歴史に燦然と輝く防衛記録に隠された苦悩を具志堅用高が吐露!「あと1試合だけと何度も説得されたけどね」

週プレNEWS / 2014年12月26日 11時0分

今では天然ボケキャラでお茶の間の人気者だが、具志堅氏の世界王座13度防衛記録を破る日本人ボクサーはいまだ現れていない

内山高志のWBA世界スーパーフェザー級王座防衛戦や、井上尚弥のWBO世界スーパーフライ級王座挑戦など今年の年末はボクシングのビッグマッチが目白押しだ。

そこで、今また黄金期を迎えつつあると盛り上がる日本ボクシング界、その歴史を築いてきたレジェンドボクサーたちの証言を連続インタビューで送るシリーズーー今回は沖縄が生んだ英雄“カンムリワシ”こと具志堅用高!

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今やすっかりお茶の間の顔として定着しているが、本来の具志堅氏はWBA世界王座13度防衛という偉大な記録を持つ元ボクサー。その歴戦の陰で抱えていた苦悩を明かす。

「ジムの会長が突然、バイト先のトンカツ屋に電話をしてきて『世界戦、決まったからな』って。あの時はびっくりしたなあ。そりゃあ、いつか世界に挑戦したいとは考えてましたけど、早くても2、3年後だと思っていたからね。焦りました。

決まったならやるしかないので必死に準備したけど、チャンピオンのファン・ホセ・グスマンはKO率の高い強豪だったし不安だらけでしたよ」

今も日本ボクシング界に燦然(さんぜん)と輝く、世界タイトル13度防衛の金字塔。その幕開きの第一報について、具志堅氏はそう振り返る。

基本的にマッチメイクの方針は完全にジム任せであったという具志堅氏は、時期尚早の声もあったこの試合に向けても黙々と、そしてガムシャラにトレーニングに打ち込むのみであった。

そしてフタを開けてみれば、不安でたまらなかったという言葉とは裏腹にチャンピオンを打ちのめし、見事なKO戴冠。プロ9試合目でのタイトル獲得は、当時の最短記録である。

あらためて勝因を尋ねると、「いい感じにパンチが当たったんです」と、“らしさ”全開のおとぼけコメントが返ってきた。

「作戦も何もなく、トレーナーからはガードは上げておくように言われただけ。あとはもう、無我夢中でしたね。実際、(グスマンの)パンチが強えなあとは感じましたけど、細かい試合内容についてはあまり覚えていないんです。

これはこの試合に限らず、世界タイトルマッチについてはほとんどそうだなあ。それだけ必死だったんでしょう」

ともあれ、無名ボクサーから一躍、沖縄出身者初の世界チャンピオンとなり、その名を世に知らしめた。この時、東京で1度、沖縄で3度のパレードが催されたというから、そのフィーバーぶりがうかがえる。

それにしても、早々と世界一の座に到達しただけに、その後のモチベーションを維持するのには苦労もあったのでは?

「いやあ、先のことは何も考えてなかったですね。毎回、目の前の試合をこなすことに精いっぱい。試合が終わればディスコに繰り出したりもしたけど、普段からできるだけ節制していたし、ロードワークとジムワークは絶対に欠かさなかった。

僕、そのあたりは意外とちゃんとしてるんですよ。生活リズムを変えたくないから、5度目の防衛戦くらいまではトンカツ屋でのバイトも続けていたしね」

ちなみに、試合の1週間前からはトレーナーとふたり、ホテルでカンヅメ生活を送るのが恒例だったという。体重管理、ケガや病気の予防など様々な点を考慮してのことだった。華々しく見えた約4年半に及ぶ具志堅王朝は、こうした地道な努力に支えられていたわけだ。

それでも、長い防衛ロードを行くうちに少しずつ内面に変化が訪れたことを具志堅氏は打ち明ける。

「いわゆるハングリー精神のようなものは、6回、7回と防衛を重ねていくうちにどんどん失っていきましたよね。ファイトマネーも試合のたびに増えていくし、女性にもよくモテた。やっぱり、満たされちゃいますよ。

だから、12度目の防衛に成功したら引退するつもりだったんです。当時のライトフライ級の防衛記録が11回だったから、それを更新してから辞めようと。ジムの会長や記者の人たちにもはっきりそう言っていました」

しかし、試合をすれば視聴率が40%を超えるほどの“ドル箱スター”である。ジムやテレビ局が簡単に手放すはずはない。首尾よく12度目の防衛に成功した時には、次の防衛戦、そしてさらにその次の防衛戦の予定までがすでに決められていたという。

「もう決まっているからと言われちゃうとね…。興行に穴をあけるわけにもいかないから、どうにか準備をして試合に臨むんだけど、歴戦のダメージがたまっていたのか、この頃には疲労も抜けにくくなっていたし、何よりもう気力がついていかなかったですね。

試合中も闘争心が湧いてこないから、どうしても攻撃が弱くなる。ペドロ・フローレスに勝って、なんとか13度目の防衛に成功したけれど、苦戦したのは相手の実力うんぬんじゃなく完全に自分自身の問題でしたね」

ダウンした選手になお襲いかかるほどの気性の荒さが、ボクサー具志堅用高の武器であり魅力であった。つまり、闘争心を失ったキャリア終盤の具志堅氏は、牙を抜かれた状態だったと言っていい。

それでも予定どおり、14度目の防衛戦は故郷・沖縄にセットされた。相手は前の防衛戦で苦戦したフローレス。前戦の悔しさを晴らさんばかりに前進するフローレスに対し、具志堅氏は徐々に後退を余儀なくされ、ついには2度のダウンを食らった末に陣営からタオルが投げ入れられた。

ついに訪れた、王座陥落の瞬間。これはひとつの時代の終焉(しゅうえん)として、今なおオールドファンの脳裏に焼きついているシーンだろう。

「初黒星だったし、タイトルを失ったことはすごくショックでしたよ。でも、お金も知名度も、ボクサーとしてはすでに十分にいただいてましたからね。

その後もジムとテレビ局が『あと1試合だけやってくれ』と何度も説得に来たけど、そうなるとまたズルズルやらされるのは目に見えていたし、何よりやっても勝てなかったでしょう。だからきっぱりとお断りしたんです」

13度防衛に加え、6連続KO防衛の記録も保持している具志堅氏。現在はこれらを更新する選手の登場を心待ちにしているという。

■具志堅用高(ぐしけん・ようこう)




1955年生まれ、沖縄県出身。インターハイ優勝の実績を引っ提げて、1974年にプロデビュー。当時の最速記録である9戦目でWBA世界ライトフライ級王座を獲得し、同王座を13度防衛。現在はタレントとしても活躍中

(取材・文/友清 哲 撮影/岡村智明)

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