三浦知良と西城秀樹に勇気づけられた日 ―カズとヒデキとヤングマン―

日刊SPA! / 2020年9月29日 15時50分

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HIDEKI FOREVER pop(集英社インターナショナル)

文/椎名基樹
◆カズ、俊輔、松井……永遠のサッカー小僧たちが集結した日

 9月23日、等々力競技場で行われた川崎フロンターレ戦において、横浜FCのキングカズこと三浦知良が先発出場しJ1の最年長出場記録を更新した。 53歳210日がその記録である。2007年12月1日以来、13年ぶりのJ1の舞台でのプレイであった。このニュースはヨーロッパ各国でも報道された。

 私は52歳であるが、ふと気がつくと老後の心配をしている(笑)。カズに人間の可能性は無限である事を教えられたようで勇気づけられる。1つのことに打ち込む、彼の一途さは、人を爽やかな気持ちにさせる。

 試合にはカズの他に42歳の中村俊輔、39歳の松井大輔も先発出場した。横浜FCが誇るレジェンドトリオだ。さらに川崎フロンターレの中村憲剛も、昨シーズンに負った大怪我から7ヶ月のリハビリを経て負傷後初先発を果たした。彼は39歳だ。

 もしかしてこの日が「ヤングマンの日」なので両監督の粋な計らいで「永遠のサッカー小僧(ヤングマン)」を集結させたのかもしれないなんて、楽しい憶測をしてしまった。「ヤングマンの日」とは川崎フロンターレ夏の風物詩(今年はコロナの影響で9月開催)となっている「川崎市制記念試合・ハーフタイムY.M.C.Aショー」のことである。

◆「ヤングマン」で川崎フロンターレを盛り上げた西城秀樹

 川崎在住だった西城秀樹は、2000年を皮切りに、2004年から2017年まで年に1度、等々力競技場で開催されるフロンターレのホーム試合のハーフタイムショーで「ヤングマン」を披露し続けた。 2000年はフロンターレが初めてJ1に昇格した年であったが1シーズンで降格する。 2004年に再び秀樹に後押しされる形で、J1復帰を果たした。当時のフロンターレは3000人から5000人ほどしか観客を集められなかった。それでも秀樹は「地元を盛り上げたい」と、ギャラ度外視でハーフタイムショーの出演を快諾した。

 川崎フロンターレはラッキーだ。西城秀樹ほど観客を盛り上げることを熟知した歌手もいないし、「ヤングマン」ほど聴く者を1つにするキラーチューンもないだろう。世代を超えて誰もが知る曲。勇気が出る前向きな歌詞。そしてキャッチーな振り付け。秀樹のハーフタイムショーは観客を1つにした。そして、いつしか等々力競技場は特有のアットホームな心地良い雰囲気を持つようになった。プロスポーツチームはファンに愛されて初めて成立する。

◆秀樹、脳梗塞再発もその生き様に感銘

 2011年12月、西城秀樹は脳梗塞を再発する。右半身の麻痺と言語障害が残った。しかし、2012年の6月フロンターレのハーフタイムショーに出演。両手で持った星条旗をなびかせながら、オープンカーで入場! 大声で観客を煽りつつ、「ヤングマン」を歌って盛り上げた。身体はまだ動かし辛そうそうだったが、歌声は完璧だった。懸命なリハビリの成果だった。スーパースターでありながら、不自由な身体で人前に立つ、その人間性に感銘を受けた。

 西城秀樹は著書『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』(廣済堂出版)の中で「歌は自分の命だ。歌うことで人が喜んでくれるならば、ありのままの姿で堂々と人前に立てばいいのだ」というようなことを言っている。 2015年の西城秀樹還暦コンサート(会見では本人が「ヒデキ、還暦!」と絶叫)にゲスト出演した野口五郎は秀樹を抱きしめたときに、彼がやっと立っていることに気づいた。「そこまでして歌うのか」と愕然としたと言う。生きがいは突き詰めれば信念となる。

 2017年のハーフタイムショーの秀樹は、かなり痩せていて、身体を動かすのもかなり辛そうに見えた。しかしやはり歌声は完璧だった。その年、川崎フロンターレはJ1を初制覇する。最終節まで1度も首位に立つことなく、最後の最後で逆転するという劇的な優勝だった。

 2018年のハーフタイムショーにも西城秀樹は出演するつもりだったと言う。しかしその5月、彼は帰らぬ人となった。フロンターレサポーターは、急遽、「THANK YOU! HIDEKI」というメッセージと秀樹の顔をプリントした横11メートル×縦9メートルのビッグフラッグを作った。いつも横断幕の制作を依頼している業者と共に、サポーターが集結して約8時間ぶっ通しで作業を手伝ったという。そのフラッグにサポーターがびっしりとメッセージを添えた。

◆こんな時だから「ヤングマン」の歌詞が沁みる

 今でもそのフラッグは「ハーフタイムY.M.C.Aショー」の時に掲げられる。現在、ショーの西城秀樹の代役はコロッケが務め、「ヤングマン」を披露している。コロッケも川崎に縁が深く、西城秀樹とはデビュー前から親交があり非常に世話になったと言う。だから今年の「ヤングマンの日」には、三浦知良、中村俊輔、松井大輔、中村憲剛、コロッケが勢ぞろいしたのだ。めちゃくちゃ豪華だ。もし西城秀樹が生きていてここに加わったら奇跡的なイベントになっていただろう。

 コロッケが務めているので、ハーフタイムショーはとてもコミカルで面白い、等々力競技場はいつでもアットホームな雰囲気だ。なのにスタジアムで「ヤングマン」を聴くと胸が熱くなる。観客の盛り上がりを見ると、人間は死んでも心の中に生き続けるということを実感する。

「ほら見えるだろう 君の行き先に 楽しめることがあるのだから」。今年は歌詞のこの部分が、やけに心に残った。今年は痛ましい自死のニュースが多い。しかしカズのサッカーのように、秀樹の歌のように、好きなこと、楽しめる事があれば、人生は生きるに値するはずだ。そんなことを思った。カズや秀樹のように卓越していなくても、些細な“楽しめること”で充分なのにな。そんなふうに思った。

 最後に蛇足だが、52歳の私は西城秀樹直撃世代だ。幼稚園の頃、叔母に「名前を秀樹にしたい」と言った。叔母は悪ふざけで電話を取り受話器に向かって、私の名前を変更する手続きの演技をした。叔母が「名前変えてあげたよ」と言うので私は喜んでしばらく秀樹と名乗っていた(笑)。子供の頃は、ただかっこよくて西城秀樹が好きだったが、大人になって見ると、彼が世間に届いた、最初のロッカーであり、歌謡界の革命児だったことがわかる。

【椎名基樹】
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中

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