鬼才・ホドロフスキーが、未完のSF大作『DUNE デューン』と23年ぶりの新作映画に込めた”宇宙と人間”の可能性を語る

週プレNEWS / 2014年7月11日 23時0分

インタビューに答えるホドロフスキー氏。85歳になった今も精力的な活動を続ける

アレハンドロ・ホドロフスキー。その名を聞いてピンときた人は、かなりのサブカル通に違いない。あるいは映画『エル・トポ』(1970年)の監督といえば、どうだろう。この作品はカルトムービーの先駆けと呼ばれ、ジョン・レノンや寺山修司が絶賛したことでも知られる。当時のヒッピー文化を背景にした、崇高にして珍奇な(!)ガンマン映画の原作・脚本・監督・主演を務めていたのが彼だった。

ホドロフスキーの表現手段は幅広い。映画、演劇、現代詩、バンド・デシネ(フランス語圏の漫画)の原作、セラピストなどジャンルを超えて活躍する現代の鬼才である。6月から7月にかけて、彼自身を取り上げたドキュメンタリー映画と新作映画が2本続けて上映されることになり、御年85歳(!)になる本人がプロモーションのため来日を果たした。

■ドキュメンタリー映画と新作映画が2本続けて上映

公開作の一本は『ホドロフスキーのDUNE』。ホドロフスキーが、SF作家フランク・ハーバードのヒット小説『デューン/砂の惑星』の映画化に挑んだ1975年の日々を振り返るドキュメンタリー(監督はフランク・パヴィッチ)。壮大なSF映画の制作に奔走したホドロフスキーの姿に胸が躍る作品に仕上がっている。

芸術家サルバトール・ダリやミック・ジャガーをキャスティングし、音楽にはピンク・フロイドを起用するという豪華さ。絵コンテ付きの台本を仕上げるまでに至るも、映画会社との意向が合わず、『DUNE』はお蔵入り。幻の映画となってしまう。

もう一本は、23年ぶりに監督を務めた映画『リアリティのダンス』。こちらはホドロフスキーの自伝的作品である。我が息子を亡き父の再来と決めて溺愛している母親、ユダヤ系ロシア人でありながらスターリンのような暴君を信奉する父親。そんな家庭環境の中で成長していく息子アレハンドロ。ホドロフスキー本人が生まれ育ったチリの田舎町トコピージャを舞台に家族の再生の物語が描かれる……。

ホドロフスキーはインタビューで、この2本の映画のこと、そして宇宙の意志と合体することの大切さを語る。彼は、宇宙の分子としての人間のさらなる可能性を追求している。

■『DUNE』が完成していたら、伝えたかったこと

――未完のままのSF映画『DUNE』についてお聞きします。原作をもとにあなたが脚本を書きましたが、人間を本来的に自由にさせる香料メランジをめぐって支配的な帝国と自由を求める戦士との闘いが描かれています。もし映画が完成していたら、どのようなメッセージを訴えたかったのでしょう?

「ラストシーンでは、私の息子が演じるはずだった少年ポールが殺されますが、彼の内なる声が多くの人たちに伝わって集合体となるのです。それは宇宙の意志でもあります。個性というのはひとつの幻想でね、私たちは集合体の中のひとつです。しかし同時に家族の、社会の、文化の産物でもあります。そこから自我というものが生まれていきますが、私たちは『我』という制約から離れなければなりません。私たちはもう一度文化を見直し、偏見を取り除き、歴史に対する視点を変えるべきです。何故か? 今の歴史の視点とは戦争の歴史であり、経済も政治も国家もみな戦争から始まっているからです。そうではなくて、私達は平和の文化に変えなければいけない。それを伝えようとしたでしょう」

――久しぶりの監督映画と同タイトルの自叙伝『リアリティのダンス』(文遊社)も読みましたが、とても刺激的でした。監督はこの本で“人類にとっての目的は何か? 宇宙の全体を知り、宇宙の意識になること”と書いていますね。

