JAXA・森田泰弘「イプシロンの名前は……実は、飲みながら決めました(笑)」

週プレNEWS / 2013年8月27日 6時0分

固体ロケットの歴史を守った“イトカワ”の孫弟子、JAXA森田泰弘氏が「イプシロン」への思いを語る!

M-V廃止の無念を胸に秘め、固体ロケットの伝統をつなぐべくイプシロンを誕生させたJAXA・森田泰弘プロジェクトマネージャ(以下、PM)。打ち上げ前の多忙な時期でありながら、本当に楽しそうな笑顔で、イプシロンにかける思いをたっぷり語ってくれた!

■アポロ方式からイプシロン方式へ

―今日はコアな宇宙ファン以外の人も、8月27日の打ち上げをより楽しめるようなお話を伺えればと思っています。まず、PMというのは、いったいどんな仕事なんですか?

森田 ロケットの開発責任者です。野球でたとえるなら、技術者や設計者など多くの選手がいるなかで、僕の役割は「監督」ですね。

―チームの規模は?

森田 部分的に関わっている人も含め、JAXA内部で100人くらい。メーカーさんも入れると、全部合わせて400人から500人くらいじゃないでしょうか。

―日本の固体ロケットは「イトカワ精神を受け継いでいる」とよくいわれます。1955年に日本初の「ペンシルロケット」の水平発射実験を行なうなど、日本の宇宙開発の父と呼ばれる故・糸川英夫博士の“精神”って、どういうものなんですか?

森田 ひと言で言うと「フロンティアスピリット」です。世界で誰もやっていないこと、かつ未来を切り拓くようなことをやりなさい、と。実際、固体ロケットは日本の宇宙開発史において、節目ごとに重要な成果を上げています。

70年に日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたL(ラムダ)-4Sロケット。85年に日本で初めて重力圏を突破し、ハレー彗星探査に参加した探査機「さきがけ」「すいせい」を打ち上げたM(ミュー)-3SIIロケット。世界初の小惑星サンプルリターンミッションに成功した探査機「はやぶさ」を、2003年に打ち上げたM-Vロケット……。常にチャンスで打順が回り、見事にホームランを打ってきたんです。

―ハレー彗星探査のとき、森田先生は東京大学大学院の学生だったんですよね。

森田 「ロケットをつくっているけど、何かやらないか?」と言われて、M-3SIIの制御が修士論文のテーマになりました。学生にロケット開発をやらせるなんて、アメリカから技術ライセンスを買ってきた液体ロケットではあり得ない話。ゼロから日本でやっている固体ロケットならではですね。このとき僕の指導教官だった秋葉鐐二郎(りょうじろう)先生は、糸川博士から最初に「ロケットをつくれ」と言われた一番弟子です。つまり糸川博士から数えると、僕は直系の孫弟子ということになります。




―しかし、その固体ロケットの系譜も、森田先生がプロジェクトマネージャを務めていたM-Vが予算などの問題を理由に廃止された06年に、いったん途切れかけてしまいました。

森田 廃止が決まった時点では、次の固体ロケットの開発予定はまったくの白紙。イプシロンの開発が国の宇宙開発委員会に認められたのは2010年ですから、07年、08年、09年の3年間は先の約束もないまま、ただただ研究するばかりの日々でした。

―3年間を支えたモチベーションはなんだったんですか?

森田 自分たちがしっかりしないと、日本の固体ロケットが滅亡してしまうというプレッシャーはもちろんありました。でも実はその一方で、何か新しいことができそうな予感もあったんです。M-Vはあまりにも完成度が高く、固体ロケットの分野では世界一の性能を持っていただけに、現役中に新しいことをやるのは難しかった。M-Vが不本意ながら影も形もなくなってしまったからこそ、イプシロンのような革命的なロケットができたと思っています。

―性能面では世界一のM-Vから、革命的なイプシロンへ。このあたりを、もう少し詳しく説明していただけませんか。

森田 従来はロケット開発といえば大型化、軌道投入精度の高性能化といった点だけに特化されてきました。M-Vは、いうなればレーシングカーです。性能は素晴らしいけれど、すごく手間も人手もかかるし、値段も高い。でも、これからの世の中はもっと宇宙を身近にして、いろんな人に挑戦してもらわないとロケット開発は成立しません。「この巨大システムを放っておいたら、絶対に恐竜と同じ運命だな」と、以前からうすうす感じていました。

