギャング同士のバスケ対抗戦を敢行する……。

「小説の中で使われている『フジノ』は、著者の『藤野眞功』ではありません。『ノンフィクションと物語』の関係を問い直すための手段のひとつとして、私小説的な形式を選びました」

―12本の作品には、どれも強い物語性がありますね。

「『ノンフィクションにおける物語性』を『わざと物語を作っている』ととらえる方もいますが、どうでしょう。例えば、僕が金を出したことに触れずに『監獄バスケ試合』について書いたなら、それは『作られた物語』です。しかし、空気のような中立を装うのではなく、物事を見ている僕の視線と、その視線にどうしようもなくゆがみがあることを隠したりしなければ……ルポでも小説でもそこは誠実でありたい。それを読者に隠したり、曖昧にすることこそが、無理に“物語化”していることだと思うからです」




―ただ、悪くズルくどこか切ない不良や悪漢たち、ヤツらを憎み切れないフジノが織りなす“異境の青春/凄春(せいしゅん)・藤野ワールド”にハマったら、正直、ルポか小説かはどうでもよくなったというか……。

「それもうれしいですね。この本は奇人変人のサンプル集と誤解されがちなんですが、そんなことはありません。日本の街中を歩いている人たちと彼らの人生に本質的なダイナミズムの差はないはずです。こじきも売人もギャングもみんなどこか僕らに似ている。ただ少し過剰なだけで」

―「アフガニスタンから帰りたくなかった」と語るフランス外国人部隊兵士・結城健司も実は恋人からの手紙を大事に持っていました。

「僕がいままで取材したなかにイカれた変人なんてひとりもいませんでした。人間離れした怪物なんてのもいない。人間が人間から離れられるわけがないんです。けれどその一方で、人と人がそんなに深くわかり合えるとも思いません。人間の心がひとつに解け合うなんて不可能、それこそフィクションですよ。これからどれだけ異境の世界を書こうとも、ルポでも小説でも、そんな人間のリアリズムだけは保って書いていきたい」

(構成/藤井良樹 撮影/高橋定敬)

●藤野眞功(ふじの・みさを)




1981年生まれ。作家、ルポライター。ノンフィクションに『バタス 刑務所の掟』、写真インタビュー集に『SHOOT ON SIGHT 最前線の報道カメラマン』、小説に『憂国始末』『犠牲にあらず』がある。本書は著者初の短編集となる

■『アムステルダムの笛吹き』




中央公論新社 1785円




表題作のほか、外国人部隊の兵士を描く『僕らは戦場を知らない』、フィリピン監獄が舞台の『闇の籠球』、日本薬物事情報告『麻薬取締官の憂鬱』などの、ルポと小説、異境と望郷、悪と悲しみが混在する、12篇の異色短編集




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