第4回「君が友達じゃなくても」

ソーシャルトレンドニュース / 2019年5月10日 17時45分

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第4回「君が友達じゃなくても」

劇団「ゴジゲン」所属の俳優であり、脚本家・善雄善雄さんが、個人的で、でも普遍的な“あの頃”を綴る連載第4回。思い出す「友達と呼びたい男たち」の顔……。



こうして連載の機会をいただいてからというもの、辛くて仕方なかった高校の記憶と向き合って文章にしてきましたが、最近、書いたことで少しだけ平気になっている自分に気が付きました。文字にして吐き出すのは客観的にならざるを得ないので効果は絶大です。僕はこの連載を、セラピーの代わりにしています。

しかし先日、新宿の駅を降り、最短距離の出口に向かうとそこに女子高生の集団が溜まっていて「まあ別のとこからでも出れるだろ」と探してみたら、いつの間にかとんでもなく道に迷ってしまいました。いまだ女子高生の群れを見つけると無意識に逃げている。トラウマは今も、この胸にいます。いつか実生活に影響が出なくなることを祈りながら、今日も書かせていただきます。
女子高生こわい、ということに関しては、第1回をご参照ください。


通っていた高校に、友達と呼べる人間はほとんどいませんでした。

週末に遊んだりするのも、中学時代の友人か演劇で出会った仲間たちで、校内での人間関係はごくごく少数でした。

ただ、今となっては連絡先すらわからないけれど、友達と呼びたい男達は何人かいました。

彼らは僕と同じように、それぞれがあの高校の中で、独自の闘いを繰り広げていました。

今日はそんな戦士たちを、3名ほどご紹介いたします。

一人目、個人情報にうるさい時代なので便宜上「1」とします。

1は、女子から裏で「フッ素」と呼ばれていました。名前が似ていたからです。なぜ女子が使う裏の呼び名を知ってるのかといえば、女子の声がめちゃくちゃ大きかったからです。
彼女たちの会話からは誰をなんと呼んでいるかなどすべて予想でき、裏の名前をつけられてる意味なんて一切ありませんでした。

ちなみに、僕は裏で「マサーシー」と呼ばれていました。本名は「よしお」なので名前一切関係ないのですが、当時大人気を博していた番組「学校へ行こう!」に出演するマサーシーさんにあやかったようでした。僕は「学校に行こう!」のおかげで、「学校に行きたくない!」と思いました。現役東大生で、自分のことを愛しすぎていたマサーシーさん。よく歌っていたのはPENICILLINのロマンス。テレビに映る彼のことはおもしろくて大好きでしたが、自分が呼ばれると嫌な気持ちになるから不思議なものですね。

だからフッ素はマサーシーよりマシじゃんと思っていましたが、大抵が陰口と一緒に聞こえてくる呼称なんて、なんでも嫌だったろうと思います。

1はだんだんと、普及し出したばかりのインターネットをやり込み、当時そこまでの知名度はなかったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやACIDMANの情報を、回線の遅いパソコンにかじりついて夜まったく寝ずに仕入れては、なにも知らない僕に教えてくれました。

そうして学校では、ほとんど寝続けていました。

振り返れば、そうやって学校の連中となるべく関わらないようにしていたのかもしれません。
1はいつも寝不足で死んだような顔をしつつ、好きな音楽の話のときにだけ、目が輝いているように見えました。

続いて2。
2は例えば、遠足などで大型バスに乗って移動する際、バスにカラオケが整備されてることがあり、
ときどき添乗員さんが「誰か~?」といった具合に歌い手という名の生け贄を探して生徒の顔を見渡すのですが、
大抵が指名されまいと目をそらす中、2は一人勇猛果敢に手を挙げるような男でした。

2は、たしかに歌が上手かった。

ただ、ポール・ポッツやスーザン・ボイルがオーディション番組に出て人生を変えたみたく、世界を変えられるほど上手くは…なかった。

僕は違うバスに乗っていたので実際に歌う現場を見たわけではないのですが、バスを降りて歩いていると、2と同じバスだったと思われる女子たちが、
「2っていうひと歌うまいから、ああ見えてwww」
と話すのが、聞こえていました。

一応は褒めつつも、その声色には完全にバカにしたようなニュアンスが含まれており、
引き続き2の話題でゲラゲラと笑う女達の声を遠くに聞きながら、僕は遠くを見つめ、まるで突撃して殉死した兵士を想うような気持ちで、青空に2の顔を思い浮かべていました。