その点、イプシロンはレーシングカーと乗用車の中間というイメージです。性能面でレーシングカーに近いポテンシャルを保ちつつ、コストや使いやすさは乗用車。非常にいいマシンになりつつあるという手応えがあります。

―その象徴が、打ち上げ管制をPC2台、わずか数人で行なう「モバイル管制」ですね。

森田 原理的には1台でできるんですが、ひとつ壊れても大丈夫なように2台置いています。アポロの時代からずっと、ロケット打ち上げは世界中どこでも同じように長期間にわたり、大人数をかけ、大きな設備を使っていたわけですが、管制をはじめとする打ち上げシステムを変革したイプシロンは、従来とはケタ違いの少人数、短時間で打ち上げられる。われわれはこれを「アポロ方式からイプシロン方式へ」と言っています。

将来的には、ロケットは飛行機くらい手軽になってくれないと困るんですよ。戻ってきた後、すぐに飛んでいくためには、ロケットの点検や打ち上げのシステムを、時間も人手もコンパクトにする必要がある。イプシロンのモバイル管制や、人工知能による自律点検は、未来のロケットに絶対必要な技術なんです。

―まさにイトカワ精神! でも、それほどの変革となると、当初は反対の声も多かったんじゃないかと思いますが……。

森田 実は一番逆風が強かったのがJAXA内部で、特に打ち上げ作業の人数を減らすことに対しては、「オレたちの仕事はどうするんだ?」と。でも、ロケットの世界は今変わろうとしていて、打ち上げの人手がいらなくなる代わり、もっと別の次元で仕事が生まれている。例えばロケットのつくり方のシステムの変革、また新たなコンセプトの研究……。そういう仕事は絶対に必要だし、これまでロケット開発をやってきた人しかできない。そういう理解を少しずつ浸透させていきました。

―イプシロンは今回の初号機に続いて15年に2号機、そして17年頃にはさらに低コスト化&高性能化を進めた改良版を打ち上げ予定とのことですが、その先も継続的に活躍するには、国内外から人工衛星打ち上げミッションを受注しないといけませんよね。

森田 そうなんです。先ほどの乗用車のたとえに通じるんですが、イプシロンは打ち上げ時の振動を抑えたり、すべての衛星に共通する機能を標準化して搭載したりと、ユーザーにとって使いやすいシステムを目指しました。

ひとつ想定しているのは、まだ自前の衛星を持っていないアジアやアフリカの国々です。宇宙から地上をいろんな波長のカメラで撮ると、効率的な農地の使い方もわかりますし、もちろん天気予報や災害監視にも必要なので、彼らも衛星は欲しい。でも自国で打ち上げるのは難しい。そういうニーズに、イプシロンのシステムはバッチリ合うと考えています。

―なるほど。その第一歩となる今回の打ち上げ、本当に楽しみです! 最後に、いろいろなところで質問されては口を濁されているイプシロンの名前の由来ですが……。

森田 固体ロケットの伝統としてギリシャ文字(「E(イプシロン)」)を使ったことと、Evolution(改革、革命)という思いを込めている……というところまでです、今言えるのは。そこから先は打ち上げ後の記者会見で(笑)。

―名づけ親は森田先生ですか?

森田 正確に言うと、糸川先生の弟子でJAXA名誉教授の的川泰宣(まとがわやすのり)先生と僕が、酒を飲みながら決めちゃいました(笑)。実はつい先日も的川先生と飲んだんですが、その席で先生はこんなことを言っていました。「大事なことは、そうやって酒飲みながら決めるんだよな。会議でみんなを集めて『さあ、いい考えはないか?』なんて聞いたって、ロクな答えは出ないよな」と。僕も「そうですね~」なんて言って、そんな結論でお開きになったんですけどね(笑)。

(インタビュー撮影/高橋定敬 写真提供/JAXA)

●森田泰弘(もりた・やすひろ)




1958年生まれ、東京都出身。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。文部省宇宙科学研究所(現JAXA)でM-Vロケット開発を主導。2003年7月から宇宙科学研究所教授。同年10月からM-VロケットのPMとして打ち上げを指揮。現在はイプシロンロケットのPM。デスクに阪神グッズを置くタイガースファン

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