「私は宇宙も目的があると思うのです。物質のまったくない状態から物資が出来上がり、そのいろいろな物質から宇宙が誕生しました。そしてその物質が私たちの意識を作ったわけです。貴方も私も何かであり、非個人的な存在です。私たちの目的というのは、私たち全体の意識、つまり宇宙についての意識を共有することです。そのためにも宇宙と同じくらい長く生きないとね(笑)。そうなると不死というものを発見しないといけませんが、人間は不死でいられるという希望を私は持っていますよ!」

■人生はゲーム。だから私は死ぬまでプレイをする

――心の病を持った患者さんに対して、サイコマジックと呼ばれるセラピーも実際に行なっていますね。患者さんの家族関係の問題点を過去に遡(さかのぼ)って探し、それぞれに異なる克服法を伝授していくという実例が自叙伝に書かれていました。人間の心の傷は第一に家族関係にあると考えてらっしゃるようで、映画『リアリティのダンス』も同じテーマを軸にしているように感じます。

「その通りです。映画の中では、虐(しいた)げられてきた女性である母親が最終的に『知』になります。非人間的だった父親が『人間』になります。そして長らく父親から愛されていないと感じていた息子も、最後に父親や母親を見つけることができます。この映画もそうだし、私の自叙伝もそう。私は自分の辛い子供時代から解放されるためにふたつの作品を作ったようなものです」

――ただ、とてもシリアスな話でありながら、映画の所々にユーモラスなシーンがあって救われますね。例えば、かつてオペラ歌手を目指していた母親は台詞をオペラ風に歌うとか。あるいは指導者の暗殺を狙って父親が向かった場所が、犬のコスプレ大会の会場だったり。監督にとってユーモアは大事なものですか?

「ユーモアがあってホッとするというよりも、人生は私にとって一大ユーモアだと思っています。そして人生はゲームだと思っています。だから私は死ぬまでプレイをします。でもあなたの国の禅僧には、逆立ちをしながら死んでいった人もいるんですよ(笑)。私の中では悲劇もユーモアです。ユーモアがないと、私たちはもっとひどいことになってしまう。ユーモアがあるから生き延びることができるんです」

――表現活動を黙らせる天敵は往々にして経済でしょう? 世界はより一層、おカネに傾いていますね。あなたは長期に渡って、どのように芸術と経済の問題に折り合いをつけてきたのですか?

「確かに映画業界は芸術の中で一番犯されている気がしますね。欲深い商売人が業界を牛耳(ぎゅうじ)り、それを受け入れる病んだアーティストが関わっているのです。認めなければならない事実は、今ある映画はすべて商業映画であるということです。しかしおカネも技術も、それだけでは幸福を与えません。私はおカネのためではなく常に高い芸術性を持つ作品を作ろうとしています。ですが、もう一本映画を作りたいと思っているので、毎晩おカネをくださいと祈っていますよ。複雑な問題です(笑)」

■アレハンドロ・ホドロフスキー




1929年、チリのボリビア国境近くの町トコピージャで、ロシア系ユダヤ人の子として生まれる。1970年に代表作『エル・トポ』を発表し、ミニシアター系で深夜上映がはじまると、『エル・トポ』は噂が噂を呼び大ヒットおさめる。映画を観たジョン・レノンが虜になり、『エル・トポ』と次作の『ホーリー・マウンテン』の配給権を買い取ったという逸話もある。未完のSF映画『DUNE』は、イギリスの画家クリス・フォスやフランスのコミック作家メビウス(ジャン・ジロー)、画家でデザイナーのH・R・ギーガー、後に『エイリアン』の企画、脚本を手がけたダン・オバノンを特殊効果のスーパーバイザーに配し、ミック・ジャ ガー、サルバドール・ダリの特別出演もかなったところで、金銭面の問題からプロジェクトが頓挫してしまう。2013年のカンヌ国際映画祭で本作『ホドロフスキーのDUNE』と『リアリティのダンス』はともに監督週間部門でワールド・プレミア上映され、高い評価を得た

(取材・文/長谷川博一)

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