2はある日突然、ベッカムヘアで現れたこともありました。

時は2002年。ワールドカップに沸く世の中で、その中でも特にかっこいいと話題だったのがデビット・ベッカム選手であり、
たくさんの男達がベッカムに憧れ、当時ベッカムがしていた髪型であるソフトモヒカンを真似する輩は後を絶ちませんでした。

しかし2がソフモヒにしたのは、W杯が終わってだいぶ経ってからでした。

そもそもW杯中にも、サッカー部やスクールカースト上位の連中がソフモヒにしてきては、
クラスの女子達に「その顔でベッカム気取りかよwww」と丸聞こえの陰口、通称悪口を言われて何人もが壮絶な心の死を遂げており、
なので2がその髪型で現れたときは、
「どうして今さら…」
と思うと同時に、
「もしかして今なら気付かれないか…!」
と、2が傷つくことにならないでほしいと、祈るような気持ちで遠くから見つめていましたが、
「は?ベッカムに謝ってほしいんだけど…」
という、案の定女子からの丸聞こえの陰口、通称暴言を吐かれており、
うすうす予想できた結末ではあったものの、ひたすらに悲しい気持ちを抱えずには、いられませんでした。

最後に3。
3は、僕と同じくらい、いや僕以上に女子から裏で「キモい」と言われている男でした。
天然パーマと、遠視のメガネをかけてることで少女漫画みたく巨大化して見える目が、そう言われる主な理由のようでした。

一度、女子が3の席を示しながら、
「ここ誰の席ー?」
と聞き、
別の女子が
「あのキモい人!」
と、大きな声で答えるのを見たことがあります。個人を特定する言葉としてひどすぎないか。人はどうしたらそんなにも残酷になれるんだ。

そんな3の闘いは、マラソン大会でのことでした。

それは毎年5月頃、高校の周りを10km近く走らされ、3位以内に入れば表彰、というおもしろくもなんともないイベントで、
僕は一年時こそ真面目にやっていましたが、二、三年になるともうほとんどを歩いて終わらせておりました。

そんな僕を尻目に、3は三年時の大会にて上位に食い込むような走りを見せ、ゴール直前にて限界を迎えてぶっ倒れました。
僕はのんびりゴールしたあと遠目に彼の姿を認識しただけですが、遠くからでもわかるくらいに彼の体は痙攣を起こしており、そのまま救急車で運ばれていきました。

たかが学校行事でなんでそこまで頑張っちゃったんだよ。その理由を彼の口から聞けたことはなかったですが、なんとなく、あいつはなにか結果を残したかったんじゃないかと思いました。
良い成績を取ったからといって校内での扱いが変わるわけではないけれど、それでも一矢報いたかった。彼を見ていると、なぜかそう感じることがありました。

結果として、彼のマラソン大会はゴールまで辿り着けず記録なしで終わり、
女子達は痙攣する彼を見て、またしても「キモい」と騒いでいました。


1年ほど前、実家に帰ると、卒業してもう15年近く経つ高校より珍しく手紙が届いていました。

そこには、「同窓会名簿を作っているが、あなたの同級生で住所がわからない人が数名いるので、知ってるなら教えて欲しい」という旨のことが書いてあり、
その連絡先不明の人間が羅列された中に、今しがた紹介したやつらの、ほとんどの名前が載っていました。

僕はそれを見て爆笑し、なんだか嬉しくなってきました。いいぞお前ら、と思いました。
もし知ってても、教えない。今が個人情報にうるさい時代じゃなくても絶対教えない。僕らは同窓会なんて行かないだろうし、高校から連絡が必要なことなんて一つもないのです。
それに、闘う人間を嘲笑ったり、丸聞こえの陰口を叩いてくるあの地獄みたいな場所から、ようやく自由になれたのです。
もちろん手紙をくれた方はそんなことなんて知らないだろうけど、どうかこのまま、そっとしておいてほしいと願っています。

今はもう、高校にいた人の顔も名前もほとんど忘れてしまいましたが、この住所もわからない彼らのことは、折に触れて思い出します。
連絡先も知らない彼らを、友達とは呼べないのかもしれません。でも僕は彼らのことが好きだったし、誰も傷つけようとせず、それでも闘おうとするその姿勢は、振り返ると誰よりもかっこよかったと感じます。

いつかこの文章を、彼らが読むことなんてあるのだろうか。

今どうしているかもわからないけれど、あの日々を生き抜いたのだから、きっとどこかで強く生きているだろう君へ。
君が友達じゃなくても構わない。
ただ、あの学び舎で隣にいられたことを、僕は誇りに思っています。

(文:善雄善雄)

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