「全財産は7円」ギャンブラーへの夢崩れ、生活保護に転落した西成の住人

日刊SPA! / 2021年1月31日 8時52分

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競艇に給料をつぎ込む宮崎さん

 日本最大のドヤ街と呼ばれる大阪市西成区あいりん地区。同地区の飯場(土木作業員たちの共同生活所)と呼ばれる場所に実際に住み込み、78日間の西成生活を綴った國友公司氏の著書『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、文庫版も合わせて5万部のロングセラーとなっている。

 飯場に集まっていたのは元ヤクザ、薬物中毒者、ギャンブル中毒、殺人犯などなど……。その中でも強烈な過去を持っていたのが、「フーテンの生き字引」のような生き方をする“宮崎さん”だったと國友氏は言う。

◆ギャンブラーを目指した西成の住人の過去

 あいりん労働福祉センター(※現在は閉鎖)をうろついていると、仕事を斡旋する手配師に声を掛けられ、私は言われるがままに西成区のとある飯場へとやってきた。尼崎の解体現場に土工として通いながらここで生活する。この飯場には10日契約、15日契約、30日契約があったが、私は10日間の契約を交わした。

 飯場には150人以上の労働者が暮らしており、大体10人前後のグループでそれぞれの現場へと向かう。宮崎さんは私の隣の部屋の住人で、現場も同じ。すぐに仲良くなったが、なかなかに強烈な過去を持っている。

 高校を卒業後、自衛隊に4年間入隊。マグロ漁船に7年間乗り、暴力団員になった。道端でもめた相手を橋から突き落とし全治3か月の怪我を負わせ刑務所に。出所後は西成や石垣島、福島など日雇いの仕事を転々とし、今に至る。福島では原発事故の影響で避難地域となっている家屋の解体をしていた。日給は1万2000円。しかし、宮崎さんの月収は100万円を超えていた。

「俺が解体していた地域は本当に放射能の数値が高いところで、もう家主も誰も帰ってこないわけ。色んなものがあったぞ、洗濯機や冷蔵庫はどこの家にもあるし、高そうな壺とか絵画、日本刀とかもあったな。ネックレスとかの貴金属、フィギュアのコレクション、麻雀台……。とにかく宝の山だったな」

 宮崎さんは解体作業そっちのけで目を「¥マーク」にしながらお宝をトラックの荷台に詰め込み、各地の質屋を巡業して荒稼ぎ。何食わぬ顔で買い取ってしまう質屋も質屋だが、不謹慎にも程がある。「俺の生涯年金はその辺のサラリーマンより上」だというが、パチンコ、競馬、競艇、酒などにジャブジャブと金をつぎ込み、すぐに西成の飯場へ戻ってきてしまう。そんな生活を何十年と続けているのだ。

◆金は使うためにあるんやろうが

 今回も宮崎さんは10日契約が終わると、安全靴や安全帯など現場で使う装備をすべて私の部屋に置いていき、「じゃあな兄ちゃん。俺の実力見せたるわ、俺は梅田で有名なギャンブラーになって人生変えてくる」と言い残して梅田へ出かけて行った。しかしその4日後には一文無しになり、「腹が減って仕方ない。頼むからなんか食い物くれ」と私の部屋に来ては、また飯場に戻ってしまうのだった。

 飯場の日給は寮費を差し引いて6700円。1日4000円の前借りができるが、宮崎さんは1日のうちにその4000円を使い切ってしまう。そのため10日契約が終わったあと、手元に残るのは2万7000円。その金を握りしめて数日間、贅の限りを尽くすのだが、私は西成にいる間、その数日をともに過ごした。

「アホ! 金は使うためにあるんやろうが。まだまだや。負けるまでやるんや! ほら、7000円勝ったぞ! 見たか! 今から寿司に連れて行ってやる」

 宮崎さんが、飯場からもらった2万7000円を次々と梅田のパチンコ台に投入し続けている。近くの回らない寿司屋で寿司をたらふく食い、ぶりかま焼き2つに生ビールも計5杯注文。会計は7000円を軽く超えていたが、「バカ、このために10日間働いたんや」と、宮崎さんがすべて払った。そして再びパチンコ屋に戻り、休むことなく夜まで打ち続けた。ラーメンを食べ、「サウナ大東洋」で汗を流し、ビール2杯とつまみも適当に頼み、仮眠室で睡眠。朝になるとすでに所持金は1万円を切っていたが、そのままボートピアに吸い込まれ、宮崎さんはまた飯場へと戻っていった。

◆梅田で業者に声を掛けられ生活保護受給者に

 ボートピア前で宮崎さんを見送った1か月後、電話をすると宮崎さんは西成にも梅田にもおらず、枚方のアパートに暮らしていた。後日、枚方市駅からバスで1時間近く進んだ山奥にある部屋に行くと、宮崎さんは介護用ベッドに寝ころびながらダンボールの上に置いてあるテレビを眺めていた。いつもと同じように10日契約で飯場を出て「サウナ大東洋」に泊まっていた宮崎さん。金がなくなり西成に戻ろうとしていたとき、手配師に声をかけられ滋賀の飯場へと行くことになった。

「廃旅館が飯場になっていて、ここがうんざりするくらい低劣やった。個室と言っておきながらふすまで仕切っているだけで壁は土や。食堂は床も土やぞ。飯はヨボヨボのじじいが作ったくっさい弁当や。飯場に入ってから6日間休みで、『寮費と前借りで5万の借金ができている』といきなり言われたんや」

 宮崎さんは廃旅館で暴れ回り、大阪までの交通費だけぶん取って寮を蹴飛ばした。しかし、梅田駅に戻ったとき宮崎さんの財布にあったのは数十円。西成にある飯場までも電車賃だけで230円かかる。「いよいよだな」と途方に暮れていたところ、「生活保護を受けないか?」と業者に声をかけられ、あっさりと生活保護受給者になってしまった。

「1回目の生活保護費が下りるのは2週間後や。月曜になると、現金4000円と米が業者から配られるんや。アメリカ米やけどな。俺は病院にはかかってないけど、月に12万8000円。ここの家賃は3万8000円。手元には9万円も残るから、ギャンブルだってなんだってできるぞ。解体現場に行くよりかは1日テレビ見とるほうがいいやろ」

 つい先日まで重いポスト(建地と呼ばれる金属の棒)を肩に抱えていたというのに、今は足元すらおぼつかない。生活保護というだけで支給される介護用のベッドから動かない置物のような生活へと突入してしまった。絵に描いたようなドロップアウトだった。4000円を配られるまであと2日もあるのに、宮崎さんの全財産は7円しかない。

 私は、「いつか返してくれればいいですから」と1000円札を手渡し、部屋を出た。

◆『ルポ西成』出版後の宮崎さん

 『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』を出版後、宮崎さんに電話をしてみるとこんな泣きごとを言っていた。

「毎日毎日、山奥の部屋で1日中テレビを見とるだけや。俺、もう気が狂いそうや。お前が書いた本を読むと、西成での生活を思い出すんや。あのときの俺はイキイキしとった。もう勘弁や。生活保護を辞退して石垣島でもう1回肉体労働やるつもりや」

 それからも、「またサウナ大東洋に行きましょう」と電話でエールを送り続けていたが、結局再会することはなく、しばらくすると連絡が取れなくなってしまった。携帯電話も欲もすべて捨て、石垣島でスローライフを送っているといいのだが……。<取材・文・撮影/國友公司>

【國友公司】
元週刊誌記者、現在フリーライター。日々街を徘徊しながら取材をしている。著書に『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)。Twitter:@onkunion

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