内藤大助があの亀田戦をいま振り返って語る!「ヒールを目指した自分が逆に“いい人”に…人生ってわからないもんです」

週プレNEWS / 2014年12月19日 11時0分

亀田戦で一躍“時の人”となった内藤大助。今、亀田に対する思いは?

内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦や、井上尚弥のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦など年末はボクシングのビッグマッチが多数開催される。

今また円熟した黄金期を迎えている日本ボクシング界ーーその歴史を築いてきたレジェンドたちの証言を発売中の『週刊プレイボーイ』52号では16ページにわたり掲載。その中から“最短男”内藤大助インタビューを公開!

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亀田兄弟との試合で全国区の知名度を得たリング人生。しかし、その背景には、所属ジムとの軋轢(あつれき)など、当時決して語られることのなかった苦労があった。

元いじめられっ子の触れ込みで、大いにお茶の間の共感を呼んだ内藤大助氏。ボクシングジムの門を叩いたのは、少しでも強くありたいというささやかな思いからのことだったが、「もともと運動神経には自信があった」こともあり、メキメキと頭角を現していく。

そして未経験からのプロデビューを果たすと、無敗の快進撃が始まり、あれよという間にフライ級の新人王に輝いた。

「もともと北海道のド田舎から出てきた人間ですからね。プロボクサーになって、日本ランクに入って、深夜放送とはいえテレビ放送がついたりするようになったものだから、一時期は完全に調子に乗ってましたね。遊び呆けて、自らチャラ男を目指していたような節さえありました」

それでも練習だけは手を抜かなかったそうで、実際、その後も内藤氏は勝ち続ける。

そして無敗のまま20戦目で迎えたのが、坂田健史が持つ日本タイトルへの挑戦である。坂田は後に世界王者となるホープで、無敗の内藤氏との対戦はファン垂涎(すいぜん)の好カード。

試合は内藤氏が分のいい展開を演じたように見えたが、判定はドローでタイトル奪取ならず。採点をめぐり、両者の応援団が小競り合いを始めるなど、後楽園ホールが不穏な空気に包まれた一戦だった。

「あの試合は今でも自分が勝っていたと思っています。ただ、プロのジャッジが出した採点ですので最終的には納得はしてますが」

それでも、捨てる神あれば拾う神あり。失意の内藤氏の元に、程なくして今度は世界挑戦のオファーが舞い込んだ。相手はタイの超安定王者、ポンサクレック・ウォンジョンカム。敵地へ乗り込んでの挑戦だ。

「いきなり世界と言われて驚きましたけど、これはむしろ、日本タイトルを取れなかったからこそ巡ってきたチャンスだなと、ポジティブに考えるようにしていました。コンディションも絶好調でしたから、ゴングが鳴ったらガンガン打って出たんです。ところが、やはり世界はすごい。国内では必勝パターンだったコンビネーションを繰り出したところ、一瞬のスキにカウンターを打たれ、そのまま失神ですよ。これが世界のレベルか、と痛感しました」

KOタイムは、1ラウンドわずか34秒。これは今でも世界フライ級史における最短レコードである。

「われながら見事な負けっぷりでしたね。結果がすべての世界だからしょうがないです。でも、ネット上では“日本の恥”と叩かれまくるし、それまで応援してくれていた人たちが、潮が引くように離れていったりしてツラかったですね」

まさしくドン底に突き落とされた内藤氏だったが、それでもまだ自分を応援してくれる数名のために再起を決意する。

「せめて日本チャンピオンくらいにはならないと、こんな自分を応援してくれる人たちに顔向けができない。その一心でまた練習を始めたんです」

再び連勝を続けた内藤氏は、念願の日本タイトルを獲得。その初防衛戦で、今度は初回24秒でKO勝ちという日本最短レコードを記録するのだから、なんとも極端な競技人生である。

あらためて国内無敵を証明し、やがてポンサクレックとの再戦話が浮上。ここは負傷判定でまたしても涙をのむが、1年9ヵ月後の再々戦でついにポンサクレック攻略を果たす。元いじめられっ子が世界チャンピオンに輝いた、感動的な瞬間だった。

「本当に大変な道のりでしたね。所属ジム(宮田ジム)の会長とは何度も喧嘩をしました。でも間違いなく言えるのは、僕はあのジムじゃなかったら絶対に世界チャンピオンにはなれなかっただろうということ。会長はボクサーとしての僕をよく理解して、じっくりと育ててくれた。今でも感謝しています」

晴れて世界チャンピオンとなり、防衛ロードに乗り出した内藤氏。その存在が全国区になったのは、なんといっても亀田大毅を迎えた初防衛戦だろう。

この試合、挑戦者があからさまな反則行為を繰り返したことから、亀田バッシングが社会現象的な大騒動を巻き起こした。

きっと今なら、憤懣(ふんまん)やるかたない思いを存分に語ってくれるだろうと、内藤氏に水を向けてみると…。

「あの試合はどうしても反則行為ばかりが目立っちゃいますけど、亀田選手は強かったですよ。舐(な)めていたわけじゃないけど、思っていたよりパンチが当たらなくて焦ったのを覚えています。よく練習していることがうかがえる選手でしたし、才能のあるボクサーだと戦いながら感じていました」

ともあれ、この試合をもって一躍“時の人”となる内藤氏。元いじめられっ子の苦労人という物語も、人々の共感を呼ぶポイントだっただろう。

「(反響に)びっくりしました。だって僕はもともと、ヒールを目指していたんですから。容姿に恵まれたわけでもなく、さして目立つ特徴もないので、何か売りになるものをつくらなければと、一時期はあえて対戦相手を挑発するなど、頑張ってヒールを演じていたんです。それがあの試合で突然、亀田選手というヒールに対する“いい人”になっちゃった。人生ってわからないもんですよね」

なお、後に亀田大毅が内藤氏に直接謝罪したことで、両者は手打ちしているという。

内藤氏はその後、6度目の防衛戦で今度は長兄の亀田興毅を迎え、判定負けで王座を明け渡した。そんな亀田兄弟との因縁も、今や伝説の一角といえる。

■内藤大助(ないとう・だいすけ)




1974年生まれ、北海道出身。2007年、17度の防衛を誇るポンサクレックを破り、WBC世界フライ級王座を獲得。フライ級における最短KO負けの記録と、日本タイトルマッチ史上の最短KO防衛記録を保持し、“最短男”の異名を持つ

(取材・文/友清 哲 撮影/田村孝介)

■週刊プレイボーイ52号(12月17日発売)「語り継がれる“あの一戦”の舞台裏を本人に直撃! ボクシング伝説の瞬間」より(本誌では、具志堅用高、辰吉丈一郎、鬼塚勝也、竹原慎二、畑山隆則、西岡利晃のインタビューも掲載!)

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