中止か無観客開催か…春の選抜高校野球、7大事件簿を振り返る

日刊SPA! / 2020年3月11日 8時30分

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 今回の新型コロナウイルスの感染拡大騒動が高校野球界をも揺るがしている。高野連は4日、今年の春の選抜は無観客試合で行う方向で検討すると発表。正式決定は11日に下されることになったが、場合によっては中止も視野に入れられている。実は選抜は太平洋戦争中に中断時期はあったものの、中止となればまさに史上初の大事件。ということで、今回はこの緊急事態を踏まえて過去の春の選抜における事件簿7選をお届けしたい。

◆①4月末に開幕し、なんと5月に決勝戦

 この超異例な日程で行われたのは’27年の第4回大会。実はその前年12月25日に大正天皇が崩御されたこともあって国中が喪に服す真っただ中で開催されたのである。そのため、大会日程は開幕が4月29日、決勝戦が5月1日というわずか3日間。出場校も前年の16校から8校に減らしての開催で、当然のように入場行進も中止された。

 あまりの簡略化でなんとも寂しい大会となったが、その中でただ一つ豪華なエピソードが。なんとこの大会から優勝校にはアメリカ遠征の特典が与えられたのだ。なお、この特典は’31年の第8回大会まで5年間実施された。

◆②春の選抜大会、ガチで消滅の危機に?

 実は大会中止どころか、春の選抜自体が消滅してしまう危機がかつてあった。それは戦後の混乱期のこと。’46年の第28回夏の選手権に続いて春の選抜も翌’47年に6年ぶりに復活したが、当時日本を占領していたGHQが学生野球にまで介入してきたのだ。いくつかの方針を大会関係者に突きつけてきたのだが、その中で最も大きかった主張の一つが「全国大会は夏の選手権のみ。年1回にせよ」というもの。要は「春の大会は必要ない」ということである。だが、とある大会関係者が提示した以下のウルトラC級の2案によって、この無慈悲な通告を見事に回避することに成功したのである。

 1.『全国』という名称はつけない。2.地元関西のチームを中心とした招待大会にする。

 この二つの妥協案によりGHQは開催を“黙認”。春の選抜消滅の危機はこうして去ったのである。晴れて開催された’48年の選抜だが、地元関西のチーム中心の招待大会のハズが、出場16校中、地元関西勢力はわずか6校のみ。関東、東海、北陸、中国、四国、九州から出場したチームもあり、事実上の『全国大会』となっていた。結果的に天下のGHQが“欺かれた”というワケ。

◆③決勝戦のテレビ中継が○○○で中止に

 ’59年の第31回大会決勝で岐阜商(現・県岐阜商)を3-2で破り、春3度目の優勝を飾った中京商(現・中京大中京=愛知)がその不運なチーム。実は決勝戦が行われたこの年の4月10日はときの皇太子・明仁さま(=現在の上皇陛下)と正田美智子さん(=現在の上皇后陛下)のご成婚式があったため、本来なら春の選抜大会を中継するNHKも朝から晩まで特番体制を敷くことに。結果、カメラやスタッフ、そして制作費がこの国民的一大イベントのために投入されることとなった。

 というか、そもそも決勝戦は8日に行われる予定だったのだが、雨天のため2日間順延されたといういきさつがあり、返す返すも不運なチームだったと言えよう。とはいえ、決勝戦はNHKラジオ第2のみで放送されている。

◆④世紀の大誤審…エンタイトルツーベースがホームランに

 この不可解な判定が起こったのは’84年第56回大会の大会2日目第1試合。高島(滋賀)対佐賀商の一戦。試合は3-1と佐賀商リードで迎えた5回裏、攻める佐賀商は満塁のチャンスを掴むと、ここで中原康博選手の打った打球はラッキーゾーンの手前でワンバウンドしてスタンドインする。明らかにエンタイトルツーベースだったが、なぜか二塁塁審・片岡が本塁打と誤審してしまった。

 その原因は当時、外野フェンスにずらりと並べられていた歴代優勝校のバネル。打った打球がこのバネルの白地と重なって、見えにくかったらしいのだ。当然、バネルは即日撤去され、高野連は試合後にこの満塁ホームランを審判の誤審として謝罪するハメに。ただ、試合中に高島サイドからの抗議がなかったため、判定は満塁ホームランのまま。これがきっかけでこの回大量6失点を喫した高島は結局、4-17で大敗している。ちなみにこの大会で春夏通じて待望の甲子園初出場を果たした同校だったが、この無念の敗戦以後、甲子園出場はない。

◆⑤出場校の発表日に起きたニセ電話事件

 それは’93年の第65回選抜大会の出場校を決める選考会が行われた2月1日のことだった。関東・東京地区から推薦された計25校のうち6校に「高野連のサトウ」を名乗る人物から選抜大会への出場が決まったという電話が。だが、これは真っ赤なニセ電話で、この6校中、3校は実際には落選。補欠校止まりだったのである。

 被害にあったのは関東学園大付(群馬)と法政二(神奈川)、そして早稲田実(東京)で、出場決定から一転して落選という衝撃に打ちのめされたワケだが、実はこの3校いずれも当落線上にあったチームばかりだった。特に関東地区は前年秋の地区大会で市立船橋(千葉)が準決勝で0-10のコールド負けを喫していたことから、関東の出場枠5に対し、4&5校目にベスト8敗退組の4校が浮上。選考が難航することが予想されていたのである。それを踏まえた上での悪質なイタズラであったが、いまだに何者の仕業かは分かっていない。

◆⑥謎の大会0日目

 一瞬聞いただけでは意味不明の“大会第0日目”。それは’05年第77回大会でのことだった。3月23日に開幕という日程だったのだが、なんと当日は折からの雨の影響で開会式しか実施されなかった。このため大会第0日目という扱いになり、第1回戦第1試合が行われた翌24日が大会第1目となったのだ。

 余談だが、この大会で春夏通じて初優勝を飾った愛工大名電(愛知)で女子マネージャーを務めていた倉野智加さんは記録員としてベンチ入りしており、これによって彼女は春夏通じて甲子園史上初の優勝チームの女子記録員となったのだった。

◆⑦史上初の2試合連続引き分け再試合が誕生

 2試合連続延長15回引き分け再試合という珍事が起きたのは’17年第89回大会。3月26日に行われた2回戦の第2試合と第3試合であった。前者は福岡大大濠対滋賀学園の一戦で、緊迫した投手戦が展開され、1-1で引き分けに。後者は福井工大福井対健大高崎(群馬)という顔合わせで、こちらは一転、激しい点の取り合いのすえ7-7で決着つかずとなった。もちろんこの記録は春はもちろん夏の甲子園を含めても史上初の出来事。そして、2試合続けて延長15回引き分け再試合という結果になったことを受け、高野連は現在行われているタイブレーク制の導入へと舵を切るこことなるのである。

 ――この7つ以外では触れるとしたら、やはり2度訪れた開催危機だろう。’95年の第67回大会と’11年の第83回大会である。前者は阪神淡路大震災、そして後者は東日本大震災と、ともに震災の影響を考慮。鳴りものなどの応援を自粛するなど被災地に最大限配慮して開催にこぎつけた経緯がある。だが、今大会の問題は上記2例とはまったく別のケース。果たして高野連はどのような結論を出すこととなるのだろうか。<文/上杉純也>

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