安倍元首相は二度の消費増税に屈した以外、8年で一体何をしたのか/倉山満

日刊SPA! / 2020年11月9日 8時30分

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9月14日、自民党両院議員総会で新総裁に選出された菅義偉氏が、安倍晋三氏に花束を手渡した。「安倍内閣の継承」、菅首相が真に目指すものとは一体…… 写真/時事通信社

―[言論ストロングスタイル]―

◆あの時、保守政権復活の旗印は安倍晋三元首相だと、衆目一致して考えていた

 菅義偉首相の所信表明演説が行われ、ようやく本格的に新政権が始まった感がある。菅首相は「安倍内閣の継承」を掲げて当選した。規制改革など一部の行政問題を除いて独自色を抑え、基本的には安倍晋三前首相の路線を継承しているように見える。

 ならば、そろそろ安倍内閣の総括を行っても良いのではないか。ちなみに私は約8年の政権で、最初の1年は積極支持、真ん中の6年は消極的支持、最後の1年は積極不支持だった。なぜか、その理由を説明しつつ、振り返りたい。

 2009年、自民党は参議院で過半数を得ておらず、ねじれ国会に苦しんでいた。日銀総裁人事では与党案が通らず、野党民主党が推す白川方明を呑まねばならない惨状だった。

 こうした状況を打開すべく自民党が総理に据えたのが麻生太郎だった。だが、麻生は早期解散に踏み切らず、リーマンショックで無策の限りを尽くした。挙句、任期満了近くまで解散権を行使できず、記録的な大敗で自民党は野党に転落した。

 代わって与党になった民主党も無能だった。東日本大震災で不手際を連発、3年3か月の政権で唯一の成果が消費増税という惨状だった。

 ところが、当時の野党自民党谷垣禎一総裁は、民主党を倒すどころか、公明党とともにデフレ下の消費増税に協力する有様だった。

◆多くの人々が「安倍さんしかいない」と動いていた

 こうした絶望的な状況の2012年、多くの人々が「安倍さんしかいない」と動いていた。国会議員だけでなく、在野の人々も、保守政権を打ち立てる旗印は安倍晋三元首相しかいないと衆目一致して考えていた。安倍は一般には病気で政権を投げ出した「終わった人」だったが、保守層での評価は高かった。多くの人が元首相の安倍のところに馳せ参じ、決起を説いていた。かくいう私も、当時は何度も会いに行っている。

 そしていつしか、保守の人々の間では安倍決起が既定路線となっていった。政策は「まず経済」である。第一次内閣では不況に苦しみ、財務省や日銀の抵抗にあい、参議院選挙に負けて刀折れ矢尽きて、退陣に至った。その反省から安倍本人も景気を回復しなければ、やりたいことは何もできないと考えていた。「戦後レジームからの脱却」、すなわち「憲法改正」は最後であり、「まず経済」と考えていた。

 そして、首相に復帰。経済の天王山を日銀に定めた。日本はなぜ不況なのか。デフレだからである。デフレとは、市場にモノが溢れているのに、貨幣が少ない状態のことである。モノの価値は希少性で決まる。国民が汗水流して商品を作っても(サービスの提供も商品である)、日銀がお札を刷らない限り、バランスはとれない。当時の白川方明日銀総裁は、かたくなに金融緩和(つまり、お札を刷ること)を拒否していた。理由は不明だが、バカかスパイなのだろう。白川が経済学を知らないバカなのか、敵国のスパイなのか分析しても仕方がない。その間にも失業者や自殺者が増え続けるだけだ。

◆安倍首相は二度の消費増税に屈し、官僚機構からしたら、強すぎず、弱すぎず、ほどほどの首相であった

 私は諸悪の根源である白川を討伐する政権を渇望していた。安倍は政権返り咲きの前から、白川との対決姿勢を鮮明にしていた。だから私は積極的に支持した。

 首相となった安倍は、聖域と化していた日銀に切り込んだ。そして白川から辞表を取り上げ、意中の人物である黒田東彦と岩田規久男を正副総裁に押し込む。いわゆるリフレ派と言われる岩田の理論を黒田が実行、「黒田バズーカ」と言われる金融緩和は、やがて「アベノミクス」と言われる景気回復をもたらした。景気回復の波に乗り、安倍内閣は選挙で連戦連勝を続けた。

 ところが、強敵が現れた。時の財務事務次官木下康司である。財務事務次官とは官僚機構の頂点に位置する。木下は「消費税を8%に上げてもらう」と宣言した。デフレ脱却の前に消費税を増税などしたら、景気回復の急ブレーキだ。もちろんそれが狙いで、強すぎる総理大臣など官僚機構のコントロールが効かないので掣肘しなければならない。

 木下の号令の前に、自民党の9割、公明党の全部、当時の野党第一党民主党の幹部全員、財界三団体、労働組合、主要マスコミがこぞって、「消費増税」に賛成した。この圧力に安倍首相は屈服。2013年10月1日18時、安倍首相は生命線であるアベノミクスに自ら引導を渡す、消費増税を宣言した。

 官僚ら既得権益層からしたら、怖くない総理である。何年やってもらっても結構。強すぎず、弱すぎず、ほどほどの首相である。

◆弱すぎる野党に助けられて、選挙は連戦連勝

 私は2013年10月1日に、積極支持を取り下げた。だが、他に代わる人はなく、挽回の余地があると考え、積極不支持ではなく消極支持の立場であった。

 その後は実に中途半端な政権と化した。消費増税8%が施行されてから、案の定、景気は悪化。日銀がさらなる金融緩和を行い、10%への増税を延期したので事なきを得た。金融緩和の威力により、なんとか8%増税の悪影響を食い止めた。また、10%再増税を延期したのも大きかった。結果、その後の6年間で「緩やかな景気回復」が続いた。

 その間、弱すぎる野党に助けられて、選挙は連戦連勝。だが、歴史に残る業績は何もない。アメリカ大統領がオバマだろうがトランプだろうが、友好関係は築いた。だが、トランプが申し出た「自主防衛」は自ら断った。北朝鮮拉致問題はまったく進展せず、北方領土など交渉をすればするほど事態は悪化した。あげくに、習近平を国賓で訪日させようとしたほどだ。結局、安倍外交など、すべての周辺諸国の靴の裏を舐めていただけだった。

 そうした安倍を御用言論人は甘やかし続けた。確かに「反安倍」のリベラル系言論人は惨かった。彼ら彼女らこそ、安倍長期政権最大の立役者だろう。安倍御用言論人は「安倍さんの悪口を言う奴の悪口を言うことが保守」とばかりに、醜い言論を繰り広げた。私は連中に、吐き気を抑えて我慢していた。

 そして2019年7月の参議院選挙で増税を公約。ここで私は積極的不支持に転じた。もはや消極的でも支持する理由がない。

 2019年10月1日。消費税は10%に上がった。景気が緩やかに悪化し始めたところに、コロナ禍である。その後の醜態は記憶に新しい。

 悲劇を繰り返したくなければ、歴史に学ぶしかない。

【倉山 満】
’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、『保守とネトウヨの近現代史』が9月25日に発売された

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