戦力外で医学部受験を決めた元ベイスターズ・寺田光輝の決意

日刊SPA! / 2021年1月27日 15時54分

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医学部を目指す元ベイスターズの寺田光輝さん

―[職業 元プロ野球選手]―

◆筑波大学卒業後にBCリーグ入りを決意

 紆余曲折はあったものの、無事、筑波大学に入学した寺田だったが、実質2浪のハンデはもちろん、能力的な部分も含めて新人有力選手との差は誰の目にも明らかだった。筑波大学といえば、国公立で唯一、1987年の明治神宮野球大会に優勝しており、首都大学リーグ1部優勝4回、2部優勝12回、プロには7人輩出するなど国公立の雄であり、当然、甲子園組も入学してくる。

 1年生の間は、身体造りを徹底的にやり、試合になるとスタンドで応援し、ベンチに入ることさえなかった。そして2年生の9月には、痛めていた肘を治すためトミー・ジョン手術に踏み切った。それは将来を見越しての手術でもあった。3年生の秋にようやくベンチ入りし、4年生では公式戦12試合中継ぎで投げ1勝1敗に終わり、大学野球生活を終えた。

 さすがにこの成績ではプロは無理だと諦め、地元の企業に就職しようとしたとき、ストップをかけたのが筑波大の奈良隆章コーチだった。「挑戦してみろ」と背中を押してくれたことで、BCリーグの石川ミリンスターズに入団。オーバースロ―からサイドスローに転向したことで球威が格段に増した。そして、2017年。DeNAベイスターズからドラフト6位で指名され、念願のプロ入りを果たしたのである。

「BCリーグに入団するときも、親は反対も賛成もせず、ただ温かく見守ってくれました。NPBのスカウトに注目され始めたときに『ほんまにプロへ行けるのか?』と父がぼそっと言ったくらいですね。一方でじいちゃんは『おまえ、ちょっとプロを舐めているんじゃないかぁ。独立リーグでやるのはいいけど、自分の中で早く納得して区切りをつけろよ』と言っていたんですが、プロに入るときは『いやぁ~参りました!』とことのほか、喜んでくれました」

◆医者一族から生まれたプロ野球選手に一族は驚愕

 医者家系の寺田家からプロ野球選手が誕生したことは一族を驚愕させ、その快挙に湧いた。高校3年夏にプロを意識し、艱難辛苦の道程の末、念願が叶った寺田は希望を胸にプロ野球の門戸を叩いた。ここまでは、漫画にでも出てきそうストーリーだが、現実はそう甘くはない。寺田はたったの2年間で戦力外通告となってしまったのだ。

「1年目にヘルニアの手術をし、球団側も了承してくれたのでそれなりの期待感が込められていたんだと思います。2年目は、年齢も年齢ですから背水の陣でしたね。後半から調子は上がってきてはいましたが、身体は限界に近い感じでしたのでクビになるのはしょうがないと思ってました。

 ばあちゃんなんかは、僕の身体が弱いことを重々知っているのでプロ入りのときも『身体壊すくらいなら早く辞めなさい』と言ってくれたので、クビになったときはむしろ喜んでくれました。正直、クビになってホッとした感じもあります。変に残されてズルズルやって次のステージに遅れるよりは、ここでおしまいって言ってもらったほうがありがたかったです」

◆戦力外通告の3日後には医学部受験を決意

 寺田の腰は限界に来ていた。日常生活にも支障が出るほどの痛みが走り、野球どころではなかった。野球界との決別をつけるケジメとしてトライアウトを受ける際も、腰の痛みにより万全な調整がまったくできなかったという。最後の最後まで、腰の痛みに悩まされたプロ生活だった。そしてクビを宣告されてから2、3日後には医学部を受けようと決断した。即断即決だ。

「まだ、受かってもいないので専門的なことはわかりませんが、アスリートを診たいという思いはあります。怪我の部分を外科的ではなく、内科的アプローチができるのではないかと考えています。幸いにも僕だったら選手側の気持ちを一番汲み取れるのではないかと思っています。自分の経験談から言うと、怪我が完治してなくても強い焦りのためプレーしてしまうことがただあると思うんです。これまでにも同じ箇所を何度も怪我する選手をいっぱい見てきて、やっぱり完治していないのではとずっと疑問に感じていました。対処療法だけでなく、内科的に何かできるのでは……、あくまでも僕の仮説なんですけど」

 医者になったら、自分が怪我で苦しんだ分、怪我をしているアスリートを一日でも早く復帰させたい思いがある。そのためにはどういうアプローチが最善なのか。寺田は、環境の整備も含め、真の意味でアスリートファーストの治療をしていきたいと考えている。

◆今は世間に顔向けできる立場ではない……

「世間では東大に入るよりプロ野球界に入るほうが難しいと言われてますが、僕にとっては東大に入るほうが難しいです」

 凡庸な人間にとっては、プロ野球界に入るとか東大に入るとかリアルに感じることなどない。一度はプロ野球界に身を置き、現在、医学部を目指して受験勉強の追い込み中の寺田だからこそ言える言葉でもある。

「誰にも言ってないはずなのに記者さんから『医学部を受けるんだってね』と言われたときは、びっくりしました。嘘を付く必要もないので、そのまま取材を受け、いろいろと記事に出ることであえて退路を断った感じです。本当は、こっそりと受けたかったんですけど(笑)。でも記事に出て感じたことは、応援してくれる人たちがいる反面、アンチの人たちもいます。思うに、アンチの人たちって自分が充実してないから、他人をバッシングするようなことをわざわざ時間を使って書くんだろうなと。こういう人たちが幸せになるには、どうしたらいいのだろうとか考えますね」

 生命の尊さを顧慮し、人間の幸せの意味を追求していく寺田の考えは医者を志す者の視点以上だと私は感じた。医者家系にして名士の寺田家のDNAは、きちんと受け継がれている。

「僕には時間がありません。正直、契約金を貰って困窮するほど生活に困っているわけではないし、チャレンジする期間があると言っても、今は世間に顔向けできる立場ではないので必死です。僕の中では、医者になるのか死ぬかのどっちかしかないんです。野球をやっているときもそうだったんですけど、諦めが悪いんです。だから、今が勝負なんです」

 退路を断ち、揺るぎない覚悟を持った男は強い。高校3年夏に抱いたプロ野球選手という夢を叶えた寺田だったら、恵まれたDNAも手伝い、きっと医者になれると信じている。後は、どういった医者になっていくかだ。そのためにも、ぜひ春には吉報の知らせを聞かせてほしい。

【松永多佳倫】
1968年生。岐阜県出身。琉球大学大学院在学中。出版社を経て2009年8月よりフリーランスとなり沖縄移住。ノンフィクション作家として沖縄の社会学を研究中。他にもプロ野球、高校野球の書籍等を上梓。著作として『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『沖縄を変えた男 栽弘義―高校野球に捧げた生涯』(ともに集英社文庫)、『マウンドに散った天才投手』(講談社α文庫)、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA)など。現在、小説執筆中

―[職業 元プロ野球選手]―

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